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その3、そこにいた者たち

 アルバイン・スミー伯爵令息


 その日、珍しくテーベ嬢は一人だった。いつもなら周りは溢れんばかりの人で俺の入れる隙などないと言うのに。

 辺りを見回しても、彼女に近づこうとしている人間は少ないようだ。それもそうか。婚約者のいる人間が婚約者を持つ女性と二人きりだなんて、いい話のネタを提供しているようなものだ。俺みたいに二十過ぎてまでふらふらしてる貴族の方が稀なんだし、慎重になって当然ということか。


「やあテーベ嬢。他の皆は新しいおもちゃに興味津々って感じ?」

 俺の突然の声にも動揺した素振りを見せず、テーベ嬢は淑女の礼を取った。

「ごきげんようアルバイン様。ええ、みな異国の者に飛びついてしまっているようですわ」

「君は行かないのかい?」

 その問いにも、彼女はすぐに反応した。

「私が行ってもお邪魔でしょうし」

 そんなことはないと言ってみるが、「どうでしょう」の一言で一蹴されてしまう。


 彼女は冷静だ。王子殿下ですら目を奪われている異国の民に、一歩引いたところで、しかしよく観察している。その本質がどんなものかを見極めようとしているのだろう。あの頭のネジが足りていない王子殿下には惜しい存在である。王妃にならず、侯爵や公爵家の女主人として動いてもらえばどれだけその派閥が台頭できたことか。

 しかしまあ、そのあたりも考慮して早めに国王陛下が手を打ったのだろう。周りが彼女の優秀さに気付くのとほぼ同時に彼女の婚約は決まっていて、その抜け目の無さに王家のことを見直したものだ。


「最近、何かどこかへ行く用事でも多いのかい?」

 ふと耳にしたことを問うてみる。どうやら彼女は最近時間に遅れることが多くなったらしい。今までこんなことは無かったと言うのに、一体どうしたというのだろう。家を出るのは余裕を持ち過ぎているほどらしいが、それならどこへ行っているのか。

 この質問に、彼女は一瞬あからさまに眉をひそめた。


 何か思うところがあったのだろうか。それとも、やましいことがあったのか。

「話されたくないことならばいいさ。どうせいつかは解ることだろう?」

「そうだといいのですけれど」

 どこか含みをある言い方をしながら、その視線は最近この国に留学してきたアネス・トローレルに向いている。一躍時の人のようになっているが、こちらの国に来た理由としては厄介払いのようである。


 家の方で調べてみてわかったことだが、どうやら素行に問題があったらしい。問題があると言っても貴族の令嬢らしからぬことをしたりだとか、他人の心にずかずかと押し入ってきたりだとか、その程度のことなのだが、彼女のいた国では他人の心に入るのは婚約者以外ありえないとされているらしく、男女関わらず多くの人の心に踏み入った彼女は半ば無理やり追い出されるようにしてこちらの国へ留学になったそうだ。

 当のアネス嬢はと言うと、それに懲りた様子はないようだった。この国へやってきても随分と近い距離で話すし、人の心に土足で踏み入ってくる。最近は王子殿下が良い反応を示すことに味をしめたのか、王子殿下にばかりちょっかいをかけるようになったようだ。

 それについて他の令嬢にとやかくいわれているようだが、彼女がそれを気にしている様子はない。むしろ自分のことだと気付いていない可能性さえありそうだ。


「泥棒猫だの品の無い女だのと言われてるみたいだけど、君は彼女のことをどう思ってるの?」

 その問いに、テーベ嬢は答えを迷っているようだった。決まっていて声に出す勇気がないか、それとも自分の心に整理が追い付いていないか。

 思い悩んでいるその横顔が面白くて見ていると、アネス嬢の側にいる王子殿下に睨まれた。

 不貞行為を働いていると思われたのだろうか。自分も婚約者ではない女を連れている癖に。そんなことを想ったが口に出さず、彼女の返答を聞けないのは口惜しいがこの場を離れることとしよう。

「……下心しかない癖に」

 そうぽつりとつぶやいた言葉に、俺は言葉が出そうになるのを何とかこらえた。

 ――それは、一体誰に向けた言葉なんだい?


