第三話:放浪の聖職者
クレイス「(さて、あれから二ヶ月が経ったが、全くと言っていいほど進展がない…。どうしたものか。)」
クレイスは王宮の自室にて頭を悩ませていた。
この二ヶ月の間、ただただ時間だけが過ぎていた。
何もしなかったわけではないが、クレイスの琴線に触れる人物とは出会えず、クレイスは少しずつ焦りを感じ始めていた。
クレイス「(レットの話では、あと三ヶ月あれば装束は完成する。…それまでにもう一人、後一人見つかれば。)」
クレイス「(だが、宛のある場所はほぼほぼ行き尽くした…。それに、未だに父上を説得させる方法も見つかっていない…。)」
クレイス「(そういえば父上が最近進捗を聞いてくることが多くなったような…気のせいか?)」
クレイス「(…今日は気分転換に市街地へ行ってみるか。)」
…。
クレイス「(相変わらずここは活気があるな。…いい匂いもする、あの串焼き屋か?小腹も空いたし立ち寄ってみるか。)」
店主「へいらっしゃい!」
クレイス「ここはどんなものを扱っている?」
店主「うちは鳥、豚、牛、あとは海鮮もホタテ、エビ、イカ、タコなんかがありやすぜ。」
クレイス「…では、鳥モモと豚バラ、ホタテをそれぞれもらおうか。」
店主「はいよっ、味付けはタレと塩、どちらにしやす?」
クレイス「塩でいただこう。」
店主「かしこまりやした、少々お待ちを!」
慣れた手つきで食材に火を通していく。
次第に香ばしい匂いが立ち込め鼻腔をくすぐり食欲を刺激する。
調理をしている合間に勘定を済ませ暫くすると…。
店主「ヘイお待ち!鳥モモ一本豚バラ一本ホタテ一本いっちょ上がり!熱い内にお上がり。」
クレイス「ああ、ありがとう。」
開かれたパックにそれぞれの串焼きが乗せられ、それを受け取ろうとしたその時。
クレイス「っ!?」
突如目の前の串焼きが姿を消した。
だがそれは単なる消失ではなく、それを奪った者達の犯行であった。
店主「あ、コラてめぇら!人様のモンに手ぇ出してんじゃねぇ!」
黒尽くめの男が三人、人ごみを押し退けかけていくのが見える。
内一人の手には串焼きが。
クレイス「…慌てる心配はない、すぐに追いかける。」
クレイス「(しまったな、流石に気が抜けていたか…?)」
店主「あんた一人で捕まえられるのか?俺も協力するぜ。」
クレイス「店を留守にするわけにはいかないだろう。私一人で十分だ。」
すぐさま駆け出し男達の後を追うクレイス。
クレイス「(串焼きなどいくらでもくれてやるが、あの者たち、妙な気配がするな…。)」
たかが串焼きを奪ったことも気になるが、それが逆に不信感を煽る。
クレイス「(…それにしても速いな、見失わないようにせねば。)」
男たちは市街地を出ると右折し路地へ逃げ込んだ。
クレイスもそれに続く。
クレイス「(路地へ逃げたということは土地感のある者か?…こういった輩は、どこにでも現れるものだな。…ん?)」
後を追い駆け抜ける道中、恐らく食い散らかされた証拠であろう串が散らばっているのが視界に入る。
クレイス「(食われたか…。まあいい、後で店主に謝っておこう。)」
クレイス「(それにしても妙だな…。こういった場合、普通はばらけて逃走するものだが。)」
前方を確認すると、男は三人固まり同じ方へ逃げている。
そして左手に見えた路地裏に男たちは入り込んでいき、不審に思いつつもそのあとを追うクレイス。
クレイス「どうやらここまでのようだな。」
三人が逃げ込んだ場所は、三方三メートルほどの高さの塀に覆われ逃げ道がなかった。
細道の奥にあるちょっとした広場のような場所で、クレイスと男三人が対峙する。
男たちの顔はフードに隠れてよく見えなかったが、その口元には笑みを浮かべているようだった。
そして男たちはなんの躊躇もなく、隠していたナイフをクレイスに投げつける。
警戒態勢に入る直前の出来事…咄嗟のことで回避が遅れ、ナイフが一本右腕を掠め血が線となって滲み出す。
