その8、我が儘な王子
王子は何を考えていたんでしょう
ぶっちゃけこの話と最終話はおまけ感覚で見ていただけると助かります
サミュエル・デ・オーストーン。その名を持つこの国の王子は、我が儘だと評判だった。
だが、その裏側にあった彼の行動原理はその生涯を終えるまで一度たりとて変わらなかったことを知る者は、彼を支えたその妻アネスのみである。だが、恋愛結婚されたと言われるその夫妻の仲は、その愛情を疑うほどに冷めたものであったという。
一つに男をひとり産んでから二人が寝所を共にしたことがないということ。愛しあっているはとても思えず、ただ義務として世継ぎを設けたのではとさえ囁かれている。
一つに公の場以外で二人が互いに笑顔を向けている姿を見たことがないということ。恥ずかしがっているという類の話ではなく、事務的な内容どころかお互いを恨んでいるかのように相手の欠点を指摘し、糾弾している姿がよく見られた。
一つに互いが互いのことを暗殺しようと企んでいたこと。どちらも優秀な護衛と毒見が付いており、本人の才も相まって二人が互いを害すことは叶わなかった。隠されてはいるものの公式記録にも互いが互いのことを暗殺しようとしていたことが記されており、年に最低でも各三、多い時には計二十を超えた年もあった。
結論から言ってしまおう。
サミュエル・デ・オーストーンはテーベ=ティヴァインを愛していた。
それだけの話なのである。
彼がずっと我が儘だったのは、自分が我が儘ならばそれを諫められるほどに優秀な令嬢が婚約者に宛がわれると思ったから。そしてずっとその筆頭にテーベがいたから。彼はテーベを手に入れるために我が儘な行動をし、その読み通り彼は婚約者としてテーベを迎えることができた。
だが、彼はテーベが自分をギリギリまで諫めないことに気が付いてしまった。愛されているのはさすがに理解できていたが、もっと彼はテーベに自分を怒ってほしかったのである。彼女の怒った表情が、サミュエルが一番好きな彼女の表情だったから。
どうやって彼女を怒らせようかと考えていると、そこへ他国から留学生がやってくるという情報が。
そこで彼が手を止めていれば悲劇は起こらなかったのかもしれないが、彼は我が儘だった。自分の欲しいものを手に入れるために、手段を選ぼうとはしなかった。
彼は自らアネス・フローレルに近付き、それに心底入れ込んでいるような行動を取った。
だが、それも一時の気の迷いと判断したのか、はたまたそれほどまで脅威は無いと判断したのか、テーベは動こうとしなかった。
厄介払いされてやってきた者と関わるなとでも言われるかと想像していたサミュエルとしては、その時点で彼女への認識を改め、もっと悪い方向へ傾いてやろうと決意を固める。
だが、彼の目論見とは別のところで、テーベはその確かだった地位を崩し始めていた。
時間に遅れることが増え、その理由を問われても申し訳なさそうに眉を下げるだけで、こちらの問いに応えようとしない。少しすれば、彼女が男と逢引をしているという噂さえ流れて来た。その情報源をたどれば彼女の使用人だというのだから、笑えない。
彼は自分がもう既に見限られてしまったのかと、彼女が新しい愛を手に入れてしまったのではないかと戦々恐々した。
だが、彼は思い出す。あの使用人は、彼女に実に忠実ではなかったか。ならば、噂を流したのは彼女の命で、あえて自分の顔に泥を塗るようなことを彼女はしているのではないか。
わけがわからないながらも、彼はほんの少しだけ安心することが出来た。
彼はアネス・フローレルを利用した。彼女を案内すると言って一緒に王都の街まで足を伸ばしたり、彼女の国のことを知りたいと言う名目で近付いていると見せかけてその実本当に話を聞いているだけだったり、テーベが嫉妬するように、ないし誤解はせずともその行為に口を出さずにはいられないようにアネスとなるべく行動するように努めていた。
故に彼女がアネスの物を壊したという話や階段から落としたという話はサミュエルにとって歓喜すべきものであり、遂に彼女が我慢の限界を迎えたのだと判断した。
そこから態度を変えずに行けば取り返しのつかない寸前のところまで行き、そこまで行けばいつものようにあの怒った顔で自分を諫めてくれると信じていた。
