第二話:それぞれの思いの果て
それから約五ヶ月が経ち、いよいよクレイスたちは魔界を目指すべく結界へと足を踏み入れた。
その頃ディサイドは『とある』ものを生成しようとしていた。
ディサイド「もうじき勇者一行がこの魔界に来る…。ウェロルとディバルバは所定の位置に付いてもらう。」
ウェロル「かしこまりました。」
ディバルバ「おう!やってやるぜ!」
ディサイド「スペルアとボルデッドは城と住民の防衛…万一突破された際は避難の指揮も頼む。」
スペルア「はいよ、了解。」
ボルデッド「…任セロ。」
ディサイド「私はこれより『魔界』の生成に入る。あとは各自指示通りに。」
ディサイドは謁見の間から立ち去り、奥の部屋へと消えていく。
ウェロル「…はぁ、よりにもよってこんな時期に勇者がやってくるとは。」
ディバルバ「お前さんは年中引き篭っておるだろうが、たまにはディサイド様の役に立って損はないぞ。」
ウェロル「分かっておる。…だからこそ今、こうしてここにいるのではないか。」
ウェロル「それよりも心配なのはお前の方だディバルバ。勇者一行をそれぞれ孤立させる…そんな器用な真似ができるのか?」
ディバルバ「馬鹿にするでない、そんなものこの魔剣で吹っ飛ばせばいいだけよ!」
馬鹿でかい大剣を掲げるディバルバ。
ウェロル「おい、ここでそんなものを振り回すな、馬鹿者が!…まったく、これだから脳筋は。」
スペルア「それにしてもディサイド様は流石だな、世界を創造することができるとは…毎度のことながら尊敬するよ。俺だったらそんな面倒なこと死んでもやりたくないね。」
ウェロル「ディサイド様にしか成しうることの出来ない芸当だ。魔術を使わずあれだけのものを作り上げるのだからな。」
スペルア「魔術ねぇ…相も変わらず無駄なものを研究してて楽しいか?」
ウェロル「無駄を馬鹿にするな…無駄があるからこそ、研究のしがいがあるというもの。突き詰められたものはそれ以上の探求が行えない。無駄な部分があるならば、それはまだ探求できる余地が有るということだ。」
スペルア「無限に等しい命を持っているんだぞ俺たちは。…この世の全てを探求し尽くしたらどうするんだお前は。」
ウェロル「分からん、その時が来ないことには。…そんな先の未来を見るより、私は今自分の目の前にあるものを解き明かしたいのだ。」
ディバルバ「筋金入りじゃのぅ。」
ボルデッド「デモ、役ニ立ツ時モアル。アノ結界ノオカゲデ人間、入ッテコナクナッタ。」
スペルア「そういえばそんなものもあったな。…まあ、役に立ったといえばあれくらいか。」
ウェロル「あれには防御というよりは、互いの世界を隔離させるためのものだ。互いに行き来できない状態にすることで互いの世界の平穏を保つ…。それは、人間がこちらの驚異に怯え勇者を出さないためでもあったが…。」
スペルア「勇者はこうして現れた。…しかも今回の勇者は歴代でも最強クラス。やっぱり、千年経ったのはでかいな。」
ボルデッド「ココマデ攻メテキテモ、オレガ守ル。」
スペルア「そうならないためにも、お前らはきっちりと役目を果たしてくれよな。」
ディバルバ「ふっ、誰にものを言っている。俺様に任せておけば百人力よ!」
だが、そんな視線をものともせずディバルバは胸を張り自らの拳でそれを叩く。
スペルア「いや、お前が一番の不安要素なんだけどな…。」
…。
一方、書斎へと帰ってきたディサイドは下準備を進めるべく椅子に腰掛け目を閉じた。
呼吸を整え、静かに息を吐くと魔界の生成を始めた。
人間界から見て西に存在する魔界、ウェロルが作り上げた結界のその中心に魔王城がある。
町並みは北、西、南に広がっており、東側に建築物はなくその周辺を棲み家としているのは野良の魔物だけである。
このどこまでも広がる荒地にディサイドは建物と、そして住人を作り上げていく。
十人が住まう住処はもちろん、この『魔王城』も。
本拠点にわざわざ招き入れる必要もない…偽物を作り上げそこに勇者を誘い込むのだ。