クレイス「ちっ…。」
???「大丈夫ですか?」
そして唐突に、後ろから声がかかる。
その声に振り向くと、そこには修道服に身を包んだ女性が一人こちらを心配するような様子で伺っていた。
クレイス「来るな、危険だぞ!」
思わず振り返り、声の主に危険を知らせる。
しかしその隙を突いたのか、対峙していた三人の男はその広場から忽然と姿を消した。
クレイス「(なに、どこへ行った!?)」
あまりの早業に僅かな困惑を見せつつも辺りを見渡すと、男たちが屋根伝いに逃げていくのが辛うじて見えた。
先程までとは違い、三人は散り散りになって逃げていった。
クレイスは後を追うかどうか悩んだが、後ろに佇む女性を放っておけず追いかけることを断念。
???「あの…。」
クレイス「怪我はないか?」
???「はい、わたくしは大丈夫ですが…。先程の方たちは一体…?」
クレイス「食い逃げだ。私の買った串焼きを強奪していったのだ。ちなみに奪われた串焼きはここに来る途中に食われてしまったようだ。」
たかが串焼きを狙ったにしては、華麗すぎるほどの手際。
一級品の宝石などを狙うのならともかく、なぜクレイスの串焼きをターゲットにしたのか。
結局その顔さえ拝めないまま、疑問だけを残し男達は消えていった。
???「まあ、それは災難でしたね。…あっ、怪我をしているではありませんか。」
クレイス「ああ、この程度なら問題ない。」
???「何を言っているのですか、他人の心配よりまずはご自愛下さい。少々傷口に触れますがよろしいですか?」
クレイス「血で汚れてしまうぞ?」
???「構いません。…少々痛むかもしれませんがこれで。」
女性はクレイスの腕を取ると、指を傷口に這わせるように動かした。
すると、まるで魔法でも使ったかのように傷口が塞がっていき、血の流れも止まった。
クレイス「なっ、これは…。」
???「痛みなどありますか?」
クレイス「いや、すっかり治っているようだが…一体何をしたのだ?」
メルティナ「大したことはしていません。…あっ、自己紹介が遅れて申し訳ありません。わたくし、メルティナ・バランマーと申します。」
奇妙な力を持つメルティナ・バランマーと名乗る女性と出会ったクレイス。
果たしてこの出会いは、偶然か必然か。
だがこの出会いがクレイスの運命を定め、それをより強固なものへとする。
…。
クレイス「…本当に食べきれるのか?」
メルティナ「はい、この程度朝飯前です。」
クレイス「(…食事の前に食事をするのかと言う突っ込みは、この場合野暮なのだろうな。)」
あの後クレイスは、メルティナを連れ串焼き屋に戻り店主に事の顛末を伝えた。
店主は代金を返却すると言ったが、クレイスはそれをやんわり断った。
そして改めてメルティナへの礼を兼ねて串焼きを購入したのだが…。
クレイス「(まあ、いざとなったらアキナの家へ持って行ってクロにでも食べさせるか…。)」
近くにあったベンチに腰掛けた二人、その横には大量の串焼きが山積みになっていた。
その数合計で五十本。
ちなみに内訳は、鳥十本豚十本牛十本ホタテ五本エビ五本イカ五本タコ五本で計五十本、味付けは全てタレである。
クレイスはそのあまりの串焼きの多さに胸焼けし、自分の分は買っていない。
メルティナ「ですが、本当に頂いてしまってよろしいのですか?」
クレイス「食べてくれて構わない。ほんの礼さ。」
メルティナ「そのような大それた事をしたつもりはないのですが…。」
クレイス「私からすれば、あれを見て驚かない方がどうかしていると思うが…。まあ、冷めないうちに食べてくれ。」
メルティナ「はい、ではお言葉に甘えて。」
…。
それから十数分後、ベンチには空になったパックと大量の串だけが残っていた。
クレイス「(本当に全て平らげてしまった…。)」
途中、昼時を過ぎ流石に空腹になったクレイスが何本か串焼きを頂戴したが、それでも五十本近い串焼きを、メルティナはあっさり食べ尽くした。
