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短編

ID帰納法

作者: kisk

 かつて数々の冒涜者が進化論などと言う荒唐無稽な詭弁を支持していた頃、愈々(いよいよ)終末が到来し、キリストの復活、死者の蘇生が立て続けに起こった(のち)、遂に最後の審判なる時が訪れた。もちろん私は生粋のキリスト教徒であったから、日々の敬虔(けいけん)なる祈りが効を奏し、永遠の命を授けられ、楽園にて毎日を暮らせられるに至った。

 ところで、有限寿命の当時に暮らしていた世界では、愚かな理論――進化論――に対抗すべく、当時で主流だった論理的な文体に合わせたI(インテリジェント)D(デザイン)説なる、よく考えなくとも自明な理論が打ち立てられていた。ID説――宇宙のありとあらゆる現象は、唯一神により定義づけられた物であり、ましてや我々生命というものが神の手によりデザインされたというのは言うまでもない――という説である。私はこの説を支持していた。当然だ。生命のような精巧な仕組みが、偶然の積み重ねにより生み出されたなどあるはずがない。しかし、当時の愚かな冒涜者達はこの理論を(ことごと)く歯牙にも掛けないでいた。彼等の冒涜も束の間、やがて、かの最後の審判が到来した折に、ID説は非の打ちどころのない真理へと証明、昇華された。冒涜者達は、審判の前で泣き叫び、罵倒し、悪魔として地獄に落とされた。

 全てを見ておられた天の使い、神の子キリストは、審判の合間々々の呟き――我々にとってはとても意味のある呟きだ――にて、ふとID説に関わる言葉を()らした。

 『唯一神たる主はアダムを創らしめ、次に彼の肋骨からイヴを――』と、云々。

 ちょうど審判を間近にしていた私は、その厳粛なる呟きを耳に挟みながら、ウンウンと頷いていたのだが、それから間もなく呟やかれた言葉が、私を仰天させた。

 『主が唯一神と言うのは、数を増やした人々が言伝の際に伝え(たが)えた誤りで、実際は、主は唯一神と呼ぶべきではなく、更にその上――主を創造しめた、それこそ唯一神と呼ぶべき存在が君臨している』と。

 なんと、主は唯一神ではない? 私は耳を疑ったが、楽園に訪れてから程なく、同じような話を周囲から聞き入るようになった。やがて発行され始めた楽園の新聞――主は過日の広報術を快く受け入れなさった――にも、同様の記事が記されており、殊によれば、数々の天使が躍起になってその唯一神の在り処を探しているらしい。それを知り得た時、私は天から霹靂(へきれき)を打たれた心地であり、(しばら)くは、茫然と楽園を彷徨(さまよ)い、途方に暮れていた。しかし、これを認めるこそが、救済を受け神の使いへと改まった人々に課せられた試練だと気付いた時、俄然(がぜん)私は「是非とも、神の使いの一人として、その探求に心血を注ぎたい」と、猛然たる意志に駆られて、主に祈り、懇願し、やがて、一人の研究員として認められた。

 私はその時から全ての時間を研究に費やし、他の天使に劣らぬ熱心さで、主の望む唯一神の存在を探し求めた。

 そしてほんの昨日――(おおよ)そ三千年の時を費やした(のち)――、遂にさる存在と相見(あいまみ)えたのだ。

 涙腺が、聖域を洗い流した大洪水のようであった。天からも、主が咽び泣く声が届く。誰もがその存在に感嘆し、涙を流し、遂に我々の帰属する場所へ辿り着いたのだと確信した。

 程なくして、主に従う我々共々(ともども)、さる存在――唯一神――への追従を誓い、天の果てしなく崇高な声――試練を待ち望んだ。

 私が、さる存在の主を創造せしめた理由を学んでいる折に、遂に待望の試練が主を通して私の元に届いた。

 さる存在曰く、

 『我々を今世に創らしめた唯一神の在り処の探究に、楽園中の力を以てして協力せよ』と。

 私はまたもや霹靂に打たれた。それも在りし時の比では無く、脊柱の芯を赤熱した鋼の槍で貫かれた気分だった。それほどまでに私が受けた衝撃は甚だに尽き得ず、それを知った数刻後には卒倒してしまうまでに至った。

 さる存在は、唯一神ではないのか?

