第二話:凱旋
レット「…ようやく、戻ってきたっスねー。」
アキナ「ほんとね、なんだか懐かしいわね。」
メルティナ「まだここを離れて一年しか経っていないのですから驚きです。」
クレイス「それだけ濃密な一年だった、ということだろう。」
クロ「…。」
一年前、勇者として旅に出たクレイスたち。
魔界の王たる魔王ディサイドを倒し、王都ヴィストリアへと帰ってきた。
その達成感を胸に、一行は再び王宮へと足を踏み入れる。
…。
バルレイ「…よくぞ帰ってきた、勇者クレイスよ。そしてその仲間たちよ。」
クレイス「はっ、クレイス・バーミリオット。使命を果たし、王宮へと戻ってまいりました。」
謁見の間、玉座に座る現国王バルレイ・バーミリオット。
その前に跪き頭を垂れるクレイスたち。
バルレイ「その言葉から察するに…魔の国の王、魔王を討ち取ることができたのだな。」
クレイス「はい。私の付き人クロが、討ち果たしてくれました。」
バルレイ「ほう、クロが…。」
クロ「…。」
バルレイ「よくぞ、使命を果たした。ここにいる誰か一人でも欠けることがあれば、この勝利はなかったであろう。」
バルレイ「こうして皆が揃って生還できたのも、偏に、仲間と共にあったからである。」
バルレイ「そなたらには、まだやるべきことが残っておる。旅の疲れもあるだろうが、これも国民のため…勇者一行としての役目を、果たしてくれるか。」
クレイス「はい、お任せ下さい。」
力強く頷くクレイス…他のメンバーも異論は無いようだ。
バルレイ「ではこれより凱旋である!馬車を用意せい!」
使用人の手配した場車に乗り込み、クレイスたちは王都ヴィストリアを凱旋していく。
勇者クレイスが帰還したことを王宮が各地に触れ回り、数時間もしない間に王都には人が押し寄せた。
その勇姿を一目見ようと、各地から集まった人々がクレイスたちに拍手喝采を浴びせる。
その人だかりにクレイスたちは圧倒されたが、その歓声に応えていく。
あまりの人の多さに途中で交通規制がかけられたほど、王都はかつてないほどの盛り上がりを見せた。
凱旋は夜遅くまで続き、クレイスたちが王宮に戻ってきた頃には深夜の十二時を回っていた。
バルレイ「ご苦労であったな。」
クレイス「いえ、魔王との激闘に比べればこの程度なんてことはありません。」
バルレイ「…すっかり逞しくなったな。」
バルレイ「明日より、お前たちに謁見を求める者が殺到するであろう。しばらくは対応に追われることになると思うが、頼むぞ。」
クレイス「はい。」
魔王討伐は、あくまで人間界を平和にするための区切りの一つでしかない。
驚異がようやく排除された今、次は国民のために身を粉にする。
争いのない、無益な殺生が当たり前とされる時代に終止符を打つため…今度は王子として、クレイスはその役目を果たしていくこととなる。
…。
アキナ「ようやく帰ってきたってのに、休む暇はなさそうね。」
クレイス「皆は休んでいてもいいぞ、私の方で対応は済ませておく。」
レット「なーに言ってるんスか。オレっちたちも同席するに決まってるじゃないっスか!」
メルティナ「そうですよ、仲間外れはよくありません。」
クレイス「いや、別にそういうつもりで言った訳では…。」
アキナ「はいはい、今日はとにかくもう休みましょ。明日からまた忙しくなるんだから。」
アキナ「クレイスも、変に気を遣わくていいの。ここまで一緒にいたんだから、最後までやらせて。」
クレイス「わ、分かった。」
それから連日、クレイスたちは謁見を求める者の対応に追われる日々を過ごした。
記者や学者、果ては隣国の国王など、様々な人間が次々とクレイスたちの元へ訪れその功績を称えた。
英雄として祭り上げられる中激務に追われること数週間、一日だけ暇をもらったクレイスたちは市街地へと繰り出していた。
クレイス「凄いな…。どこも賑わっている。」
メルティナ「小耳に挟んだお話ですが…わたくしたちが戻ってきた時から、このようなお祭り騒ぎが続いているとのことです。」
アキナ「みんな暇してるのねー。あっ!あれ美味しそう!」
レット「そう言いつつがっつり食いついてるじゃないっスか…。」
クロ「…(モゴモゴ)。」
