序章
頭上に爛々と輝く青い地球を眺めながら、クローン『A-4685』は月面都市をひた走っている。彼に帝国から与えられた任務は月の防衛線を脅かす連合軍を排除し、歩兵部隊を支援すること。
彼は漆黒に青い線が何本か入ったような特殊なパワー・アシステッド・スーツ(PAS)にその全身を包み、人間を遥かに超えるようなスピードで月の都市を駆け抜けていた。
そのスーツは人間工学に基づいて彼の体に沿うようにデザインされているため、余計な突起物などは一切ついていない。そのためPASを知らない人間が彼を見ると、まるで黒い服を着た体格の良い人が高速移動しているように見えたことだろう。
『A-4685。たった今、現地歩兵クローン部隊の救難信号を受信』
「敵の新型PASの侵入地点へ向かう。トゥーマイ、地上部隊の支援が俺達の任務だ」
『任務受任』
彼はそのトゥーマイと呼ばれる『PAS』と短い会話を行った。そこからさらに速度を上げ、逃げ惑う市民を尻目に捉えつつ、舗装された地面を砕きながら進んでいく。
そして進むこと一刻。都市部から郊外部に差し掛かり、既に市民の非難が完了している地域に彼は到達した。続いて、彼が身を包むPASの視覚センサーは遂に敵軍のPASを捕らえる。
敵も格好は彼と同じで、違いは色だけだった。帝国軍であるA-4685は黒、連合軍である敵PASは赤だ。
『敵捕捉。敵は連合軍新型PAS『ルーシー』と断定』
「了解。トゥーマイ、戦闘体勢スタンバイ」
『了解。システム起動。当機は戦闘体勢に入る』
その機械的な声が届いた瞬間、A-4685は跳ねた。狙いは敵のPAS。前線を守っている味方歩兵部隊を飛び越えて彼は前に出る。
その前線を維持する兵士達の顔立ちはA-4685と何ら変わらなかった。何故なら彼らは同じ遺伝子を持つ体細胞クローンだからだ。
身長は一律178センチ。体重は一律75キロ。切れ長の眉毛に鋭く、青い眼光。それは色素の薄い金髪に持っていることや、少し人指し指が長いといった細かい特徴まで一致している。違いは装備だけだ。A-4685はPASに身を包んでいるが、他のクローンは違う。
そして彼は背中に装着していた専用機関砲を敵の赤いPASに向けた。
「発射」
A-4685の掛け声と共に銃が火を噴いた。普通の人間ならこの反動を抑え込むなんてできるはずはないが、PAS『トゥーマイ』にその身を包んだ彼は違う。彼はその戦車をもなぎ倒す威力を持つ機関砲を軽々と扱っている。が、勿論敵のPASも為すすべもなくやられているなんてことはない。
敵はまるで射線が見えているかのように華麗に銃弾をかわす。
「ちっ。避けられたか。トゥーマイ。近接戦闘でアレを仕留める。超振動ナイフを」
『了解』
彼は銃を背中に戻し、腰にマウントされていたナイフを抜き、姿勢を少し落とした。そのナイフは高い周波数で振動するナイフで、触れる物全てを切り裂くことができる。もちろんそれはPASのシールドであっても例外ではない。
そしてA-4685は再び跳ねた。握るナイフは高音を発しながら、彼の手の中で踊る。
続いて流れるような動作で敵の赤いPASに向かってそれを突き立てた。が、敵も人間のそれからはかけ離れた反応速度でそれをかわす。続いて敵は捻った体を大きく開き、お返しとばかりにA-4685に向かって鋭い蹴りを繰り出した。
「ぐっ!」
彼は蹴りをかわしきれずに胸元で受け、弾かれたように味方陣営まで蹴り飛ばされた。彼はまるでピンポン玉のように数回跳ね、後方で展開していた戦車にぶつかってその動きを止める。
そして敵の性能を分析していた戦闘支援AI『トゥーマイ』は先程と同様にA-4685に現状を抑揚なく伝えてくる。
『敵機は当機の出力を40%凌駕。当機単体での撃破確率は25%』
「問題ない。俺の任務は歩兵部隊の支援だ。勝つ必要はない。戦闘を継続する」
『了解』
彼は起き上がりながら、調子を確かめるかのように両拳を複数回開閉した。そしてまた、ゆっくりと姿勢を落とした。
A-4685が戦闘を再開すると、味方の部隊は同時に体勢の立て直しを始めていた。敵地上部隊は追撃を試みようとはしているようだが、帝国軍のPAS、すなわちA-4685が稼働している内は派手に動くことができない。