 これは面白いことになりそうだ。そんなことを思いながら、僕はその場を離れ、そのまま旅をするために国を出た。

 彼女が亡くなったと聞いたのは、その夜会から七カ月後に国に戻ってきたときのこと。彼女が死んでしまってから二カ月が経ったときのことだった。



 キュレット・ディーン子爵令嬢


 その日、テーベさまの体調はすこぶるよろしくないようだった。

 私ごときが話しかけてもいいとは思えず、最近の悪い噂も相まって、私は彼女に近付くことさえできなかった。私はどうだろう。信じていたのだろうか。いや、言葉を交わす勇気が持てなかった以上、私は悪い噂の方に引っ張られていたということなのだろう。


 心配していたのは事実だし、だからこそ目が離せなかった。気付けば魔力訓練のときに近くで訓練をすることになってしまい、もしかしたら彼女から離れて行く人がいたこともあって、最も接近できていたのかもしれない。

 もともと表情を隠すことが得意なテーベさまでも、その日ばかりはおかしかった。近頃濃くなっていた隈は一層その黒さを増し、若干左腕を庇うような動きが見られたので、怪我でもしているのかと案じてしまう。こころなしかいつもの堂々とした雰囲気も少しばかり薄れているような気さえする。


 そして実践。私は前に誰もいないときを見計らって雷の魔法を行使した。四回目にしてようやく狙い通りの位置に届き、その威力もコントロールできるようになる。

 テーベさまほどの魔力量を持っていると、そのコントロールは非常に繊細なものになる。私はカップの中に浮いた茶葉を指で摘む程度なのだが、膨大な魔力の持ち主であればあるほどその規模は大きくなり、聞いた話だと滝の下でその水の圧を受けながら流れてくる植物の種を針で突き刺すような集中力が必要らしい。


 いくらテーベさまが王妃教育の一環としてそれらを学んでいたとして、あのような体調ではできるはずもない。不安に思いながら彼女の方を見ていたのだが、周りより少しだけ魔力操作に長けていた私は暴走の予兆を感じ取ってしまった。

「テーベさま!」

 思わず声を出してしまう。


 その声にハッとしたように、テーベさまは急速に魔力を練り上げる。それでもなお危険だと判断したのか、利き腕である左腕を上に向かって上げようとするが、どうやらやはり痛んでいたのだろう。上げきることができずに魔法が発射されてしまう。

 放たれた魔法は私が見ても強力な攻撃魔法だと一目でわかるものだった。

 その通り道に誰もいないようにと願って先を見るが、運の悪いことに自分の魔法が成功して喜び、王子殿下の方へ向かおうとしたアネスさんの方へ向かってしまっている。テーベさまの顔色が青くなっていた。


 その炎は王子殿下の水の魔法によって撃ち消される。突然放たれた相殺目的の魔法に、ようやく自分が危険だったのが分かったのかアネスさんの表情が恐怖に染まった。

「テーベ!」

 王子殿下の怒りの声が聞こえてくる。

 ずかずかと歩いてこちらにやってきて、テーベさまの前に立つ。

「どういうつもりだ。あんな危険な攻撃魔法を放つなど、当たっていたらどうするつもりだったのだ!」

 違う。そうじゃない。テーベさまは暴走していた魔力を上に放とうとしていた。しかし怪我の痛みでそれが別方向へ行ってしまったのだ。そう言いたかったが、王子殿下相手に私ごときが発言を許されるはずもない。それに、危険だったのは事実だ。私の声が届いていなければ、この王城の中庭も炎の海になっていたかもしれない。そう思うと恐怖で体が震えた。


 テーベさまは取り乱したように頭を下げた。自分でもこの失態はどうにもならないと理解したのだろう。

「申し訳ありませんでした。サミュエル様の手を煩わせたことを深く反省申し上げます」

 その素直な態度に王子殿下も調子を崩されたのだろう。忌々しいと言わんばかりに舌打ちをすると、アネスさんの方へと戻っていく。

 テーベさまはと言えば、とても悔しそうな顔をしていらっしゃった。自分の体調不良が原因とはいえ、こんなことをしてしまってはもっと悪い話が流れてしまう。私はどうすることもできず、立ち尽すばかりだった。



 ミリュエリアス=ターン公爵令嬢


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 目の前で起こった惨状を目の前にして、私は体の力が抜けるような感覚に襲われた。婚約者のメメノが支えてくれていなければ、私も彼女同様にこの会場で倒れてしまっていただろう。