無機物の生成は実に順調だった、魔力を注ぎ込み形作れば良いだけなのだから。
その数は膨大ではあるが作業自体は単純であるため、次々と何もない荒地に家が建っていく。
一通りの建物を並べ、次は住人の製作に入る。
その土地にいるであろう魔族を適当に配置していく。
うなだれて生気のこもっていない目をしているその魔族たちは、ディサイドの意識を介することによって、その瞳に光を宿し動き始めるのであった。
何百、何千、何万という傀儡全てを、ディサイドは自ら操り演じた。
その内の一体何人が勇者を見ることが出来るのだろう。
数にしては恐らく三桁にも及ばない…だがディサイドはそれについて思考を巡らせたのは、もう随分と昔のことだ。
何が起こるか分からない、だからこそ偽りの世界へ勇者を誘いそこで討たれる…そうして物語を作り上げていく。
全ては、自分を慕い尽くしてくれる仲間のために。
全ては、同胞を勇者の魔の手から救うために。
…。
そんなディサイドには、気がかりなことが一つだけあった。
それは人間界のトップに君臨する者…即ち現国王バルレイ・バーミリオットである。
実の息子が勇者として名乗り出た彼の心境を、ディサイドは慮っていた。
時を遡ること約一年、それはクレイスが勇者としての名乗りを上げそれをバルレイに宣言した翌日。
バルレイは何をするでもなく、書斎にある椅子に腰掛けただただ机の上を見つめていた。
そして思いつめていた…実の息子が勇者となったことに対し嘆き、悲しみ、怒り…その感情を何にぶつけるでもなく押し殺していた。
そこに突如として音もなく現れたのはディサイドだった。
ディサイド「貴様の息子が、勇者として名乗りを上げたらしいな。」
バルレイ「こ、これはディサイド様。ご無沙汰しております。」
突然の来訪に驚いたバルレイは取り乱したが、ディサイドはそれを気にする風ではなかった。
ディサイド「こちらにも情報は来ている。今までと同じく、こちらでも手筈を整えるつもりだ。」
バルレイ「は、かしこまりました。お手を煩わせて申し訳ありません、あなた様が自らご報告下さるとは。」
仮にも、人間界のトップに君臨するこの男。
そんな男でさえ、ディサイドの前では媚びへつらう下民と大差ない。
それほどまでにディサイドという男は恐れられ、崇められているのだ。
ディサイド「よい、私の意志だ。…それともう一つ、提案があってきたのだ。」
バルレイ「提案…ですか。」
それは、いつしか自分ではなく人間の手で行われるようになったこと。
時の流れと共に、勇者を殺す役目は同種の人間によって成されるようになっていた。
それは人間が自ら受け入れたことなのだ…しかし今回はそれを行わせるのは忍びないと思い、ディサイドはその役目を買って出る。
ディサイド「勇者を殺すのを、私に任せてみないか。しばらくその役目はお前たちのものであったが、今回ばかりは私に譲っても文句は言われまい。」
そう、これまでの決まりごと通りに行動するならば…ディサイドを倒したあとのクレイスを殺すのは、バルレイの役目なのである。
実際に直接手を下すわけではない…しかし、暗殺部隊を派遣し自分の息子を殺させるのだ。
それを、自らの意思で行わなければならないのだ。
その残酷なことを、ディサイドはさせたくないのだ。
だがバルレイは、首を横に振る。
バルレイ「有難い申し入れ、感謝致します。しかしこれは、我々人間の役目にございます。あなた様のお手を煩わせるわけには参りません。…ご安心ください。」
自分の提案が受け入れられるとは、最初から思っていなかった。
だが自らの立場を弁え、それに尽くそうとするバルレイの姿勢を見て…ディサイドは少しの間、言葉を失った。
それは悲しみであったのかもしれない…決して覆ることのない運命、この物語の結末は既に決まっているのだ。
そのことをバルレイは受け入れているのだ…クレイスが勇者となった今、いずれ死を迎えることは明白。