メルティナ「デザートに甘いものが欲しくなりますわね。」
クレイス「(ま、まだ入るのか…。)」
クレイス「ところで、少し話を聞いてもいいだろうか。」
メルティナ「はい、なんでしょうか?」
クレイス「あれは一体何だったのだ?なにかの魔法か?」
魔法を詠唱することもなく、ただ単に触れるだけで傷を癒す…そのような特殊能力が本当に存在するのか。
クレイスは疑問と同時に、興味も抱いていた。
メルティナ「ああ、これのことですね。いいえ、特別なことは何も。」
自分の手の平を見つめるメルティナであったが、それは些細なことと彼女は語る。
クレイス「そんなばかな、あれが魔法でなくてなんだ。」
メルティナ「本当に特別なことはしていないのです。ただ、これはわたくしの体質なのです。」
クレイス「体質?」
メルティナ「ええ、わたくしは触れたものの傷を癒す力を持っております。」
メルティナ「それがどんなに深い傷でも、触れただけで治すことができるのです。」
メルティナ「そんなわたくしを、皆様はまるで神のように崇めました。」
メルティナ「ですが…その眼差しは、時を経つにつれ疑惑のものとなっていきました。」
メルティナ「魔物に操られているのではないか、魔物と交わり子を宿しているのではないか。…そしてついには、育った村を追い出されてしまいました。」
メルティナ「行く宛などなかったわたくしを保護してくれた他の村の教会もありましたが…。」
メルティナ「時が経てばどこでも似たような扱いになり、あちこちを転々としていました。」
メルティナ「なので今は放浪の聖職者として、道行く人たちに癒しを与えているのです。今回のあなたのように。」
そう笑いかける彼女の瞳に、憎しみや怒りは感じられなかった。
しかし語られるその過去は決して軽いものではない。
クレイス「…辛い過去を、思い出させてしまったな。」
メルティナ「いえ、お気になさらず。むしろ、お話を聞いて頂き感謝しております。」
クレイス「普段寝床などはどうしているのだ?」
メルティナ「物陰に隠れて休んでおります。修道服だと暗闇に紛れ案外気付かれないものですよ。」
クレイス「…良ければだが、しばらくの間、王宮で寝泊まりしてはどうだ?」
メルティナ「はい?」
彼女自身が助けを求めているわけではない…が、その境遇を見過ごせるクレイスではなかった。
クレイス「ああ、そういえば名乗っていなかったな。私はクレイス・バーミリオット。この国の王子だ。」
メルティナ「まあ、これはとんだ無礼を。王子の手に気安く触れるなど…。」
クレイス「傷を治してくれたのだ、感謝しこそすれ、罰するつもりはない。面を上げよ。」
メルティナ「お許し頂きありがとうございます。ですが、そうなると尚更厄介になるわけにはいきません。」
メルティナ「わたくしのような素性の知れぬ者を王宮へと招いてはなりません。」
クレイス「メルティナがどういうものかは、今話してくれただろう。それで十分だ。」
メルティナ「…随分と、人を信頼しているのですね。」
クレイス「うーむ。というよりは、単純に放っておけないのだよ。これは私のわがままだ。」
クレイス「どうか自分の身を案じてくれ、いたずらに自身を危険に晒すこともないだろう。なにも、ずっと王宮で暮らせというわけではない。メルティナが王都を離れる時までで構わない。」
メルティナ「…この国の王子様は、お人好しですね。」
クレイス「厄介事を王宮へと持ち込んで面倒だと、一部では言われている。」
メルティナ「あら、わたくしは面倒な女ですか?」
クレイス「あ、いや、そういう意味ではない…。言葉の綾というか…。」
メルティナ「ふふっ、冗談ですよ。そこまで情熱的に求められては仕方がありませんね。いいでしょう、王子と一つ屋根の下、わたくしの貞操を守って頂きましょう。」
クレイス「その言い方だとあらぬ誤解を招きそうだが…。」