レット「…クロっちはクロっちで、なんかすごい勢いで屋台にかぶりついて食いまくってるっスけど、あれは大丈夫なんスか?」
クレイス「お代を払おうとはしたのだが、店主に断られてしまってな。流石に申し訳ないので、後で使いの者に頼んできちんと支払うつもりだ。」
レット「そうっスよねー、最初は気前よく笑顔で接客してたあの店主、今は材料の在庫を気にして裏をちらちら見てるっスから。」
クレイス「まあしばらくは放っておいていいだろう。今日はクロが満足するまでは帰れないからな。」
レット「恐ろしいもんスねぇ、クロっちの食欲は…。」
メルティナ「ただ今戻りました~。宜しければ皆様もどうぞ。」
いつの間に姿を消したのだろう…屋台から戻ってきたと思しきメルティナの両腕に、大量の食べ物が抱えられていた。
アキナ「ちょっ!あんたこれ買い過ぎじゃない!?全部食べきれるの?」
メルティナ「はい、この程度朝飯前です!」
レット「飯の前にご飯って…もう意味分かんないっス。」
クレイス「激務が続いていたからな。たまには、羽を伸ばすのも悪くないだろう。」
活気に満ち溢れる国を見てクレイスは思う。
ああ、これが私の望んでいた平和なのだな…と。
それはまだ片鱗でしかないのかもしれない…しかしその片鱗をこの目で見ることができて改めてその心に誓う。
民の笑顔溢れる国作りをしていこうと、そのために己の出来るうる限りのことを全力で行っていこうと。
そう…誓うのであった。
…。
バルレイ「…ついに、この時を迎えてしまったか。」
その日の夕暮れ…夕日に赤く染まる書斎にてバルレイは一枚の写真を手に取り呟いた。
そこに写っているのは幼き頃のクレイス。
勇者になるべくしてなった我が息子の過去を振り返りながら、バルレイは感傷に浸る。
バルレイ「…今更悔やんでもどうにかなるものではない。こうなることは、二年前から決まっていたのだ。」
バルレイ「あの日、クレイスが私に勇者になると宣言した日に…。」
バルレイ「クレイスよ、勇者としての勤めを果たすのだ。」
バルレイ「それでこの世界の均衡は保たれる。…お前の望む世界へと変えてゆける。」
???「…この世界は変わりなどしない。」
不意に背後から声が聞こえ振り返るバルレイ。
気配もなく突然現れたその人物は、真っ黒なローブに身を包み悠然とそこに立っていた。
バルレイ「!…いらしていたのですか。」
???「世界は、一つの節目を迎えたまでだ。…結局は、あの結界も意味はなかった。ただ勇者の出現を遅らせるしかできなかった。」
???「…時に、バルレイよ。今からでも私に任せてみてはどうだ?」
バルレイ「いえ、とんでもない。あなた様の手を煩わせるなど…。これは、私共『人間』の役目でございます。」
???「…そうか、だがあやつは手強いぞ。歴代の勇者の中ではトップクラスの実力の持ち主だ。」
バルレイ「必ずや成功させてみせます。」
???「そこまで言うのであれば任せるが、不測の事態が起きた際には必ず報告を。」
バルレイ「承知しております。」
???「…バルレイよ、辛くはないか。」
バルレイ「覚悟はとうの昔に出来ております。…これも運命なのでしょう、ならば私はそれを受け入れるまでです。」
???「…すまないな、私にもっと力があれば。」
バルレイ「何をおっしゃいます!あなた様がいてこそ、この世界の均衡は保たれているのです!」
???「お前は良き国王だ、バルレイ。…互いに、民を導こう。」
バルレイ「勿体無きお言葉…。人間界は、私にお任せを。」
???「頼むぞ、では私は失礼する。」
バルレイに別れを告げると、その者は闇を発し溶けるように姿を消した。
そしてバルレイは、ある人物たちを呼び集める。
全ては今夜起こる出来事の予兆。
定められた運命、抗うことのできない未来に希望はあるのか。
それは誰も知ることができない。
自らの運命でさえ、思い通り描くことはできないのだから…。
…。
レット「いやー、今日は楽しかったっスねー。」
クレイス「いい息抜きになったな。」
アキナ「明日からはまた仕事しないとだけどね。」
レット「アキナっち、今それを言うっスか…。」
クレイス「…。」
メルティナ「どうかされたのですか?クレイス王子。」