いや…それよりも前に分かっていたのだ。
クレイスが自らの前に跪き、謁見を求めた時には…あるいは、それよりも前に決まっていたのかもしれない。
ディサイド「…覚悟は出来ているのだな。」
その言葉は、自分の提案を拒否したバルレイを受け入れたものであった。
バルレイ「はい…これも定めなのでしょう。神を呪う気持ちもありますが、それも無駄なこと。幼少期、弟のパスティーユに与えた別宅にて勇者に触れ、感化された時から危惧しておりましたが…。まさか本当に、我が息子が勇者になろうとは。」
床を見つめるその目は、あまりに遠くを見ているようだった。
ディサイド「確か…二十歳を過ぎた時、勇者についての一切が語られるのであったな。」
バルレイ「はい、我がバーミリオット家では成人を意味する二十歳を境に、勇者の全てと我々の役目を説きます。」
バルレイ「我が弟パスティーユも私と同様、父よりそれを学びました。…しかしパスティーユはその事実を受け入れようとはせず父を困らせました。」
ディサイド「お前の弟もまた、盲信の者であったのだろう。」
バルレイ「はい、これまでに幾度となく痛感いたしました。…元々英雄譚を好むパスティーユはこの時より一層勇者の記録を集めだし、それに染まっていった。」
バルレイ「そして私が妻と結ばれ、クレイスがこの世に生を受けるまで…それは続いた。」
バルレイ「危惧した私はパスティーユに勇者の記録を全て捨てるように説きました…しかしそれを受け入れる弟ではなかった。」
バルレイ「そのことで我々の間の溝は一層深くなり、ついには弟をこの王宮から追放。」
バルレイ「そう遠くない土地に家を建て、家族を養っていけるだけの金と…万一の時のため、私の使用人を何人か渡し…我々は決別した。」
バルレイ「しかし王族の血は僅かに繋がりを残した。…数は多くなかったが、顔を合わせることはあった。」
バルレイ「その僅かな隙を突いて、あやつはクレイスに勇者の本を見せた。…私はこの時ほど己を呪ったことはない。」
ディサイド「そうして勇者に魅入られ、憧れを抱くようになった…。」
バルレイ「激怒した私は、かつての使用人と内密に連絡を取り…弟を殺せを命じた。…その者には申し訳ないことをしたと、後で気が付きました。」
バルレイ「憤慨する私の顔を見ても、決して感情的になることもなく命令を淡々とこなし…その命を散らせた。」
バルレイ「私はただただその者を死なせてしまった…その死に意味を与えてやることもできず。今も時折思い返せば、自責の念に駆られます。」
目を閉じ過去を吐露するその姿には哀愁が漂っていた。
全てが無意味、全てが無駄足…我が子を勇者から遠ざけようと様々な手を尽くしたが、その全てが水泡に帰した。
バルレイ「仕来りに惑わされることなく、幼き頃クレイスに勇者の全てを説いていれば…とも思わずいはいられません。」
ディサイド「それも無意味であっただろうな。…全ては結末に集約される、その過程はあくまでも道筋に過ぎない。貴様の子がこの世に生を受けた瞬間、勇者となることは確定した…この世界の意思によって。」
ディサイド「貴様がどれだけ手を尽くそうとも、周囲がどれだけ諌めようとも…結果は変わらなかったであろうな。」
バルレイ「…『勇者は生まれながらにして勇者』…その言葉の意味を、私はこの身を持って知りました。」
ディサイド「なればこそ、もう十分であろう。貴様は十分に、我が子に尽くした…自ら手を下すことはないのではないか。」
ディサイドは再び投げかける。
まだ間に合う、勇者を殺すというその役目を…私に譲れると。
バルレイ「なればこそ…です。この役目は…他の誰でもない私が行うべきなのです。自らを罰するからこそ、我が子を愛するからこそ…私はこの手を、息子の血で染めなければならないのです。」
しかしバルレイは譲らなかった。
それをすることによって償いができるとは、バルレイも考えてはいないだろう。
自らを罰したところで何が変わるわけでもない…その後悔は、一生涯背負っていくのだろう。
