その5、秘密の茶会
真相へのヒント2
そこには二人の少女がいるだけだった。
一人は黒い髪を持つ、寝不足なのか目の下にくっきりとした隈を刻んでいる少女。それに向かい合うのは金の髪を持ち、困惑気味の表情で座る少女。
何の会話もないまま、かれこれお茶を二杯は飲んでしまっている。平民のおやつの時間ならばいざ知らず、これは貴族令嬢の茶会である。その二杯分の沈黙はあまりにも長く、心を削っていく。
「あの、テーベさま? 本日のご用件は何でしょう?」
耐えきれずに声を発したのは金糸の如き髪を持つ少女の方。
向かいに座るテーベと呼ばれた少女はコトリと静かにティーカップを置くと、一度軽く座り直して姿勢を整え、その優しげな視線を向かい合う少女の方へ向けた。
「あなた、王妃にある覚悟はある?」
あまりにも唐突な質問に、金髪の少女――アネスは言葉を失う。
その問いに「はい」と答えてしまえば不敬になるのではないか。「いいえ」と答えればそれを理由に糾弾されるのではないか。そんなことを考えてしまい、落ちついたところで返す言葉が探せど探せど見当たらない。
アネスの様子を見てそれに気が付いたのか、テーベは柔らかな笑みを向け、言う。
「このお茶会のことは誰も知らないわ。ここでは無礼講よ」
そう言われたところで、いままでされてきた仕打ちを考えればアネスは素直に頷くことはできない。
だが、こんなこともあろうかと今日のために聴音の魔道具を忍ばせて来たのだ。であるならば、その無礼講と言われた言葉を鵜呑みにしても問題ない。アネスは今までため込んできた恨み事を吐きだそうと密かに決意した。
「正直に言ってしまえば、ありません。なるつもりもありませんし」
その言葉に対するテーベの答えは、「そう」という短いものだった。
続く言葉がないことにアネスは驚きながらも、拍子抜けしてしまった勢いからか考えていた恨み事がすっかり頭から抜け落ちてしまう。
紅茶を口に含み、その余韻をしばらく味わってからティーカップを置いたテーベの姿から目が離せず、アネスはただ彼女の言葉を待つことしかできない。
「なら、覚悟をして。あなたにそのつもりはなくとも、世界がそれを許さないでしょうから」
「それは一体どういう……」
「サミュエル様が私との婚約破棄を考えているのよ」
その内容が衝撃的すぎて、アネスは頭が真っ白になってしまう。そのせいで、なぜテーベがそんなことを知っているのかということに頭が回らない。
「そんな……、国王陛下さまが許すはずはありません!」
「いいえ、許可を頂いたわ」
「嘘……」
「嘘じゃあないの。それで私の後釜に収まるのは、きっとあなた」
違う。そんなつもりじゃなかった。
アネスはそんな言葉を発するが、テーベはただ首を横に振るのみ。
「私の方から優秀な教師を付けるわ。王妃教育は大変だけど、あなたならばすぐに身につけられるはず。それに、完璧にこなす必要はないと思うの。あなたみたいな親しみやすい王妃のほうが民も喜ぶはず。私たち貴族のあり方も、変わるべきなんだわ」
テーベの瞳には諦念の色があった。彼女の中ではそれが決定事項のようで、有無を言わせぬ強制力さえ感じ取れる。
アネスの方はと言えば、何か思い当たる節があるのか、その表情は硬い。
やがて絞り出した言葉は、震えていた。
「サミュエル殿下を、捨てるのですか」
その問いに、テーベは明らかな動揺を見せる。目を見開き、動きを止め、混乱していると一目でわかるような状態だった。だが、ハッとしたように息を吐くと、姿勢を正していつもの彼女へ元通りになった。
ひょいとテーブルの中央にあったクッキーを一枚だけつまみ上げ、品のある動きでそれを口に入れ、飲み込む。ただそれだけの動作だけでも画になるというのに、目の下の隈だけがそれを害していて、彼女の状態があまり良くはないのだと知らしめている。
「私が、サミュエル様を? ああ、確かにそう考える人も多いのかもしれないわね。いつもなら諫めて、諭して、王子らしい行動を、次期国王らしい行動をするようにと申し上げてしましたものね。でも、今回ばかりは良いのよ。私はサミュエル様の願いを叶えたい。あなたにいろいろとしてしまった私はもう、良い評判もないし、王妃としては失格だわ。サミュエル様の弱点にさえなりかねない。でも――」
そこで一度彼女は言葉を切った。
空を仰ぎ、悪人のような笑みを浮かべる。アネスにとってすれば階段から落とされたときに見た、ぞっとするようなあの笑顔である。だが、そのときのアネスには不思議とすっと心の中に入ってきた。それがテーベ=ティヴァインという少女の自然な表情だと言うことが、言葉もなく理解できてしまったのだ。
「でも――でもね、あなたなら、きっと、彼を導いて行ける。彼のこと、よろしくね」
そう言い置き、彼女はテーブルを離れる。
そのまま茶会の場から去るのかと思いきや、少ししたところでアネスの方を振り返る。
「言い忘れていたわ。あなたの行動で精霊が怒ってしまっているの。気を付けてくれると私の負担も減るのだけど」
苦笑気味にそう言い、前を向く。そして二度と振り返ることは無く、茶会の席に戻っては来なかった。
翌日には、王子殿下がテーベに対して婚約破棄を画策していると言う噂が社交界に広まっていた。