クレイス「いや、今夜の食事会。やたらと父上が張り切っていたと思ってな。」
アキナ「国王も、なんだかんだ言って嬉しいんじゃない?だって、自分の息子が世界を救ったんだから。」
メルティナ「浮き足立つのも、自然の道理かと。」
クレイス「そうだな。…さて、そろそろ寝るとしよう。明日に差し支える。」
各々が用意された寝室へと向かう。
そして日付が変わり午前二時、安らかに就寝していたクレイスはその異変に気付き意識を覚醒させる。
クレイス「(…ん?…!これは…っ。)」
薄目を開けてみると、毒々しい色をした煙が床を覆い尽くしているのが見える。
クレイス「(毒ガス!?…まだ部屋に充満はしていないようだが。それに…伏兵がいるな。…天井裏か。)」
思わず体が反応しそうになったが…その身に迫る危険が一つでないことを感じ取り周囲の状況を注意深く探る。
ガスの発生源はどうやら天井のようで、そこには黒服に身を包んだ伏兵が数人息を潜めていた。
何やら壺のようなものを傾けガスを流し込んでいるのか、部屋の角からガスが流れているのが確認できた。
流石に向こうもこちらが目覚めたことに気付いたらしくそれぞれ弓を構え始める。
クレイス「(…まずいな、武器も紋章も手元にない。この場での反撃は不可能か…ならば。)」
弓矢が放たれる前にクレイスは体を反転させ、素早くベッドから抜け出す。
そしてその勢いのままテーブルの上に置いてある紋章と、同じくテーブルに立てかけてあるアルティパール・ラスタリスを手に持ち、ドアへ向けて駆け出した。
クレイス「(…なぜだ、この王宮にそう簡単に賊が侵入できるわけがない。それもあれだけの数…。何者かが手引きした?)」
現状は把握できたが、この状況を作り出した原因は分からない…内通者がいることを一瞬疑ったが。
クレイス「(いや、それよりもまずは皆の安否を確かめなければ。今のところ、城内に異変はなさそうだが…。)」
クレイスは伏兵の正体よりも、仲間の安否の方が気掛かりだった。
ドアをぶち破り廊下へ出たところ周囲に異変はないようだが、隣や向かいの部屋の中で何が起こっているかまでは見当が付かない。
僅かに躊躇している内に黒服の者たちも奇襲は失敗したが逃すつもりはないらしく背後から追ってくる。
ひとまずその黒服たちを倒してしまおうとクレイスが紋章を展開していると、隣の部屋からクロが転がり出てきた。
クレイス「クロ!無事か!」
クロ「…なに、あれ。」
クロの出てきた寝室からも、クレイスの使っていた寝室同様毒ガスが溢れ出していた。
そしてそのガスの中天井から降り立つ数名の黒服…状況としては全く同じようだ。
クレイス「分からん、私も今し方襲撃されたところだ。」
メルティナ「クレイス王子!」
クレイス「どうしたのだ!?」
向かいの部屋から出てきたのは、足を引きずり苦痛の表情を浮かべるアキナを抱えたメルティナだった。
メルティナ「アキナ様がわたくしを庇って怪我を…。」
アキナ「…別に、このくらい平気よ。」
弓矢が刺さるその右足からは大量の血が流れており、まともに動ける様子ではなかった。
しかしこうして悠長に話している間にも、各部屋から黒服が押し寄せてくる。
クレイス「メルティナ、アキナの手当は任せた!クロ、なんとして死守するぞ。」
まだ寝ぼけ眼であったクロは自分の頬を叩き気合を入れる。
クレイス「…レットも無事でいてくれればいいが。」
レット「ちょっ!それはまずいっスって!!!」
クレイス「っ…レット!」
この場にまだいない仲間のことを考えている内に、レットが隣向かいの部屋から必死の形相で逃げ出してきた。
しかしその顔色は気味の悪い紫色で、明らかに人体に異常をきたしていることを示していた。
レット「クレっち!このガスなんなんスか、思いっきり吸っちゃったっス。」
威勢よく飛び出してきたレットだが、ガスを吸った影響か突然その場に崩れ落ち力なく横たわる。
背後に迫る黒服は、これ幸いとばかりに短剣を抜き出しレットに襲いかかる。
クレイス「…私の仲間に、手出しするな!!!」
激昂したクレイスは感情に身を委ね、アルティパール・ラスタリスに纏わせた光の斬撃を放つ。
ローブは切り裂かれ黒服たちは鮮血を撒き散らしながら倒れていく。
