第九話 移動の先に
「ですからっ! あれが軍隊ではなわけないでしょう!? どうやってあんな甲殻類が軍を構成するんですか?」
『その決定を下すには我々には情報が足りない』
「貴方達に足りないのは情報じゃなくて常識ですよ!」
体液を撒き散らしながら地面を這って進んでくる黒い甲殻に覆われた魔物に対しても情報提供を求めるトゥーマイとシローに苛立ちを隠せないように、キャスリンはそう言い放った。
そしてその魔物は人ほどある体長を縮めたと思うと、次の瞬間彼らに向かって再び黒い液体を噴出した。
「いやあああああ!!」
「ちっ! こちらに戦闘の意思はない!」
「もうそれいいですって! 逃げるか戦うかしましょうよぉ!」
夜明けと共に昨日宿泊した遺跡をエルフの森へと向けての出発した彼らだったが、午前中にも関わらず既に二回目の魔物との邂逅を果たしていた。ちなみに一度目は草食系の魔物で、特に戦闘にならずに素通りすることができたが、二度目はそうはいかず巨大な芋虫状の生物に追い回されていた。
「くそっ! 奴といい『魔物』という生物は何故襲ってくる!? 軍隊でないのなら俺達を攻撃してくるメリットはどこにあるんだ?」
「何故って……。いや、ちょっと、は、早いですってえぇぇぇ!!!」
その毒虫から逃げるために背を向けて走るPASと、それに抱き抱えられながら泣き叫ぶキャスリン。
その魔物はもともと屍肉を漁るタイプの生物なのか動きは鈍重で、逃げ出した彼らを追おうとはしてこない。
そしてしばらく走りその魔物から逃げきった彼等だが、キャスリンは疲れたように草原に突っ伏していた。
「おぇ……。き、気持ち悪い。は、早すぎですよ……」
「撤退の為にお前を抱えるのは仕方のない行為だった」
「そ、それは、わかっていますが……」
「ま、まぁいい。一端PASを脱ぐ。トゥーマイ」
『任務受認』
気持ち悪そうに地面に突っ伏しているキャスリンを無視し、シローはPASを脱ぐ。そしてキャスリンが背負うバックに入っているローブを手に取ると、それを少し嬉しそうに羽織った。
「これでよし。立てるか?」
「え、えぇ。うえっぷ」
『キャスリン・アーデはシールド酔いをしていると推定される』
「し、しーるど酔い??」
『あぁ。当機が搭載しているシールド技術は人体に悪影響がある。個人差はあるが、接触すると卿のような吐き気を催す可能性がある』
「そ、そうですか……」
キャスリンはシローに掴まりながらよろよろと立ち上がる。そしてずり落ちていたリュックを背負い直すとゆっくりと歩き始めた。
「だ、大丈夫か? 荷物を持とうか?」
「い、いえ。これは私が運びます。何度も言ってるように、貴方と私は対等なのです。私は貴方に守ってもらっている以上、これくらいは私に運ばせてください」
「し、しかし……。お前は人間で俺は……」
「貴方も人間です! さ。行きますよ! まだ道は遠いのですから」
そして吐き気を堪えてキャスリンは歩き始める。まさかのキャスリンからの『人間』扱いに戸惑いを覚えるシローだったが、彼女の意思は固く、半ば諦めるようにキャスリンの後に続いたのだった。
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そして歩くこと数時間。一向に変わらない景色にシローは少し退屈そうにしながら、キャスリンからこの世界について様々な事を教えて貰っていた。
「なるほど。魔力を体内に多く含む魔物は入ってこれないから、人間はその魔力が大気中にない『聖域』という土地で暮らしてるって事か」
「え、えぇ。やっと理解してくれましたか」
『理解不能。大気中に『魔力』などという物質は当機のセンサーで検知していない』
「それはたぶん俺達の知らない物質ってことだろう。お前が検知できないのも無理はないんじゃないか?」
『否定する。『魔力』とはエネルギーを含む何らかの物質と仮定される以上、当機のセンサーで捉えられないはずがない』
「はぁ……。ならしっかり見ててください。いきますよ? それっ!」