故に、忘れることのないよう胸に刻み込むために…自らの手で行う。
確固たる意志を見せるバルレイに、ディサイドはそれ以上踏み込みはしなかった。
バルレイに別れを告げ、魔界へと帰る。
ディサイドの胸は、僅かに怒りを感じた。
それは運命に抗うことのできない自分に対してなのか、理不尽な運命を強いる世界に対してなのか…あるいはその両方か。
決して失敗は許されない…この物語で散りゆく命のためにも、この世界に残る多くの命のためにも。
全ての者に報いるため、ディサイドは作り上げる…理想の物語を。
全てが途方に終わる…悲劇の物語を。
…。
ファウス「おーっすレットー、また来たよー!」
レット「あ、どもっス。」
魔王討伐の旅立ちの前日、ファウスはクラウディ武具屋を訪れていた。
ファウス「何だ何だ、反応薄いぞー。」
レット「いやー、流石にもう慣れたっスよ。」
ファウス「うーむ、新しい来店の仕方を考えるか…。」
レット「普通でいいっスよ。…で、今日はどうしたんスか?」
ファウス「うん、いよいよ明日出発でしょ?ざっくりとしたものだけど作戦があるからそれを伝えておこうと思ってね。旅に出たら、こうして逢引することもできなくなるし。」
レット「いつからオレっちたちは恋仲になったんスか。」
呆れ顔のレットが言う。
ファウス「なんだよー、レットはわっちじゃ不服だっていうのかー。」
レット「そういうわけじゃないっスけど…そもそも釣り合うわけないじゃないっスか。結魔のファウスさんと一介の人間のオレっちとじゃ。」
ファウス「そんな悲しいこと言うなよー。「種族の壁なんて関係ない、オレはお前を愛してるんだ!キラッ☆」ぐらい言ってみろよー。」
レット「ファウスさんにはオレっちのことどう見えてるんスか…。」
ファウス「いい男だと思うよ?その顔なら十人同時に交尾とかできるとわっちは睨んでる!」
レット「とんだゲス野郎っスね…。」
ファウス「まあまあ冗談はさておいて。作戦なんだけど…肝心な部分を担当してる奴がバカでねー。半ばアドリブみたいな感じにはなるかな。」
ファウス「ディバルバっていうアホな結魔がいるんだけど、そいつが勇者たちを散り散りにさせる。そしてお仲間の一人にウェロルっていう研究バカが魔術を教える。…こんな感じかな?」
レット「ほんとにざっくりしてるっスねー。」
ファウス「ディバルバがどうやってレットたちを分断するのかはその場任せだし、ウェロルもどうやって魔術を教えるかはその時の状況次第だかんなー。まあこんなふわっとした作戦だけど、一応頭に入れておいてね。」
レット「あ…ちなみに聞いてもいいっスか?」
ファウス「ほいよ、なんか分かんないところあった?」
レット「魔術って…なんスか?魔法とは違うものなんスか?」
ファウス「んー、わっちもウェロルから軽く聞いただけだからよく知らないけど…形式が決まってる魔法、みたいな感じかな?その形式ってやつを知ってれば誰でも使えるんだって。」
レット「あー、なるほど…?」
ファウス「まあ今の説明だけじゃ分かんないよな…ってか、わっちもよく分かってないし!ともかく、レットは今まで通り勇者の仲間として動いてくれればいいよ。」
レット「了解っス。」
ファウス「意外とやること少なくて驚いてる?」
レット「そうっスね。もっと色々やらされるのかと思ってたっス。なにか武具に仕込んだりとか、偽の情報を流すとか…そんな感じかと思ってたっスね。」
ファウス「なんとなくスパイって言い方してるけど、実際はただの偵察みたいなものだからねー。物語の進行に不具合が生じたらそれに対処する…そのために潜り込む必要があるだけだから。むしろ進行の妨げとなるものを排除することの方が大事だからね。それに、ただ単に頭数のためにいるだけでもいいんだ…それだけ犠牲となる人間が少なくなるからね。」
レット「今回だと…クレっち、クロっち、アキナっちの三人ってことっスよね。これって少ない方…ってことでいいんスか?」
