死にゆく魔王と異世界の少女
一千年の栄華を誇った城が崩壊する。
もう本当は限界だったのだ。ずっと前から。この城も、この国も。たった一人の血をにじませ骨を擦り減らす様な努力で辛うじてもっていた。魔王と呼ばれる孤独な王様の命を削って成り立っていたすべてが、今終わる。
玉座に脱力した様に腰掛け、重たい瞼を閉じる。本当は座っているのもやっとの状態だったが、ここで終わりにすると決めていた。全ては此処で始まったから。
何千といた家臣も武人も使用人ももういない。聞き分けが悪かったがちゃんと避難してくれたようだ。城の者も民達もきっと遠くから全ての終わりを見届けているだろう。どうか絶望しないでほしい。きたるべき時がきただけだ。生きているだけで希望はある。君達がつくる新しい世の中を見れないのが少し残念だ。
「まおーさま。」
少し気の抜けた発音の少女の声が聞こえる。いつもの畏敬の念よりも親しみをにじませた声。
「やぁシノ。」
この国では少し珍しい黒い髪と黒い瞳。異国の顔立ちをしているが、本当はもっと遠い異世界から迷い込んだ少女。
「あの勇者君たちに負けちゃったんですね。」
「あぁ。やっぱり彼ら強かったよ。いつでも道を切り開くのは覚悟ある若者だ。彼らならこの国の国民達も悪いようにはしないだろう。」
「まぁ若いころのまおーさまならちょちょいのちょいでしたね!今はいくらお若くみえても一千歳のおじーちゃんなんですから。」
「お、おじーちゃ…。まったく、私にそんな口を利くのは後にも先にも君だけだよ。」
呆れたように笑う。ボロボロと崩れてゆく城も、遠くて啜り泣く国民達の声もないようにいつも通りのやりとり。終わりなんてないようで、心はとても穏やかで、少し切ない。
「これで終わりなんですね。」
「あぁ。すべてこれで終わりだ。これがすべての終わりだ。」
ずっと終わりを恐れてきた。
魔力を持った者たちが集まってできたこの国。魔力を持たぬ人たちから人外だと、魔族だと石を投げられ迫害されてきた者たちが寄り添ってできたのが始まりだった。魔力を持つものは魔法を操り、魔力にあわせて成長も遅い。自分とは同じ生き物にみえないのだという。とりわけ強大な魔力を持った青年を王に据え、一夜で城を作り、みんなで一から作った国だ。
だがいつの頃からか、この国の民達もの持つ魔力が少しずつ少なくなり、魔力を持たぬ人が増え、ついに魔力を持つのは建国より王座にいる青年だけになってしまった。この国では他国からの侵入を防ぐ結界も、栄養のない土地に作物を実らせるのも魔力だ。資源もなく不毛な土地で人々は魔力に依存して生活してきた。今までは国民すべてでまかなってきた魔力を、やがて魔王と呼ばれる青年がすべて補わなければならなくなった。いくら魔王が強大な魔力を持っていても、限界はある。自らのすべてを擦り減らしてもまだ足りぬそれを、彼は国の外の自然の生命エネルギーを吸収することによってまかなっていた。
国の外では森か枯れ、水は乾き、作物の実りが悪くなった。人々は貧しくなり、やがて教会の巫女により、すべての元凶は魔国の魔王だという信託が下されると魔王を倒すべく勇者が送られるようになった。
それでも魔王は生命エネルギーを吸収するのをやめることができなかった。国の外に出れば迫害される国民達を守るためにはそうするしかなかった。もう建国当時の仲間たちは自分を置いて死んでしまったが、彼らの子供達を守らねば。その一念が魔王を動かしていた。
そうして落ち行く砂時計の砂を必死に止めていた時に現れた少女。
言葉も通じず、見慣れぬ格好をして、最初は泣くばかりだった 。この国の国民ではないにしろ悪意を感じぬ様子に、保護したのが始まりだった。
やがて言葉も覚えこの国に馴染んだ少女はとにかく天真爛漫で、どこか疲弊したこの城に、毎日小さな事件を起こしては暖かな風を運んできてくれた。
そして彼女も知ってしまった。この国の実情を。そうして少女と魔王は二つの約束をしたのだ。
「まおーさま。みんなから伝言を預かってるんですよ。本当はね、みんなでそれぞれ色々言いたいことあったみたいなんだけど、伝えきれないから、みんなで話し合って決めた伝言なんですって。私物覚え悪いけど、これだけはちゃんと覚えてきたから聞いてくださいね。」