 誰も倒れた彼女に近づかない。ただ一歩離れたところから被害をこうむらないように様子を窺っているだけ。ああ、これが彼女の末路だとでも言うのだろうか。なんてことだ。

 ぎゅっと締め付けられるような胸を押さえながら、私は先日のことを思い返していた。


 あの日も、テーベはかなり遅れてお茶会にやってきた。

 日に日に深くなっていく隈は見るに堪えず、足取りもどこか覚束ない。その原因は男だと言われているが、私たちは彼女がサミュエル殿下一筋であることを知っている。他の男に現を抜かすなどということは有り得ないと断言することができた。

 それでも貴族社会は彼女の不実を疑わない。全ての非は彼女にあるものだとして、陰湿な影口の対象はアネスさまからテーベへと変わってしまっていた。


 どうして話してくれないのだろう。彼女が抱え込んでいることを共有してさえくれれば、何か力になれるかもしれないのに。

「テーベ、大丈夫? 本当に、大丈夫なの? 力になれることがあるのなら、お願いだから言ってちょうだい……!」

 彼女を待ちながら紅茶を嗜んでいたナナが、彼女の姿を見るなり立ち上がって会場に訪れたテーベに駆け寄った。いまのテーベの状態は酷いし、そう言いたくなる気持ちもわかる。私はマナーを優先して、みっともなく駆け寄ってあげることもできない、冷酷な人間だ。そんな私に彼女を案ずることができる資格が、あるのだろうか。


「大丈夫。問題ないわ。もうすぐきっと、終わるから」

 そんなことを言うテーベの表情は柔らかく崩されている。余所行きのための笑みである。

 彼女の笑みが心からのものでないと知ったのは随分と昔のことだ。彼女の家に仕えていた使用人が家へ異動してきたときに、テーベは本当に嬉しいときはもっと悪人のような笑みを浮かべると言われたのだ。

 だが、彼女がその笑顔を直接見せることは無かった。十年以上ずっと過ごしてきて、ただの一度も。

 アネスさまとの階段での事件があった茶会に出ていれば、私も彼女の本当の笑顔を見れたのかもしれないが、見ていたら見ていたで傷ついていたであろう。だから、そんなものはないのだと自分に言い聞かせないと、どうにかなってしまいそう。


 誰が見ても一目瞭然、彼女は明らかに無理をしている。

 ナナが泣きじゃくりながら彼女に縋りつき、「もっと、頼ってよぉ……」と言ってしまう気持ちも痛いほど理解できる。彼女も我慢の限界だったのだろう。頼られてないということはすなわち、テーベは私たちのことを信用していない、あるいは役に立たないと断じているのと同義なのだから。

 貴族としては失格だが、友人としては間違っていない。

 動くことのできない自分が恥ずかしかった。貴族という枠組みにとらわれて彼女に感情をさらけ出す度胸の無い自分に嫌気がさした。


「もうすぐ終わる。だから、もう、終わりにしましょう?」

 彼女の言葉が理解できなかった。理解したくなかった。それは絶縁の宣言だ。二度と関わらないという約定の言葉だ。

「待って。どうしてそんなことを言うの?」

 その理由を知りたかった。彼女の考えることだ。何か意味があるに違いない。だが、今回ばかりは何も言わずに頷くことなどできるはずがない。

 私の問いかけに、テーベは不思議なものを見るような目でこちらを見た。

「決まっているでしょう。邪魔なのよ。あなたたちは。私の目的を達するためにはね」


――だから私に二度と関わらないで。


 言われた。はっきりと言われてしまった。

 そのままテーベはナナのことを振り解いて歩き去ってしまった。


 静寂があたりを包み込む。あんな目をした彼女は初めて見た。決意をした目。その疲れ切った表情の中に、確かに宿った炎が見えた。あの炎は何だ? 怒りか? 憎悪か? 悪い方向にしか考えられない頭を振るい、その短絡的な考えを霧散させる。 

 テーベの足音が聞こえなくなって、その背中が見えなくなっても、私たちのときが動き出すことはない。

「何で? どうして? 切り捨てないでよぉ。私なんか悪いことしたかなぁ? 怒らせちゃったかなあ?」

 ナナが縋るような目でこちらを見てくる。

 捨てられた。ああ、そうか。私たちは捨てられたのだ。役に立たないとその縁を切られてしまったのだ。自分の目的を達するのに使い物にならないから、むしろいることによる不都合の方が大きいから、彼女は私たちを見捨てたのだ。