ファウス「そだね、今回は少人数で抑えられたかなー。勇者本人のスペックが高いってのが大きいと思うけどね。勇者本人に力がないと、それを補うために仲間の数が増えるから。」
レット「それって、本当だったらオレっちやメルティナ様の代わりに誰かが仲間になってた…ってことっスよね。」
ファウス「うん、そうだと思うよ。流石にそれを試すことはないと思うけど…二人とも優秀だから、もしかしたらもう二、三人増えてたかもしれないけどね。そう考えるだけでもレットは充分役に立ってるんだよ?なんたって本当だったら殺されるはずの見ず知らずの人を救ったんだから。」
レット「…実感沸かないっスけどね。」
ファウス「まああくまでも仮定の話だからね。変に未来に期待するより、現状を受け入れて前に進むしかないのさ。」
レット「なんかかっこいいこと言ってるっス。」
ファウス「ふふん!知らなかったのかい、わっちはこう見えても同性から好かれる質なんだぜ!」
レット「あ、それはなんとなく分かるっス。ファウスさん男前なとこあるっスもんね。」
ファウス「バカ野郎!こちとら純情な乙女でい!」
レット「どっちなんスか!」
ファウス「乙女はいろんな顔を持ってるってことだよ、覚えておきな…。」
レット「無駄にハードボイルドっスね…。」
ファウス「さーて、無駄話に花も咲いたところだしそろそろお暇しようかな。」
レット「なんか今日は、無駄にテンション高くなかったっスか?」
ファウス「…緊張は解れたかい。」
レット「…っ。」
ファウス「おねーさんを甘く見ないで欲しいな、そのくらいお見通しだよ。…初めて戦地へ赴くようなものなんだ、体が強張るのも無理はないさ。戦う戦わないに限らず命の危険があるからね…もしも、なんて考えることはあったんじゃない?」
レット「気付いてたんスね…。」
ファウス「別にそのくらい普通さ、今時の人間なら尚更…魔族だってそうさ。わっちらもある程度は慣れたけど…それでもある程度だよ。完全に恐怖が消えるわけじゃない。」
レット「ファウスさんでも怖いんスね。」
ファウス「とーぜんだよ!いくら負のエネルギーで体は修復できるからって痛いものは痛いし、それに…消されればそれまでなのは人間と変わらない。人間より死ににくいってだけさ。」
レット「…ファウスさん、一つお願いしてもいいっスか。」
ファウス「お、なんだい。不安だから今晩は一緒にいて欲しいのかな~?」
レット「そんな欲望丸出しのお願いじゃないっスよ!…気合を入れて欲しいんス。」
ファウス「ほうほう。」
レット「オレっちの背中、思いっきり叩いてもらってもいいっスか。」
ファウス「ん!いいよー。じゃああっち向いて。」
くるりと背中を向け心の準備を整えるレット。
ファウス「それじゃあ思いっきりいくよー!」
レット「バシっとやってくださいっス!」
魔族の、まして結魔と称される彼女の平手打ち。
並みの獣のより遥かに高い身体能力を持つファウスの一撃が、レットの背中に繰り出される。
次の瞬間、レットは壁にめり込むように激突しそのままズルズルと床に崩れ落ちた。
全くの予想外、平手打ちが来るものと構えていたレットの背中にはファウスの足がクリティカルヒット。
全力で蹴り出されたレットは当然衝撃に耐えることはできず、声を出す間もなく沈められた。
レット「ちょっと!普通こういう時は平手打ちじゃないんスか!」
素早く立ち上がり文句を言うレットに対し。
ファウス「そんな甘っちょろいこと言ってたら、この先生き残れないよ!大丈夫、骨は折らないよう気を付けたから!」
レット「そういう問題じゃないっス!」
ファウス「でも、今の調子だよ。何にでも噛み付いて歯向かうくらいじゃないと、戦場では生き残れない。」
レット「…。」
ファウス「生に執着する人間の力は凄いんだから、レットももっと自分を信じて頼ってやんな。そうすればきっと、答えてくれるはずさ。」
