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7.リサのお仕事

 時間は飛ぶように過ぎて行く。

 味のない朝食を虚ろな表情で食べ、『魔窟』に潜り、再び虚ろな表情で夕食、その後、当日のマッピングを二人であれこれと文句を付け合いながら修正した後で、翌日の探索計画を喧嘩しながら決め、死んだように眠る。その繰り返しだ。

 ジークとフィリンが探索を開始してから早くも五日が過ぎた。

 結論から言うと、いまだに無収入である。探索の成果と言えば、精度の怪しい地図が少し出来あがったぐらいだった。

 情報を収集して判明したのは、資源価値の高い物は最低でも地下四階層以降にしかなく、低層区画では主に魔物を狩って、その死体から剥ぎ取った素材を持って帰るのが主流だということだった。

 探索範囲はすでに第二階層の半ばまで広がっているが、その辺りこそビギナー用と認識されているらしく、枯渇寸前の魔物を追い回すチームで溢れかえっているのが現状だった。

地下三(チカサン)も似たような状況だって……」

「ってことは、最低でも地下四まで潜らないと無理か」

「そもそも無闇やたらに狩り過ぎなのよ。植物なんて全滅してるじゃない」

「地下四以降は危険度が跳ねあがるらしいから、低層にルーキーが溜まってるんだろ」

 などと、すっかりやさぐれた二人の会話は、怪しげな略語が混じり始めて、なおさら山師の哀愁が漂っている。金がないという逼迫感に追いまくられて疲労困憊し、帰ってきたらまずい食事に心を折られ、本人たちも自分が何をしているのか分からなくなってきているらしい。

「行って来ます」

 毎朝、ゾンビのような表情で挨拶する二人を見て、女将さんはリサに尋ねた。

「あの二人、大丈夫なのかい?」

 リサは苦笑いするしかない。聞かされている話を総合すると、今まで危険な場面はなかったようなので、特に心配することもなくなっていた。

 何だかんだと言いながら、地図の修正をしたり、探索の計画を練ったりしている時の二人はそこはかとなく楽しそうだったので、気の済むまで見守るべきだろうと、リサは判断した。ジークとフィリンはまったく知らないのだが、実のところ、しばらくは現状を維持する余裕ができていた。

 それと言うのも、リサが内緒でアルバイトをしていたからだ。まず午前中に図書館に行って、顔馴染みになった司書の手伝いで駄賃を貰う。その後、昼前に宿に戻って、食堂の手伝いをして、こちらでも駄賃を貰う。接客から料理まで、何でも器用にこなすリサは、早くも看板娘と見なされつつある。食堂の仕込み作業を終えてから、図書館に戻ってジークに頼まれた文献調査に当たって、夕方には戻って来る。また食堂で手紙などの代筆を頼まれる事もあって、それも幾らかの金になった。

 どう見ても転落人生に一直線の山師二人と異なり、リサはささやかに自活していけるだけの収入基盤を築きつつあった。

 とは言え、本来の働き手である二人が銅貨一枚も持ち帰れない状況では、片手間の手伝いで稼げましたとも言い出しにくい。

(せめて、お二人が安定して稼げるようになってから、生活費の足しとして渡そう)

 リサは二人の心情に配慮して、そう考えていたのだが、一向に探索組の成果は上がらず、言い出せないままのへそくりは少しずつ増えている。

「困りました」

 ジークが前払いした宿代の期限切れまで後一日しかない。へそくりを投入すれば、さらに一週間の延長ぐらいはできるのだが、ますます今さら言い出しにくくなっている。今夜辺りには切り出した方がいいのだが、どのように伝えるべきか悩みつつも、リサは今日も仕事をもらいに図書館に向かった。

 テウスの中央広場に面する図書館は、大陸でも有数の規模を持つ。蔵書が三千冊を超えるというのもそうだが、そもそも独立した建物として存在するのはここを含めて三、四都市ぐらいのものだった。

 基本的にはビブリオマニアの王侯貴族や大商人が、私邸の図書室に数十から数百の書を集めた文庫が主流である。公共事業として書物を集積し、さらに一般開放していること自体が珍しかった。これも『魔窟』による潤沢な予算の恩恵なのだろう。

 質、量ともに圧倒的な図書館に、リサも最初は驚かされた。閲覧可能な物だけでも相当の数があり、しかも書庫には未整理のまま作業を待っている書物が多数眠っているというのだから、なおさらである。

 そうした未整理書庫の目録作成が、いまのところリサの主な仕事だった。一冊、一冊の内容まで確かめて分類していく作業は、なかなかに骨が折れる。さらに整理する以上の早さで書物が届けられるので、終わりがない。