どうやらそのローブの正体は魔装装束のようだったが、クレイスの斬撃はそれをも容易く切り裂いた。
仲間を傷付けられそうになり、クレイスの目は完全に据わっている。
クレイス「…メルティナ、レットの手当もしてやってくれ。」
メルティナ「はい、お任せ下さい。」
まだ冷静な判断はできる…そう内心で、どこか他人事のように自分を分析するクレイス。
圧倒的なその力を目の当たりにした他の黒服たちは、攻めるべきかどうか考えあぐねているのか…クレイスたちを取り囲むように陣取ってはいるが手を出してくる様子はない。
クレイス「悪いが、今は頭血が上っている。…少々手荒くなるが、先に仕掛けてきたのはそちらだ。」
すっと息を飲み込むと、クレイスは目にも止まらぬ速さで黒服たちに斬りかかる。
この場合、黒服たちはどう判断しどう行動するのが正解だったのだろう。
殺意をその身に宿したクレイスは、容赦なく黒服たちを切り捨てていく。
数にしておよそ二十人程度だろうか…その場にいた黒服の誰もが目の前に死が迫るのを体感しただろう。
感情に身を任せるクレイスであったが、黒服たちに止めを刺すことはなく意識だけを刈り取っていく。
全ての黒服が床に倒れるまで、そう時間はかからなかった。
気を失い、力なく横たわる黒服たちをクレイスは順々に魔法で作り出した光のロープで拘束していく。
その正体はなんなのか、指示を出した人間がいるとするならばそれは誰なのか、どうやってこの王宮に忍び込んだのか…何故クレイスたちを狙ったのか。
それら全ての疑問を、彼らから聞き出さなければならない。
黒服全員を縛り上げたクレイスは、仲間の安否を確かめる。
クレイス「二人とも大丈夫か。」
アキナ「ええ、メルティナのおかげで。」
レット「ほんと、メルっちがいなかったら…オレっち今頃死んでたかもしれないっス。」
メルティナ「それで、この方たちは一体…。」
クレイス「分からん、王宮に賊が侵入するなど前代未聞だ。クロ、他に気配はあるか。」
クロ「…たぶん、いない。」
クレイス「ということは、狙いは私たちか…。」
自分たちを狙う者…その心当たりを思案するクレイスだが…。
???「やはり、傷を負わせることすらできぬか…。」
クレイス「…!お前は…っ。」
突如その者は、音もなく現れた。
黒服たちと同じようにその身を黒いローブで覆い隠し闇より姿を現した彼は、戦場には似つかわしくないほど落ち着いた口調で呟く。
???「どうやら、時間をかけるほど正の力は勇者に蓄積されるようだな。」
驚くほど冷たく発せられるその声…そして何よりも、その身に感じる邪悪な魔力の気配。
それは、クレイスたちに絶望と死を叩きつけ消え去った…この世にいるはずがない人物であった。
クレイス「…ディサイド、なぜ…お前がここに。」
ディサイド「再び相見えることができたな、勇者クレイスよ。…そこの黒服に変わって、我が相手を致そう。」
フードを取り素顔を露にしたディサイドが指を鳴らすと、黒服たちが闇の渦に飲み込まれていく。
拘束した光のロープは消滅していき、残る黒服たちはその渦に飲まれ音もなく姿を消していった。
アキナ「あんた!…クロが倒したはずじゃ。」
ディサイド「そのようなこともあったな。…しかし『その私』は役目を終え消えた。次は我が役目を果たす時。」
クレイス「…魔王が不死身であるという伝承は本当だったのか。」
魔王が復活するということは文献によって確認済みだが、それが同一人物かまでは記されていなかった。
だが、今目の前にいるディサイドがその回答を示してくれた。
魔王は蘇る…もっと端的に言ってしまえば、『魔王ディサイド』は蘇る…幾多の勇者を前に倒れたディサイドは今、再びクレイスの前に立ちはだかる。
ディサイド「その答えは、自らで確かめることだな。…哀れな盲信の勇者よ。」
クレイス「…っ。」
かつての敵を目の前にしたクレイスだったが…ディサイドに対し殺意を向けるでもなく敵意をむき出しにするでもなく…ただ困惑していた。
魔王が蘇ることは知っていた…多くの文献からその事実を知り、その正体もディサイドと言う同一人物であるということに疑いはない。