レット「ファウスさん…。なんか色々、ありがとうございますっス。」
ファウス「ん、その顔ならもう大丈夫そうだね。じゃあ明日から頼んだよ!」
レット「はいっス!」
…。
窓の外から聞こえる僅かな音にメルティナは気が付いた。
近付きその音の正体を確かめると呆れ顔で窓を開ける。
メルティナ「…はぁ、あなたは。わざわざわたくしに会いに来なくて良いのですよ。」
ファウス「そんなつれないことゆーなよー、わっちとメルティナの仲だろー。」
メルティナ「あなたのことですから誰にも気付かれずここまで来たのでしょうけれど…時を弁えなさい、今は大事な時なのですよ。無闇な接触は避けるべきです。」
ファウス「そう言いつつ窓を開けて中に入れてくれるメルティナが、わっちは大好きだよ!」
開かれた窓から音を立てることなく入室、メルティナの了解も取らずにベッドに腰掛ける。
メルティナ「来てしまったものは仕方がありません。…紅茶でも入れましょうか?」
ファウス「あれって無駄に匂いがいいから苦手だ。お菓子とかある?」
メルティナ「そこにある戸棚に仕舞ってあります。わたくしは紅茶の用意を致しますので。」
それからしばらくは会話はなかった。
互いに準備を進め、テーブルの上にそれらが並べられた。
メルティナ「…もう少し綺麗に盛り付けることはできないのですか。」
ファウス「いいじゃん、お腹に入ったら全部同じだって!…それにしても、いい匂いだよねーそれ。これで味がないんだからほんと訳分かんない。」
メルティナ「元々紅茶は香りを嗜むものですから。…それで、今更なんの用ですか。」
ファウス「冷たいこと言わないでよ、しばらく会えなくなるんだからこうして顔見せに来たんじゃん。」
メルティナ「今は部屋に周囲に人気はありませんからいいですが…もしもの時は、分かっていますね。」
ファウス「ん、そこは大丈夫。わっちだってディサイド様の邪魔はしたくないもん。そこはメルティナと同じ。」
ポイポイと菓子を口に放り込みながら足をぶらつかせるファウス。
ふとその手が止まり、下を向き呟くようにメルティナに言う。
ファウス「ねえメルティナ。…いつまで続くんだろ、これ。」
メルティナ「…。」
ファウス「いつか終わりが来るのかな。いつかみんな戦わなくなって、それぞれが幸せに暮らす日が…来るのかな?」
日常にある疑問を口にするように、ファウスはメルティナに語りかける。
その投げかけられた問いに、メルティナはカップに映る自分を見つめながら答える。
メルティナ「ディサイド様ならあるいは、その問いに答えられるのでしょうけれど…わたくしには分かりません。そのようなこと、考えたこともありませんから。」
ファウス「そっかぁ…そうだよねー。」
メルティナ「突然感慨に耽ってどうしたのですか?あなたらしくありませんよ。」
ファウス「んなっ!失礼だなー。わっちだってこれでも色々考えてるんだよ!」
メルティナ「それは分かっています。ですが、そういったことを口にすることは少ないのではないですか。」
ファウス「まあ、そうだね…。」
メルティナ「ならばなぜ今、なのですか?」
ファウス「んー、ほんとにふと思っただけなんだけど…。なんでこんな世界があるんだろ?って考えちゃってさ。誰だって痛いのは嫌じゃん?なのになんでみんなお互いを傷つけるのか、わっちには分からないんだよね。みんなで楽しくわいわい過ごすことはできないのかなーって。」
メルティナ「それは、現状では難しいでしょうね。こちらから手を出すことをなくしたとしても、人間には『勇者』がいますから。」
ファウス「そうそれ!なんで毎回のように勇者が現れるの?勇者がいなければみんな傷つくことも…。」
メルティナ「それは違いますよファウス。勇者がいるからこそ、この程度で済んでいるのです。ディサイド様は仰っていました、我々という敵がいるからこそ人間は一枚岩となることができる。それが崩れてしまえば人間同士の争いが起きると。」