クレイス「まあ、そうと決まればひとまず王宮へと向かおう。早急に部屋を用意させないとな。」
メルティナ「そういえば、今ふと疑問に思ったのですが、なぜクレイス王子はお一人でこのような場所に?お付きの方もいないようですし…。」
クレイス「ああ、聞いていて楽しいものではないと思うが…聞きたいか?」
メルティナ「ええ、王子のお忍び理由、気になりますわ。」
そう言ってメルティナは、人懐っこい笑みを浮かべる。
その笑みを見てクレイスは、安心を覚えるのと同時に罪悪感を抱く。
メルティナの持つ能力…それを欲したいと、願ってしまったから。
…。
メルティナ「まあ、そんな事情が…。」
王宮へと向かう道中、クレイスはメルティナへと事情を説明した。
自分が勇者となったこと、旅に出るため仲間を探していること、そして現段階での最大の難問である現国王バルレイを説得しクロを仲間とすること。
抱える問題はどれも一筋縄ではいかない…それは話を聞いているだけのメルティナにも十分に理解できた。
クレイス「あと一人見つかれば御の字なのだが、中々そうもいかなくてな。私が選り好みをしているからかもしれないが…。」
メルティナ「ですが、能力があり、かつ事情を把握し共に戦ってくれる方など、そうそう現れるものではありません。ましてや王宮の外で探し出すとなると。」
クレイス「クロのことも、どう父上を説得するか、その糸口さえ見い出せない。…本当に、名ばかりの勇者だな。」
メルティナ「…でしたら、わたくしもお手伝いしましょう。」
クレイス「そう言ってくれるのは嬉しいが、無理をして仲間探しを手伝わなくて良いのだぞ。」
正直に言ってしまえば、メルティナが仲間となってくれるのであればそれほど嬉しいことはない。
しかしこの時のクレイスはそれを無意識の内に選択肢の中から除外していた。
この世は常に傷を負った者ばかり。
それが肉体的にでも精神的にでも、それを癒せる存在がいるということをクレイスは知っている。
そしてメルティナはその内の一人だと…クレイスはその力を見て確信した。
それは自身の願いのために使うのではなく、民のために使われるべきなのだと。
だからこそ、メルティナの提案の本当の意味を聞いてクレイスは驚愕する。
メルティナ「いいえ、そういう意味ではありません。」
クレイス「ん?…ならどういう意味だ?」
メルティナ「わたくしも魔王討伐にご協力致します。」
クレイス「なっ…。」
メルティナ「元より身寄りのないわたくしは、ある意味仲間にするのに不都合がない。」
メルティナ「なによりわたくし、王子の寛容さに心を打たれました。」
メルティナ「素性の分からないわたくしを、王宮にて保護しその身を案じる。」
メルティナ「正直に申し上げて、嬉しかったのです。我が身を案じてくださる方は、今までたくさんいましたが。」
メルティナ「王子という立場にある方が、ここまでのことをしてくださる…。そのご恩返しをしたいと、そう思ったのです。」
クレイス「本当に、良いのか…?」
迷いはある。
どれくらいの期間になるかは分からないが、その間にメルティナの力によって救われる民がどれほどいるのだろう。
それを独占するなど、本当に許されるのか。
そんな心の迷いを感じ取ったのか、メルティナは笑みを浮かべ。
メルティナ「ええ。きっと、お役に立ちますわ。」
それは、強い意思の表れ。
背中を押されることがどれほどの心強さを生むか…クレイスは改めてそのことを思い出す。
クレイス「…分かった。メルティナ・バランマー、そなたを我が仲間とする。共に魔王を倒し、この世を平和へと導こう。」
メルティナ「はい。」
その覚悟に、自分も応えなくては…。
そんな誓いのようなものを胸に刻み込む。
全ては世の生きる民のため。
これでクレイスの抱える問題は、残り一つとなった。
…。
そうこうしている内に王宮へと辿り着いた二人。
現在は客室にて軽く雑談をしている。