しかし何故こんな短期間で魔王が蘇ったのか…魔王は数百年単位をかけなければ復活しないはず。
己の中の常識とのズレが、クレイスの思考を鈍らせる。
ディサイド「安心しろ勇者よ、貴様は今宵人間界の英雄となる。…その命を散らすことによってな。」
クレイス「…っ!」
そんなクレイスの戸惑いなど、眼前のディサイドにとってはどうでもよかった。
一瞬、ディサイドから魔力が溢れ出したかと思うと、クレイスたちは黒く丸いカプセルに包まれていく。
抜けていく体の力に抗うこともできずに、クレイスたちは視界を闇に染めながらゆっくりと意識を手放していった。
…。
クロ「…?」
クロが意識を取り戻すと、そこにはただただ闇が広がっていた。
そんなどこまでも果てのない闇の中、クロとディサイドは対峙していた。
ディサイド「…貴様のような存在がこの世に現れるとはな。やはり、人間と魔のものを完全に断ち切ることなど到底不可能ということか…。」
クロ「…!」
瞬時に状況を把握したクロは、以前あの魔界の処刑場で使用した魔術を再び行使しようと呪文を唱えようとするが…。
クロ「(…なんで?)」
魔王を倒せるだけの魔術を…その呪文を欲したクロは、何度も何度もウェロルの研究書に目を通しそれを覚えたはず。
覚えたはず…しかしクロが紡ごうとしたその呪文は、その口から発せられることはなかった。
ディサイド「言葉を紡ぎ出せないであろう。我が貴様の記憶の中から消去したからな…あの時のようにはいかん。」
記憶の消去…その言葉に衝撃を覚えたクロだったが、使えないものは仕方がないと割り切り、得意の肉弾戦闘に切り替える。
クロ「…っ!」
ディサイド「ほう、歯向かってくるか…この状況で。」
獣化したクロは勢いよく飛びかかり、その鋭い爪がディサイドに向け振り下ろされる。
しかしそれをディサイドは手の甲で軽くあしらう。
魔法で迎撃されたように弾かれるクロ、空中で体勢を整え着地と同時に素早く地面を蹴る。
命を刈り取らんばかりの猛攻、しかしディサイドはそれらをその場から動くことなく対処していく。
ディサイド「無駄だ、貴様如きに我を討ち取ることは叶わん。」
クロ「…やってみなきゃ、わからない…!」
ディサイド「…やはり変わらぬか。貴様も、あの勇者と何ら違いはない。」
クロ「…?」
攻撃の手を止めるクロ、その隙を突きディサイドは闇と同化するように音もなく迫り、黒い光を放つ靄を纏った右手を突き出した。
弾け飛ぶように宙を舞うクロ、ディサイドは何者をも寄せ付けぬ冷たい目のまま追撃を加える。
クロと同様、爪を引っ掻くようにその身を切り裂いていく。
何度も、何度も何度も。
黒きローブを身に纏ったディサイドは暗闇と共にその姿を現し、クロに傷を負わせる度に暗闇に消えていくようだった。
空中へと放り出されたクロはその猛攻を躱すことができず、ただただ耐えるしかなかった。
体を丸めて身を守ることさえできなかった。
ディサイドの姿を捉えることすらままならなかった。
暗黒のフィールド、この暗闇は最早ディサイドの一部と化していた。
クロは攻撃を受けながらにしてそのことに気付いた。
…これは、自分の戦闘スタイルに酷似していると。
かつて魔王城で見せたような大掛かりな魔法を使うこともなく、ただひたすらに己の肉体を駆使し相手を追い詰めていく。
俊敏な動きで相手を翻弄し、その鋭く大きな爪で切り裂く。
辛うじて見ることの出来たディサイドの手の指は人間のそれではなく、黒く、そして鋭敏であった。
次々に激痛が走り、体が悲鳴を上げる。
しかしそれも次第に感覚をなくしていった。
意識が薄れようとしていく。
だが、突然ディサイドはクロの首を掴み持ち上げる。
クロは苦痛に顔を歪ませながらも、拘束から逃れようと締め付けるその手を外そうとする。
しかし消耗しきった体では思うように力が入らずビクともしなかった。
クロ「…は、なせ。」
抵抗する言葉に力強さはなく、か細い声しか発することができない。
ディサイド「…貴様は、なぜ己がこの世に存在するか疑問に思うことはなかったのか。」
クロ「…?」
ディサイドのその問いに、クロは答えることができなかった。
いや、その質問の意図がクロには理解できなかった。