メルティナ「つまりこれは、世界を保つために必要なことなのです。あなたも、それは理解しているでしょう。」
ファウス「分かってる…分かってるけどさぁ。なんかそれって悔しいじゃん、結局わっちらがいくら頑張っても争いは無くならないってことでしょ?そんなのみんな報われないじゃん。人間も、魔族も、魔物も、勇者も、ディサイド様も…みんな。」
吐き出す言葉は次第に勢いを落とした…何かを堪えるように。
メルティナは口を付けていたカップを一度置くと、独り言のように呟き始めた。
メルティナ「確かに、報われないのかもしれません。わたくしも、ディサイド様が手を尽くしているにも関わらず一度たりともこの因果を断ち切ることができないことに…そのことについてお役に立てていないことに歯痒さを感じることもあります。…きっとわたくしたちは正しい目で世界を見ることが出来るのだと思います。しかしそれはわたくしたちの中にある『正しさ』であって、世界の『正しさ』はまた別にあるのでしょう。」
メルティナ「ですから、良いのではないですか。あなたはあなたの『正しさ』を貫いても。自分が納得するまで徹底的に足掻き、自分が理想とする世界を作ろうとするのを。それは誰に止められるものではありません。もし、自分の『正しさ』を否定するものが現れたのなら、そのまま自分の『正しさ』をぶつけてやれば良いのです。」
メルティナ「ディサイド様は、今もそうされています。あなたもされてみては如何ですか。」
ファウス「…。」
かけられた言葉に、ファウスはしばし呆然とした。
世界は誰にでも平等ではない…しかし、なにかの目標を持ちそれに向かうことは誰にでもできる。
決して叶わない夢だとしても、それに向かって歩き続けることはできる。
命が尽きることのない魔族は、悠久を時を過ごす。
なればこそ、とことんまで世界と、自分と向き合ってはどうか。
そうファウスに、メルティナは問いかけるのであった。
しばらくの無言の後、ファウスはすっと立ち上がりメルティナの元まで近付く。
メルティナ「…?どうされたのですか?」
そして押し倒さんばかりの勢いで抱きつき、椅子が傾く。
メルティナはカップに入った紅茶が零れないよう調整し、静かにソーサーに置く。
メルティナ「危ないではないですか、紅茶が零れたらどうするおつもりです?」
ファウス「…ありがとね、メルティナ。」
首に手を回し抱きつくファウスは、メルティナの髪に顔を埋めながら言う。
ファウス「頑張ってみるよ、わっちも。でもさ、あんまし頭使ったことできないからその時はメルティナを頼ってもいい?」
メルティナ「もちろんです。ディサイド様のお手伝いの片手間でよければ。」
ファウス「ふふ、メルティナはほんとにディサイド様のこと好きだよなー。」
メルティナ「ええ、あの方の幸福がわたくしの幸福ですから。」
ファウス「ん、その代わりメルティナもなんか手伝って欲しいことあったら言ってくれよな!」
メルティナ「脳筋が必要な場面が果たしてくるのでしょうか…?」
ファウス「んなっ、脳筋はディバルバの方だろ!わっちはあそこまで馬鹿じゃないもん!」
メルティナ「そうでしょうか、あまり変わらないように見えますが。」
ファウス「むーっ!」
頬を膨らませ、威嚇するように毛を逆立てる。
メルティナ「そこまで言うのでしたら、是非実現させてみてください。あなたの思う理想の世界を、わたくしに見せてください。」
ファウス「いいよ、見せたげる。あんな奴よりずーっと賢いってところ、メルティナに見せつけてやるんだから!」
語気荒く、元いた場所に戻るファウスを眺めながらメルティナは紅茶を口に付け思う。
メルティナ「(楽しみにしていますよ。…あなたが目指す世界はきっと、ディサイド様の望む世界と同じですから。)」
二人は夜が明けるまで談笑を続けた。
遠く、果てのない未来を語り合いながら。
いつか必ず、望む未来が来ると…そう思いを馳せながら。
永久に訪れることのない希望を、夢見ながら…。