頭の柔軟性に欠けるトゥーマイに何度目かわからない発火魔法を披露するキャスリン。彼女の金色の籠手の上に、小さな太陽のような火球が浮かぶ。
『……観測不能。理解不能。仮定。その籠手の回りのエントロピーが低下したと推測。否定。熱力学第二法則を否定することはできない。仮定。仮定。否定。推測。否定。……その技術の公開を求む』
「落ち着けトゥーマイ」
「い、いや技術も何も……。そんなムツカシイ事はしてませんよ?」
『ムツカシイかどうかは当機が判断する内容である』
理解できないことに対しては饒舌になるのがAIの性質なのか、トゥーマイは食い付くようにその発火魔法を見つめている。そして歩みを止めずにキャスリンはため息をついた。
「ですから、ここら一帯に溢れている魔力を利用して、籠手に集められた可燃物に火をつけます。そしてこのように制動魔法でそれを一ヶ所に集めればこの通り……」
『意味不明』
既にこのやり取りは三度目に突入しようとしている。流石にシローの方は感覚的に理解してきたようだが、トゥーマイは既存の理論を適用しようと躍起になっていた。これがAIと生物の違いであろう。
「トゥーマイ。俺が考えるに『魔力』とはエネルギーだ。そのエネルギーを用いて、籠手に集められているという可燃物質に熱エネルギーを持たせ、発火させる。そして今度は運動エネルギーを与えてそれを一ヶ所に集めているの、んじゃないか?」
「……?」
『……』
そのシローの説明に当のキャスリンはポカンとしているが、トゥーマイは何か思うところがあるのか、考え込むように黙りこんでしまった。今、彼の中では思考計算が行われているのだろうが、黙ってしまったトゥーマイの代わりにとでも言わんばかりに、シローはキャスリンへと質問を続ける。
「ところで、お前は一体何を目印に進んでいる? そのエルフの森とやらはどこにあるんだ?」
相変わらず続く起伏の少ない草原に飽き飽きしてきたのか、シローは少しうんざりしたように言った。
「エルフの森はこの『バース草原』の東に大きく位置しています。ですのでただただ東に向かって進めばいずれその森に到達しますよ。そんなに距離もないはずです」
「……到達してどうする? そのエルフ、とやらの種族が暮らす集落にどうやってたどり着くんだ?」
「いえ、彼等は自分の領土を厳しく管理しています。もし人間の私たちが足を踏み込めば、その瞬間に向こうから見つけてくれるでしょう」
「対人用の高性能なレーダーがあるのか……?」
「え? えぇ。よくわかりませんがきっとそうですよ」
その探知技術も魔法の応用なのだが、その魔法について詳しく知らない彼女はシローの話に適当に合わせることでお茶を濁した。
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歩き始めておよそ二日が経過した。
キャスリンは当初感じていた恐怖はどうなったのかと問いたくなるほどにシローと打ち解けていた。本来このバース平原を抜けるには入念に準備し、常に警戒を怠ることができない。魔物が出る地域を小さな人間が突破するには魔物の行動に長けた専門家が必要だし、いざという時に戦える戦闘力も必要だ。
だがシローとトゥーマイの圧倒的な戦闘力、索敵能力を持ってすればここを抜けるのは非常に簡単に思えた。
そしてついに日が暮れ始めた頃。
シローは荷物を背負っていないし、そもそも完成された健全な肉体を持っているため、疲労の色はその顔にはほとんど見えない。が、キャスリンの方は明らかに疲れが溜まっていた。無論シローは何度か休憩を挟むことや荷物を持つことを提案したが、キャスリンはそれを全て拒否。ただひたすらに歩き続けてきたのだ。
「平気か?」
「えぇ。もう少しです。できれば今日中にでも……」
歩き続けた成果か、少しだけ回りの景色も変化してきた。これまで見渡す限りの草原で、ときどき丘のような高低差があるだけだったが、今はそれなりに背の高い木々が点在するようになってきている。
キャスリンにとってこの平原は魔物が闊歩する危険な地帯なのだ。いくらシローがいると言っても、早くここを抜けてしまいたい気持ちには変わりはない。