 さる存在曰く、更なる上位世界が我々の世界を包んでいるらしい。

 ここで私はID説なる理論を思い出した。我々の宇宙で巻き起こる全ての巧妙な事象は、神の意志によりデザインされたものである、という説だ。言うまでもなく、今、さる存在が頂くこの世界にてもID説は健在であり、そうであるからこそ、さる存在は、更なる上位存在を御認めになられているのである。

 敬虔なる私はここで初めて疑問に思った。「果たして、唯一神たる存在は、本当に存在するのであろうか」と。このまま、唯一神たる存在を探求し続けたとして終わりが来るのであろうか。そもそも、唯一神たる存在は何故存在しているのであろうか。どこから、どのように生まれたのだろうか。

 上位の存在を類推するほど愚かしく冒涜的な事はないだろうが、やはり私はしないではいられなかった。

 もし唯一神が偶然の(おぼ)()しにより、上位世界に君臨せられているのだとしたら、我々が崇めるべきは、その放埓(ほうらつ)を極める偶然なのではないか? まさか! だとしたら、我々は何の道徳規律も統べない、傍若無人の手の平の上ということになる。唯一神たる存在が、そのような悪辣(あくらつ)な存在に淵源(えんげん)を据えているなど、ある筈が無い! 増してや、更に考えを進めると、まるでその偶然こそが、我々の求むる唯一神のようではないか!

 私の考えが間違っているのだろうか。今し方、さる存在が認めるID説を帰納してこのような結論に辿り着くのは、私が途中経過を()(さら)い、極めて飛躍的な論理へと後退させてしまったからなのだろうか。

 きっとそうに違いない。それではまるで、愚者どもが信奉していた愚論中の愚論――進化論のようではないか。偶然が積み重なり、世界が今の様な形態を取った――。信じ難い、実に信じ難い。むしろ、これは誤謬(ごびゅう)の極まる所にあるだろう。

 神に仕える私が、このような謬説(びゅうせつ)を導いてしまうとは、なんと情けないことか。

 神よ、お許しください。私はこの通り愚か者ですが、永遠に主へ使える事を誓うております。この信仰心に銘じて、今後ともこの研究に携わることをお許しください。

 天啓、主は、快く受け入れてくださった。

 やはり、偶然が唯一神であるなど有る筈が無い。心無い彼等――悪魔の温床――が、主のような限り無く寛容で、限り無く博愛を知見なさる存在を創らしめることなど不可能なのだ。

 よって、私は以後も主の、さる存在の(おぼ)()し通り、唯一神たる存在を追い求める。そして、それがいくら長旅になろうとも、私は渡り抜いて見せよう。ここには救済により授かった永遠の命があるし、また生来から受けた数々の幸福・恩寵への恩義が、私の奥底に眠る情熱を、主の頼みを報いることへ駆り立たせるのだ。唯一神の探求――いったいどれほどかかるだろうか。しかし、きっと終わりが来る筈だ。なぜならば、唯一神は、必ず存在しているから、偶然などに帰結することなく、必ず確固たる存在として私達の前に現れるに違いないから――。

 改めて確信する。この旅は、永遠とはかからない。間違いなくかからない。むしろ、この長旅を駿馬(しゅんめ)の如く、最後まで(はし)り抜けてやろうぞ。主から(あつ)い信頼を授かる私なら可能に違いないのだ。

 この誰よりも劣らない私の情熱は、仮に永久の時が経てたとしても、決して燃え尽きることなど有り得ない。それは、偶然が唯一神でないことよりも、明らかな真実である。

(*´_`)。o (読んでいただき、ありがとうございました)

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