そして彼はもう一度飛んだ。今度は拳を握り、肉弾戦を以てして敵のPASを打ち砕く為に。帝国の任務を全うし、ここを死に場所とする為に。
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激しい拳の撃ちあいがPAS同士で繰り広げられる。その余波は月面都市に満たされている人口空気を震わせ、激しい被害を周囲に与えていた。
しかし、A-4685は押されていた。郊外で戦闘していたはずなのにいつの間にか市街地まで追いやられ、味方を支援するという任務を果たせていなかった。
だが肝心の戦闘自体の様相は先程とガラリと変わっていた。理由は単純明快で、こちらには味方の火力支援があるからだ。
敵PASはA-4685に固執するあまり、市街地まで一人で侵入し前線から離れてしまった。その結果帝国軍の火力支援をモロに受け、帝国軍に囲まれてしまっている。いくらPASの性能差があると言っても多勢に無勢だ。
客観的に見れば敵のPASは深追いの結果苦戦するという間抜け極まりない行為をしているのだが、A-4685にとってはその行為は違和感でしかなかった。彼は絶え間ない戦闘の合間を縫って、小さく息を吸う。
「トゥーマイ。あいつの狙いはなんだ。なぜこうも前線を離れてまで執拗に俺を狙う」
『不明。何か特殊な命令を受けている可能性が高い。留意されたし』
PASは最適に調整されたクローンによって駆動される。それは帝国側のA-4685も、今彼と対峙している赤色の連合軍PASも同じだ。クローンであるからこそ、特攻作戦が発行されるなんてのは彼らにとっては日常茶飯事だ。だが、だからこそ、この赤いPASのように捨て身で戦っている姿を見ると警戒してしまう。
何かの前触れではないか、と。
結果的にA-4685のその勘は大正解で、帝国軍は都市へ向けられた連合軍の究極兵器を探知しており、月のクローン防衛部隊を完全に見捨てていた。いや、見捨てたという概念は帝国側にはない。原種達、市民の非難は完了している。だからもう守る必要のない都市の軍隊は彼らにとって必要のないものなのだ。
そんな事実を知ってか知らずか、赤と黒のPASは高速で戦闘を行っている。ある時は黒が赤を蹴り上げ、空中に上がった敵への追撃にその拳を敵にめり込ませる。が、負けじと赤はその腕を掴み、地面に向かって黒を叩き付ける。
無論、空中にいる赤色PASに向かって地上歩兵部隊からの弾幕が雪崩のように届く。そのほとんどは都市を覆う上空のシールドに呑みこまれたが、一部は連合軍のPASに直撃した。
が、敵PASはその弾幕を気にすることもなく再びA-4685へと攻撃を仕掛けていく。
そして、A-4685がその攻撃を受け止めようとした時だった。
彼の目には、空から白い空間が落ちてくるのが見えた。これは比喩表現でもなんでもない。文字通り空が、いや宇宙が突然白く染まり、そしてそれが月に向かって落ちてきている。それが『死』を運んでくる、と漠然とでも理解できたのは彼がクローンとはいえど生物だからだろう。
きっと、連合軍のPASの駆動者もその『究極兵器』は知らされていなかったのだろう。赤色のPASは攻撃を中断し、茫然と空を見上げている。そしてまるで何かほっとしたかのように、A-4685を見つめてきた。
そう、クローンは死ぬために生まれてきたのだ。それは帝国軍でも連合軍でも同じことで。A-4685もまた、動きを止めて赤いPASを見つめた。
帝国の為に死ぬ。死んで価値をこの世に残す。
それだけがクローンの生きる意味で。
彼らはついに『死に場所』を見つける事ができたのだ。
空を覆い尽くすような迫りくる白い空間を見ながら、彼は死ねたと、思った。
帝国の任務を全うすることは出来なかったものの、自分はこれまで散って行った幾多の英霊と同じように、帝国の為に、自分を作ってくださった原種様達の為に俺は死ぬことができたのだ、と思った。
だが、一つの奇跡が起こった。
それは生を放棄した彼に憤怒した神の起こした悪戯か、はたまた偶然による産物か。
『アンドレイ・クローン』、A-4685の物語はここから始まる。
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