最後に、彼はアネス・フローレルに自分の我が儘に付き合ってくれと願い出た。
悪いようにはしないから、どうかしばらくの間演技をしてほしいと。
自分の言葉を突きつけるだけで、相手の言葉を都合のいいようにしか捉えなかった彼は、大事な情報を聞き逃す。
「テーベさまはどうやら体調が悪いようで、話しかけても無視されてしまうのです」
彼はその体調が悪いという部分を、勝手にそうテーベが言い張っているだけだと断じてしまったのだ。
実際には倒れそうなほどに無理をして歩いているのだが、なるたけテーベと距離を置いて彼女の感情を爆発させようと考えていた彼が彼女の姿を見たのは魔力訓練の一瞬であり、そのときもテーベは頭を下げていたため、その眼の下にある隈に気がつかなかった。
夜な夜な外へ出ているという噂も、どうせあの使用人の仕業だろうとさほど気にも留めていなかった。
そして、婚約破棄を画策し、そのときの段取りをアネスに話しているとき、アネスの言葉を聞き入れなかった。
「ダメです! 絶対にダメです!」
テーベとの秘密のお茶会を経ていたアネスは婚約破棄が成されてしまうことを知っている。だからこそ必死にそれを止めようとしたのだが、その声は届かず、当日がやってきてしまう。
そして絶対に諫められると半ば確信を持って高らかに宣言した言葉は、一瞬にして彼の期待を裏切った。
「喜んでお受けいたします」
何と言われたか、彼は一度理解が出来なかった。そうしている間に、テーベは目の前でふらりと倒れてしまう。
そしてそのとき、彼の中で見聞きしていた全ての情報が繋がり、自身の過ちに気付く。
彼女は本当に体調が悪く、無理をしていて、それは初めて自分との約束に遅れたときからずっと続いていた。そのことを理解すると同時に、彼は自分の我が儘でテーベを裏切ってしまったことを悔いた。
翌日彼が彼女の家に向かおうと決心して城を出るとき、慌てた様子のアネスが城へ飛び込んできた。
それと同時に、伝令を伝える兵士が駆けてくる。
どうしたと尋ねれば、兵士からテーベの死が知らされた。そしてその後、父である国王と王妃の話とアネスの話を聞けば、テーベが無理をしながらもそこかしこに手を回していたことを知る。
そしてアネスの口から、テーベが聖女であり、その権能がアネス自身へ移ったことが知らされる。そして、テーベが精霊から凄惨な罰を受けていたことを知った。
全てを知り、そして自らの我が儘によって大切な人を失ったサミュエルの心は――折れなかった。
それを知ったからこそ、彼は我が儘を言う。彼がそうしなくては、報われない少女がいるから。
「この件は隠そう。テーベは悪女だった。男に貢ぎ、アネスに嫉妬し、聖女に目覚めた少女を害した罪で婚約を破棄された。そしてその事実に耐えきれずに自棄になって自殺した」
「それじゃあ、テーベさんが報われない!」
「これが彼女の望んだ結末なら、それを変えないことこそ彼女に報いる手段だ」
――だから私は、お前を逃がさない。
アネスにも罪はある。テーベを追い詰めたのはサミュエルだけではなく、知らずに精霊を傷つけていたアネスも同じことだ。彼女の願いが二人が結ばれることだというのなら、少なくとも民にはその姿を見せることにしよう。
そう言って、サミュエルはアネスを妻に迎え入れた。二人の間にあるのは愛ではなく、罪悪感と憎悪だ。
――お前が精霊を傷つけなければ、テーベは死なずに済んだ。
――お前が私を巻き込まなければ、私はこの立ち位置に縛られることは無かった。
その憎悪は膨らみ、ある時点から互いの暗殺を企むほどまでに大きくなる。
それすらも愛する人を他の人に奪われたくないという美談として、二人の関係は後世に伝わる。
テーベの死後に起きた狂信者による大量殺人事件に、サミュエルとアネスが自らその犯人と対峙して事件を終わらせたという話も、彼らの美談の一つである。
そんな中二人の最大の美談として語られているのは、やはり二人が出会ったことによって、我が儘だった王子が賢王と呼ばれるまでにその性質を変えたという捻じ曲がった事実だということは、騙るまでもないだろう。
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