シローは美しい夕日に心を奪われているのか、不思議そうな顔で夕日が照らされて夕焼けに染まった自分の体を見つめている。
そんなシローを尻目にキャスリンは、今日のうちには平原を抜けるばかりかエルフの森にたどり着くことができるのではないかとキャスリンは考えていた。
そして疲れからか重たくなりつつある足を懸命に動かして、キャスリンとシローは大きめの丘を超え、少し見晴らしの良い場所に出る。
そして彼等の目の前に広がったのは薄い霧に覆われた巨大な『沼』だった。それは渡りきる、には少し大きすぎる程の広さがあり、沼の中心部にはなにやら孤島のような小さな陸地と、一本の大きな木が生えている。霞がかかってはいるがその向こう岸には背が高い木々が群生しているのが見えた。
そしてキャスリンはその沼を眺めながら残念そうに呟いた。
「『クラーク沼』に当たってしまいましたか……。だから魔物が少なかったんですね」
「なんだそれは?」
「この沼の名前です。ここには『ドスレイクラーク』という大型の魔物が住んでいて、近付く魔物は補食されるのです」
「俺たちは攻撃されないのか?」
「人間は余り好物ではないので襲われることはほぼないらしいです。といっても流石にこの沼を突っ切るのは怖いですので、迂回しましょうか」
と、言いつつキャスリンは進路を少し変え、右迂回方向に歩を向けた。シローは何も言わずにその静かな沼を見つめながら、キャスリンの後へと続く。
が、シローの視線は沼の中央に位置している大きな木に注がれていた。巨大な湿地の真ん中に位置する、淡い光を放っている神木。そんな印象を抱かせる木だが、シローが見ているのはその木の根本だった。
「あそこにいるのは人間、か?」
シローは目を凝らしながら言う。キャスリンはそんなはずはないと思いながら、シローの視線の先を追う。が、キャスリンの目にもその神木の下に人影が見えるように見えた。
「トゥーマイ。確認しろ」
『了解』
トゥーマイ言われるがままに歩みを止め、沼の中央へと視線を向けた。そしてしばらく解析したあと口を開く。
『当機のカメラで人影を確認。霧により画質が低下しており詳細な判断は不可能。シルエットから計算した範囲だと身長は160㎝程度と推測』
「もっと近付くする必要があるか……」
「えぇ!? 近付くんですか!?」
「あぁ。意志疎通が可能なら、何か有益な情報を持っているかも知れない」
「……やめましょうよぉ」
人間が立ち入ることなんて一切許されない、『クラーク沼』。その中央に人間が立っているなんて通常考えられないことだ。
無論、位置的にエルフ、という可能性もあるが、そもそもエルフもそれほど戦闘力において人間と大差あるわけではないし、彼等がエルフの森から出てまで沼に近付くとはキャスリンは思えなかった。
となると、あの人影は人ならざるものである、『魔族』の可能性がある。魔族なんて人間にとって危険以外の何者でもない。キャスリンにとってもなるべく近付かないに越したことはないのだ。
が、そんなことは知ったことではないシローは決心したように口を開く。
「トゥーマイ、来い」
『任務受任』
次の瞬間トゥーマイは吸い付くようにシローを包み込み、僅か一秒足らずで戦闘用PAS本来の姿へと戻った。そして僅かに溢れる白いシールドが、そのスーツを優しく覆っている。
結果的にシローがPASを身に纏う、という判断をしたのは大正解だった。
なぜなら、相手は既に『PAS』を身に付けていたから。なぜならそれは、シロー、いや、A-4685にとって唯一にして絶対の敵だったから。
全身が淡い赤に覆われ、女性のようななだらかなフォルムが印象的なPAS。それは帝国軍PASトゥーマイを検知したのか、胸元の光を赤く輝かせ始めた。
トゥーマイとは異なる様式の連合軍戦闘用PAS、『ルーシー』が沼の中央からシロー達を睨み付けていたのだった。
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