ディサイド「貴様には二つの道があった。…だが貴様は人間と共にあることを望んだ。」
クロ「…なにを、いって。」
ディサイド「薄々勘付いてはいたのだろう?…貴様がなにものであるか。」
クロ「…。」
ディサイド「貴様はこの世に生まれてはならぬ忌み子。本来であれば、人間界から排他されるべき存在。…しかし。」
ディサイド「勇者クレイスによって、貴様は存在の根本を覆すこととなった。」
ディサイド「それは貴様にとって祝福するべきことなのだろう。…だが。」
ディサイド「この世から望まれぬ存在であることに変わりはない。例え勇者クレイスと共に在ろうとしても、貴様に背負わされた宿命からは逃れられない。」
クロ「…なにが、いいたい。」
ディサイド「今この時まで生きながらえさせてくれた勇者クレイスに感謝するのだな。勇者クレイスと共に暮らす日々は幸せであっただろう。」
クロ「…ぼくは、しなない。…お、まえを…たおすまで、は。」
ディサイド「…ほう。」
クロ「…おまえがいると、レイのゆめがかなわない。…だから…っ。」
ディサイド「主人思いだな。だが貴様の願いは決して叶わぬ…例え我を殺したとしてもだ。」
ディサイド「我は不滅の存在、その身が滅ぼされても我という存在が消えることはない。世界の闇より幾度となく蘇る。」
ディサイド「人間がこの世に存在し続ける限り永遠に、な…。」
その言葉が死刑宣告と言わんばかりに、ディサイドはその右手を剣に変える。
黒く鋭いその刃は『死』そのものを表しているかのようであった。
ディサイド「ここまで確かめたが、やはり世界の在り方が変わることはないようだ。」
ディサイド「いくら世界の住人が手を加えようとも、世界そのものに抗えるはずもない。」
ディサイド「『我々』は、残酷なこの世界で踊られるしか…道はない。」
クロ「…ころ、すの。」
ディサイド「生かして帰すわけにはいかぬのでな。…恨むのなら、自らを運命に縛ったこの世界を恨むのだな。」
ディサイドはその右手をクロの心臓に突き刺す。
だがその痛みを感じることもなく、クロはだんだんと意識が薄れていく。
クロ「(…レイ、ごめんなさい。…でぃさいど、たおせなかった。)」
脳裏に浮かぶのは、人生の大半を共に過ごしたクレイスの顔。
クロ「(…まだ、おんがえし…できてないのに。…ごめんなさい。)」
瞼が落ちゆくその目に、涙が溢れる。
クロ「(…もう、レイに会えない。…もう、レイといっしょにごはん…たべられない。)」
クロ「(…もっと、もっとレイといたかった。…レイのゆめ、いっしょにかなえたかった。)」
クロ「(…さいごにおわかれ、したかったな。)」
クロ「(…『ありがとう』って、いいたかったな。)」
溢れた涙が頬を伝う。
その雫がこぼれ落ちる時、クロは最期を迎える。
魔術の代償ではない本物の死を迎えたクロは、その後決して蘇ることはなくその短い人生に幕を下ろした。
森でクレイスと出会い、その身を保護されたクロ。
王宮で暮らす内に次第に心を開いていき、常にクレイスと共にあった。
『魔王を倒し世界を平和へと導く』…そのクレイスの願いを、叶えるために。
自分を全てを捧げる覚悟があった、時には命を投げ出すこともあった。
クレイスはそのことを咎めたが、クロはそれでも、クレイスに夢を叶えて欲しかった。
平和な世界で平和に暮らすクレイスのために。
王子として、次期国王として国民を導くクレイスのために。
その手助けがしたいと思った。
願いが叶うことはなかった…だがそれでもクロは最後まで願わずにはいられなかった。
どうか、クレイスの望む世界になるようにと。
無口な少年クロの思いは、最期を迎えるその瞬間まで…クレイスと共にあろうとした。
…。
ディサイド「…世界を変えることなど、私には到底できぬということか。」
自分の右手を突き刺したクロの体を座らせその右手を引き抜く。
左胸にぽっかりと穴の空いたクロを、まるで労わるように静かに横たえる。
そして涙の跡の残る頬に手を添える。
ディサイド「すまない、私に力がないばかりに。憎き私の一部となるのは不服だろうが…私が、お前の思いを背負い続ける。」
そう言って立ち上がったディサイドは背を向け歩き出す。
その姿は、暗闇に溶けるように消えた。