メルティナ「遠くから拝見してはいましたが、とても立派な王宮ですね。」
クレイス「無駄に広さだけはあるからな、それとここに初めてきた者には必ず案内役をつけるのだ。」
メルティナ「それはなぜです?」
クレイス「王宮は、侵入者対策のため入り組んでいるところが多々ある。下手に道を間違えると、後戻りできないのだ。」
メルティナ「秘密の隠し通路とかあるのですか!」
興奮気味に食いつくメルティナ、その瞳は爛々と輝いている。
クレイス「…なぜそんなに瞳を輝かせながら聞く?…まあなくはないが。」
メルティナ「やはり秘められしものというのは、例えそれがどんなものであっても暴きたくなるものです!これは人の性なのです!」
拳を握り熱く語るその姿に呆れるクレイス。
クレイス「…本当に聖職者か、君は…。」
メルティナ「うふふ、冗談ですよ。隠し通路に興味があるのは本当のことですが。」
クレイス「まあひとまずはこの客室で待っていてくれ。急ぎ一室用意させてくる。」
メルティナ「ありがとうございます。」
毒気を抜かれるようなその笑顔を見て、やはり聖職者に向いていると感じるクレイスであった。
…。
クレイス「…クロ?帰っていたのか。」
クロ「…ただいま。」
部屋の手配をするため使用人を探すクレイス…その道中クロと遭遇する。
クレイス「ああ、おかえり。…どうかしたのか?」
クロ「…。」
クレイス「?」
相も変わらず無表情だが、どこかしょぼくれた様子のクロ。
クロ「…レイと、あそびたかった。」
クレイス「そうか。今は急ぎの用があるから時間が取れるのは夕食後になりそうだが、それまで待てるか?」
クロ「…いそがしいなら、あしたでもいい。」
僅かな寂しさを覚えつつも、そのわがままを自分の中に押し留めるクロ。
それがクレイスの妨げとなるのは、クロとしても本意ではない。
クロ「…?」
と、ここで何かを感じ取ったのかクレイスに擦り寄り鼻を鳴らすクロ。
クロ「…おきゃくさん?」
クレイス「ああ、シスターを一人、ここに住まわせることになってな。それで今から部屋の手配をしようと思っていてな。」
クロ「…そのひと、いまどこにいる?」
クレイス「ん?そこの客間だが…。」
クロ「…あっても、いい?」
クレイス「まあ、別に問題ないと思うが…。どうした、なにか気になることでもあるのか?」
クロ「…ちょっと。」
匂いに混じる違和感のようなものがあるのか、意外にもそんなことを言い出す。
クレイス「…そうか。行っても構わないが、失礼の無いようにな。きちんと挨拶をするのだぞ。」
コクりと頷くクロ。
多少心配ではあるが、それを受け入れない理由も特に思い浮かばない。
クレイス「よし、ではまたあとでな。」
頭を撫でその場で別れるクレイス。
少しその背中を見送ってから、また部屋の手配に戻っていくのであった。
…。
使用人に部屋の手配をし、客室へと戻ってきたクレイス。
扉を開け中に入ると、その視線はある一点に吸い寄せられた。
クレイス「な、何をしているのだ…?」
クロ「…レ、レイ…たすけて…。」
メルティナ「あらクレイス王子、お帰りなさいませ。あ、ダメですよ逃げては。」
ソファーの上で、クロはメルティナに抱き抱えられていた。
いや、この場合は逃げ出さないように拘束していると言った方が正しいか。
いずれにしろクロはその熱い抱擁から脱しようともがいているがメルティナがそれを許さない。
無表情ながらも必死さを前面に押し出すその様子を見てクレイスは…。
クレイス「…とりあえず、離してやってくれないか。」
メルティナ「どうしてもですか?」
クレイス「…。」
最早クロは悲壮感溢れる表情になっており、僅かに涙ぐんでいるようにも見える。
クレイス「…どうしてもだ。」
メルティナ「残念です…。」
クロ「…っ!」
メルティナの手から離れると、クロはすぐさまクレイスの背中へと隠れ顔を半分出しメルティナに威嚇をする。
最早それは、殺気に近いなにかだった。