魔王様。申し訳ありませんでした。ずっとずっとあなたが苦しんでいるのを知っていました。ずっとずっとあなたが無理をしていたのを知っていました。私たちのために。私たちのせいで。申し訳ありません。そしてありがとうございます。ほんとうに。ほんとうにありがとうございます。私たちを守ってくれて、愛してくれて、ありがとうございます。敬愛なる魔王様。親愛なるお父様。この国が滅んでも、私たちの王様はあなただけです。一千年たっても子孫にあなたの愛を伝えます。魂が巡り、何万年たってもまたお会いしましょう。
「…以上です。ふふふ。まおーさまってば愛されてますね〜。子沢山。」
茶化すように笑う少女。
「ああ…そうか。そうだったのか。なんだか恥ずかしいな。無理をしていたのがばれてたなんて。格好つけてたつもりなんだがな。」
滲む涙を隠す余裕はないが、せめて口では平静を装う。
「みんな大好きな人が苦しんでいたらわかるものなんですよ。それが愛ってものです。」
うんうんと年端もゆかぬ少女か愛を語る。
それがなんだかおかしくて頬を緩ませる。
「勇者君たちにも会いましたよ。彼からも伝言です。
あなたのしてたことが正しかったのか間違っていたのか、俺がいましていることが正しいのか間違っているのかわからない。だがあなたの国民たちが迫害されるようなことはさせない。
ですって。自分の国に帰れば英雄の彼らが後ろ盾になってくれれば風当たりも弱まるとおもいます。もう安心ですね!」
「ああ、ほんとうに心強いな。」
今代の勇者は魔力持ちだった。きっともうこの世界には2人しかいない魔力持ち。貧しい村で迫害されて育ったが、国にその力を認められ勇者になった。魔王と同じ魔力持ちゆえに迫害され、魔王のせいで作物が育たず人々が飢えると魔王を憎んでいたが、シノからこの国の成り立ちをしり、何が正義かわからくなったようだ。
しかし彼は決断した。魔王は今更戻れない。世間では魔王を憎む声が高まり、生命エネルギーの吸収をやめさせなければ世界はどんどん飢えてゆくだろう。魔王も戦いの中で彼になら国民を任せられると感じたようだ。
「もう何も心配しなくていいんですよ。もう何も頑張らなくていいんですよ。お疲れ様でした。ほんとうにがんばりましたね。」
ジークさん
もう誰も呼ばない名前。遠い昔、魔力持ちだとわかる前に平凡な両親がつけた平凡な名前。建国時の仲間たちに呼ばれていた名前。今はもう彼女と私しか知らない。
「もういいのか。もう。そうか。もう大丈夫なんだな。」
「ええ、もう大丈夫です。」
少女がにっこりと笑う。
「シノ。ほんとうにありがとう。君が私の元に来てくれて、ほんとうにに幸せだ。こんなに穏やかな気持ちで終わりを迎えられるとは思わなかった。私のすべては今報われた。」
ゆるゆると目を閉じる。もう開いていることができなかった。少女の顔が見えなくなってしまうのが残念だ。
すると手に温もりを感じる。彼女が手を握ってくれたようだ。
「ジークさん。もうあなたはただのジークさんなんですから、約束守ってくださいね。
愛しています。結婚してください。」
「ああ。もちろん。私もシノを愛しているよ。私と結婚してくれ。」
少女と魔王が交わした約束。魔王がただの青年に戻れたら結婚するということだ。
「ふふふー。これで私たち夫婦ですね!!旦那様。」
「ああそうだな奥さん。」
じゃあ誓いのキスです!
ほとんどの感覚が鈍ったなか、唇への柔らかな感触。可愛らしい子供のようなキスだった。だが人生で一番幸せなキスだった。
「なぁ奥さん。幸せだ。」
「私も幸せです!旦那様。」
2人で手を握る。離さないように指を絡め、滅びの音を聞いていた。
「ねぇ旦那様。約束した日のこと覚えていますか?私がこの国のすべてをしって、1人で大泣きした日です。」
「ああ」
ああ、覚えているよ。君は泣いてくれたね。私を抱きしめて、何かを言おうとしたけど結局言葉にならなくて、その代わりに約束をくれたね。
もう長い言葉は話せなくなっていて、相槌しか返せないが彼女はすべてわかっているかのように話す。
「まおーさまがただのジークさんになったら結婚しようって。そして一緒に死のうって約束したでしょう?それが果たせてほんとうによかった。ジークさんと結婚できて一緒に死ねて幸せ。これでジークさんを一人ぼっちにしなくていいんだね。わたしももう一人ぼっちじゃないんだね。」
「ああ」
強大すぎる力を持ったがゆえにすべてを背負って孤独になった青年と、世界のすべてと乖離し一人ぼっちになった少女。
2人は今2人だけの結婚式を挙げて死んでゆく。それでも2人は満たされていて、幸せだった。
「また会おうね。旦那様。」
少女も目を閉じる。
そうしていつかまた出会う二人の物語が終わった。