 そんな悲観的な考えが継続的に脳内を支配しようとしてくるが、いまここで私が折れるわけにはいかない。ナナも、一言も発せなかったネイミーも、いまは私がフォローを入れなければ。

「こっちに来て、ナナ」

 私の声に、座り込んでいたナナがこちらへやってきた。座っている私にしなだれかかってきた彼女を受け止め、その頭をゆっくりの撫でてやる。

「ネイミーも」

 さすがに彼女まで私にしなだれかかってきたらどうしようかと思ったが、彼女は椅子を寄せてちょこんを肩を預けるだけで、そこまで大胆に姿勢を崩しはしなかった。だが、触れ合えばわかる。その体は震えている。きっと私同様に心にぽっかりと穴が開いてしまったのだろう。それをどうすればいいかわからなくて、体の震えが収まることを許してくれないのだ。


 私は空いている左手でネイミーを抱き寄せた。それに一瞬体がピクリと驚いた様子だったが、彼女はそれを受け入れてくれたらしく、おずおずと言った様子で私の体に手を回してくれた。

 ああ、ほっとする。二人の体温がとても温かくて、心地良い。

「ミィル、テーベはもう、戻って来てくれないのかな?」

 わからない。無責任なことは言えない。だから、何と言えばいいのかもわからない。

 その沈黙が何を意味するのかわからないほど、ナナもネイミーも馬鹿ではない。

「嘘、でしょ? いやだよぉ。こんなのって、こんなことって……」

 嘆くナナとは違い、ネイミーは一層私のことを強く抱きしめてその心の内を伝えてくる。


 わかっていた。彼女が私たちに心を開いていないことは。心の底から信じられていないと言うことは。貴族という枠を超えて本音を吐きだせるようにはなれなかったし、彼女への愛は一方的なものだったのだ。私たちの親愛と呼ぶには深すぎる思慕の念はきっと、彼女にとっては迷惑な代物でしかなかったのだろう。その友人としての垣根を超えそうな程の感情は、狂っているとさえ思われたかもしれない。

「テーベ、テーベぇ――――――!」

 ナナの悲痛な叫びに呼応するように、雨粒がぽつぽつと空から滴り落ちてくる。その勢いは瞬く間に増していき、突然の雨に慌てる使用人の姿が遠くに見える。


 まるで私たちの涙を隠すかのように降り注ぐ雨は、それから三日、今現在の王家主催の夜会に至っても、まだ止んでくれそうにはなかった。

 倒れ伏すテーベの体を、名も知らない衛兵が運んでいく。王子はいまいましいといった様子でそれを見るだけで、当のアネスさまが顔を青くして座り込んでしまっていることに気付かない。

 ふと背中に誰かが触れているのを感じて見てみれば、まるでこの世の終わりみたいな表情をしたネイミーだった。前にも感触があると思えば、ナナが私の胸を借りて涙を堪えていた。私はメメノに支えて貰いながらただ瞑目して、テーベが無事であることを祈るのみ。


 これがあなたの望んだ未来なの? これがあなたの言っていた終わりなの?

 ねえ、テーベ。あなたは一体、どこで何をしていたの? どうしてこんなことになってしまったの? この結末は、変えられなかったの?

 これが彼女の言っていた結末なのだと考えていた私は、自分が甘いことを思い知ることになる。


 本当の結末は彼女の死を意味していて、それを(しら)されたとき、私は自分の愚かさを呪い、ナナは身を投げ、ネイミーは心を壊して人形のようになった。

 残された私も狂っていたのだろう。気が付いたときには家が血の海に染まっていて、私はメメノの亡骸を大事そうに抱えていたらしい。らしいと言うのはそれを牢の中で聞いたからで、私に教えてくれた見張りの衛兵には、感謝の言葉しか思い浮かばない。

 でもダメね。ちょっと牢に近付きすぎちゃったのよ。私はぺろりと手に付いた肉を舌で舐めとりながら、そんなことを思った。

 (あか)に染まった地下牢を出たが、行く先は決まっていない。しかし、そんなものは気にしなくていい。だって、見つけ次第笑いかければ(殺してしまえば)いいんだもの。とてもとても、簡単な話よね。

 

誤字脱字多すぎなので誰か教えて

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