クレイス「…一体何をしていたのだ?」
メルティナ「わたくしはただ、クロさんを愛でていただけですわ。」
クロ「…うーっ。」
クレイス「(尋常ではない怯え方だな…。クロはメルティナに近付けない方が良さそうだな。)」
敵意を剥き出しにしてはいるが、服の袖を掴む手は震えておりその恐怖が尾を引いているようだった。
メルティナ「こんなに可愛らしい方が付き人だなんて、クレイス王子が羨ましいですわ。」
しかしそんなクロの様子など意に介さず自らの欲望を愚直に吐露するメルティナ。
クロ「…かわいいとか、いうな。」
メルティナ「ああっ、そんな可愛らしい顔をしてはダメです!衝動が抑えられなくなってしまいます!」
クロ「…!」
今にも飛びかかってきそうなメルティナに危機を感じたクロは、警戒のために覗かせていた顔を引っ込めクレイスの後ろに頭を抱えて座り込んでしまう。
ここまで怯えた様子を見るのは、長年連れ添ったクレイスにとっても初めてであった。
クレイス「…クロが怯えているようだから、少し控えてくれないか。すまないが。」
メルティナ「とても残念ではありますが、承知しました。」
意外にもあっさりとそれを承諾するメルティナ。
興奮していた先程とは違い、既に以前の落ち着いた雰囲気に戻っていた。
クレイス「ありがとう。…それでだが、夕食後までには部屋が用意できるそうだ。」
メルティナ「そうですか、ありがとうございます。」
クレイス「それで夕食なのだが、私たちと一緒に食べるか?それとも…ん、どうしたクロ。」
クロ「…ちょっと、きて。」
いつの間にか立ち上がり袖を引っ張るクロ。
クレイス「すまないメルティナ、少し席を外す。」
メルティナ「ええ、いってらっしゃいませ。」
メルティナに見送られ客室を後にする二人。
クレイス「それで、どうしたのだクロ。」
クロ「…なんか、へんなかんじする。」
クレイス「…メルティナがか?」
クレイス「(異常な程愛でられてはいたが、そのせいではなさそうだな…。)」
こうしてわざわざ忠告のような形を取るくらいだ、先程の異常な程の可愛がりの他になにか気になるところがあるのだろう。
クレイス「分かった、少し注意しておこう。」
クロ「…でも、きのせいかも。」
クレイス「曖昧な物言いだな…。」
クロ「…よく、わからなかった。」
何か違和感を感じるものはあったが、その正体までは把握できていないようだ。
クレイス「そうか…。まあ一応気にはしておこう。なに、メルティナが危険人物ということはあるまい。」
クロ「…きけんじゃ、ない?」
突然、クロの目が虚ろになる。
その瞳には、一切の感情がこもっていなかった。
クレイス「あーいや、ある一面を除いて、だな。」
頬をかくクレイス。
どちらにせよ注意だけはしておこうと、改めて留意しておくことにした。
…。
その後食事を済ませ、クレイスたちは用意された部屋へと向かった。
道中簡単に王宮の中の説明をしつつ、明日も一緒に食事をすることを約束した。
メルティナを客室へと送った後、自室に戻ろうとするクレイスの前に父バルレイが通りがかる。
クレイス「父上。」
バルレイ「クレイスか。今日は王宮へ一人連れてきたようだな。」
クレイス「はい、シスターのメルティナ・バランマーという者です。様々な場所を巡り救いを求める者に手を差し伸べているそうです。」
バルレイ「先程、あの者も旅の友とすると言っていたな。」
クレイス「バランマーが申し出てくれたのです。自分も勇者の力になりたいと。」
バルレイ「そうか。…これでお主の元に集まったのは何人だ。」
クレイス「レット・クラウディ、アキナ・フォート、メルティナ・バランマーの三名です。」
バルレイ「そうか。良き友を得たな、クレイスよ。」
クレイス「はい、皆には感謝しております。…ところで、父上。」
バルレイ「なんだ。」
クレイス「このようなことを申し上げるのは不躾かと存じますが、よろしいでしょうか。」
バルレイ「…申してみよ。」
最早何か策を練る時間すらもおしい。
クレイスは覚悟を決め、自身の心を進言する。
クレイス「はい。父上の命に背くなど、本来あってはならないことですが。どうか我が付き人クロも、同行させてはもらえないでしょうか。」
バルレイ「それは、旅の友にということで相違ないか。」
クレイス「その通りです。父上の命により、この王宮に住まう者を仲間とすることは禁じられています。」
クレイス「しかしどうか、クロを旅へと同行することを、お許しいただきたい。」
バルレイ「…。」
顎髭を撫でつつ思案に耽るバルレイ。
父の命令に背くというその行為から、クレイスは緊張に縛られる。
バルレイ「クロよ、お前の気持ちはどうだ。」
クロ「…いっしょに、いきたい。」
バルレイ「命の保証はないぞ、それでもか。」
クロ「…ん、それでも。」
バルレイ「クレイスよ。」
クレイス「はい。」
バルレイ「お主は、友を危険に晒す覚悟はあるか。」
クレイス「…。」
バルレイ「お主の元へと集まった者たちは、お主のためにその命を差し出す覚悟だ。」
バルレイ「そのような友に、お主は何をしてやれる。」
クレイス「…私は。」
それを、今までに考えなかったわけではない。
己の元へと集ってくれた三人の仲間は、心身を共に支え合う良き友となるだろう。
しかしそれは、元を正せばクレイス自身がそれを望んだからこそ。
三人の持つ力に魅せられ、魅入られ…それを欲した。
そしてそのわがままを、あの三人は受け入れてくれた…自分勝手な、その欲望を。
ならば、その恩にどう向き合うべきか…。
何を以ってすれば、この欲望と釣り合うのか。
…クレイスの出す答えは。
クレイス「…その命を、背負っていきます。」
バルレイ「…。」
クレイス「もし仮に、友の命が失われたとしても、私はその者のことを決して忘れることはありません。」
クレイス「後悔も、無念も、怒りも、悲しみも、その者の心を全て受け止め、前へと進みます。」
クレイス「思いを受け継ぎ、共に生きます。」
死しても尚、共に在り続ける。
彼らが、自身に対してその身を捧げてくれるのなら…私もまた、彼らにこの身を捧げると…。
そんな、呪いにも似た誓いを聞き届け…バルレイは。
バルレイ「…よろしい、お主の覚悟、しかと耳にした。」
バルレイ「クロの同行を許可しよう。クロよ、我が息子を頼むぞ。」
クロ「…ん、まかせて。」
クレイス「ありがとうございます、父上。」
バルレイ「…私は書斎へと戻る。お主も体を休めるのだぞ。」
クレイス「はい、おやすみなさいませ。」
クロを仲間とすることを認められ、クレイスは心の中で安堵に浸る。
そして同時に、己が口にした誓いを噛み締める。
元より、負けることは許されない。
その身を犠牲にしてでも、魔王を倒すことは覚悟していた。
しかしそれは、正義を語ってはいてもどこまでも己の中にある感情でしかなかった。
他人を犠牲にする覚悟。
その覚悟の重さを、クレイスはようやく理解した。
…。
メルティナ「まあ!それではクロさんもご一緒に旅に行けるのですね!」
つい先程客室を後にしたばかりであったが、この件を報告しないわけにはいかない。
クロの同行が許可されたことをメルティナに伝えるために客室へと戻ってきたクレイス。
やはりというかなんというか、その報告を受けたメルティナの表情は明るかった。
クレイス「ああ、そういうことになる。」
メルティナ「わたくしホッと致しました。先程食堂でお会いした時はとても厳格な方に見えましたので、説得は難しいと思っていましたが…。」
クレイス「父上も考えに考えを重ねてのご決断であろう。その思いを無碍にせぬよう、私は改めて心に誓った。必ず魔王を打ち倒すと。」
クレイス「よければ明日は、メンバー全員で顔合わせができればと思っているのだが、メルティナはどうだ?」
メルティナ「依存はありません。しかし他の皆様は大丈夫なのですか?」
クレイス「恐らく問題はない。…一人は、ある意味では問題があるかもしれないが。」
メルティナ「はい?それはどのような…。」
クレイス「まあ、メルティナが気にすることではない。明日、他の者も王宮に連れてこよう。」
メルティナ「楽しみですわ、どんな方がいらっしゃるのでしょう。」
クレイス「メルティナであれば問題なく馴染めるだろう。では、私は部屋に戻るな。」
メルティナ「あの、クレイス王子。折り入って頼みがあるのですが…。」
クレイス「なんだ?」
姿勢を正し、真剣な眼差しでクレイスを見つめるメルティナ。
その瞳には、一点の曇りもなかった。
メルティナ「どうか夜の間、クロさんを貸していただけないでしょうか。」
クレイス「…は?」
そう、一点の曇りもなく、メルティナは己の欲望に忠実であった。
メルティナ「神に誓って、やましいことは一切致しません!ただほんの少し、眠るまでの間クロさんを抱きしめさせて欲しいのです。」
クレイス「…と、メルティナは言っているが。クロ…。」
答えは分かりきっているが、念のためクロに確認するべく視線を落とすと…。
そこには、真っ青な顔で震えるクロの姿があった。
クレイス「…すまないが、クロが耐えられそうにもないから我慢してくれ。」
メルティナ「そうですか、残念です…。」
メルティナも、恐らくダメ元で聞いただけなのだろう…その要求に対して、そこまでの執着は見せなかった。
クレイス「まだ会って間もないだろうに、クロのどこが気に入ったのだ?」
メルティナ「どこ、と言いますか…。全てです!」
クレイス「す、全て?」
メルティナ「はい!こんなに可愛らしくて愛らしい存在は他にはありません!」
メルティナ「なのに、この思いはクロさんには届かないのですね…とても残念です。」
クレイス「クロも決して、メルティナの事を嫌っているわけではないのだ。…な、クロ。」
クロ「…めるてぃな、こわい…。」
クレイス「…。」
どことなくその言葉が弱々しく聞こえたのは、気のせいではあるまい。
メルティナ「いいのです、今はまだこの愛は届かずとも、わたくしは諦めませんから!」
クレイス「ほ、ほどほどにな…。」
クロ「…レイ、いこ。」
クレイス「…そうだな、そろそろ戻ろうか。」
メルティナ「もう行ってしまわれるのですか?」
クレイス「明日になればまた会える、そう悲しそうな顔をするな。」
メルティナ「仕方がありません、明日まで我慢致します。」
クレイス「そうしてくれ。ではなメルティナ。」
メルティナ「はい、おやすみなさいませ。」
明日になればまた自分は生贄になるのか!
そう宣告されたような気分になり、しかしだからと言って他にあの欲求を満たせるものがあるはずもなく…。
適度に可愛がられることを覚悟するクロであった。
…。
自室へと戻ってきたクレイスとクロ。
今回の一件で疲れ果ててしまったクロは、力なくベッドに横たわっていた。
それに寄り添うようにして、クレイスもベッドに腰掛ける。
クレイス「大丈夫だったかクロ。ずっと怯えていたようだが…。」
クロ「…もう、だいじょうぶ。」
クレイス「メルティナにあのような一面があるのは驚きだったな。」
クロ「…あしたは、かおあわせ?」
クレイス「そうだな。レットとアキナが来られればだが…まああの二人なら来てくれるだろう。」
クロ「…ここに、よぶの?」
クレイス「ああ、そのつもりだが。」
クロ「…あきな、ここにがてっていってた。」
クレイス「そうだったな。…まあそこは我慢してもらうしかないな。流石にレットの工房やアキナの家に押しかける訳にもいかないしな。」
クレイス「さて、なんにしても、今日は休むか。」
クロ「…ん、ねる。」
今日この時を以って仲間は集った。
レット、アキナ、メルティナ、そしてクロ…運命を共にしその運命に立ち向かう者たち。
己を信じその身を託す彼らに報いるためにも、必ず成し遂げる。
…必ず、魔王を倒すと。