 そういった事情もあって、司書からは、

「いっそのこと、就職してくれないかな」

 と言われるほど、図書館は人手不足だった。

「おはようございます」

 いつも通りにリサは司書に挨拶をしてから、仕事に取り掛かろうとした。それを、この日は司書が呼びとめた。

「仕事の前に、ちょっと紹介したい人物がいる」

「それは構いませんが……」

 リサは小首を傾げて、司書の後ろに立つ男を見た。

 金糸の刺繍が施された上着に、パリッと糊の利いたシャツを着て、麦藁色の髪は丁寧に撫でつけられ、口元に小さく髭を蓄えている。その姿はどう見ても貴族階級だった。剣を帯びていない代わりに、宝飾された杖を携えていた。

「こちらはマーク・レイモン卿。私の上司で、君の話をしたら興味を持たれてね」

「初めまして。騎士団で書記長を務めるマークと申します。あなたのことは彼から、とても優秀だと聞き及びましたので、是非とも会って話をしたく思い、こうして機会を設けさせてもらいました」

 マーク卿は会釈をして、微笑とともに切り出した。年齢はおそらく三十代前半だろうが、書記長と言えば騎士団の文官を統括する重職であった。ただ丁寧な口調や柔和な笑みからは、あまり威厳のようなものは感じられなかった。

「これはご丁寧に痛み入ります。先日よりこちらでご厚意に甘えております、リサと申します。ですが、誇張されて伝わっているのではないかと、そのように感じますが……」

「謙遜することはありませんよ。あなたの仕事は私もこの目で確認しています。丁寧な良い仕事です。ついては、あなたさえ良ければ、城砦騎士団の嘱託員として働いていただきたいのです。無論、給金はこちらとは比較にならない額をご用意できます」

 薄々は話の流れが読めてはいたものの、それでもリサは驚かざるを得なかった。と言うより、わざわざ高位の騎士団員が自らスカウトに来ると言うのが、信じられない。

「過分な評価を頂いているようですが、わたしには自身にそれほどの価値があるとも思えませんし、なにぶん、わたしの一存では……」

「いや、これは失礼をば。話を急ぎ過ぎたようです。ただ、それほど優秀な人材を欲しているのだと、ひとまずはご理解いただきたいのです。まずはこちらの事情を知っていただきたいので、どうぞこちらへ」

 口調の否定的なニュアンスに、マークはリサの不審を素早く察知したようだった。話をするために、図書館の中に幾つかある談話室のひとつに招き入れた。

 談話室の中は、高価な調度が揃えられ、毛足の長い絨毯が敷き詰められている。大きく取られた窓からは、ガラスを通して初夏の日差しが降り注ぎ、テーブルや椅子の銀の飾り細工を煌めかせていた。

「どうぞ」

 リサに椅子を進め、自分もテーブルを挟んだ椅子に座ると、マークは少し間を置いてから話を始めた。

「ご存知かもしれませんが、我が城砦騎士団はさほど実行戦力を有しておりません。正騎士百二十名余りのうち、百名近くが行政官としての責務を負っているのが実情です。無論、準騎士や騎士見習いなども、ほぼ同様の比率です。テウスを統治し、『魔窟』と探索ギルドを管理し、資源の取引を統制するとなると、これほどの人員が必要となるのです。また、その効率化のために、我々は早くから官僚機構の整備を進めてまいりました」

「そのことは勉強させていただきました。ですが、現状を維持するための体制はすでに完成されているのではございませんか? 図書館は人手不足のようですが、行政面ではなんら問題はないように見えます」

「確かに」

 マーク卿は同意した。ゆったりと足を組み、言葉を選ぶように間を取ってから、再び口を開いた。

「現在の業務上で致命的と言える不足をきたしているということはありません。しかし問題がないとも言いきれないのです。これは仕方のないこととは言え、騎士団は世襲制ですが、ここに抜本的な問題があります」

「必ずしも後継者が十分な能力を持っているとは限らない、と言う事でしょうか?」

「賢い方と話をするのは楽しいものですね。そう、その通り。しかし、これは在野の人材登用による不安定な供給に頼るよりも、能力は劣るにしても幼少期から専門教育を受けた者を安定的に確保するという、現実的な対処でもあります。その辺りは識字率を例に取るまでもなく、ご理解いただけるでしょう」

 リサはうなずいた。これほど立派な図書館がありながら、来館者はほとんどが仕事上の調べ物をしに来る騎士団員だった。テウスに流入する人口の大半は、『魔窟』での一攫千金を夢見る、読み書きのできない貧困層の出身であることは想像に難くない。その中から官吏を見つけ出すのは難しいだろう。

「問題があるとすれば、身分の保障された官僚には、官僚たる自覚がないということです。水が低きに流れるように、人心もまた楽に傾くもの。次代の人材確保のための保護政策が、業務効率を低下させる要因でもあるのです」

 マークの声がわずかに高まった。そこに帯びた熱に、リサは彼への評価を少し修正した。理知的で温和ではあるものの、その内面には理想主義的な情熱が窺える。すると少しだけ納得できた。

 改善のために優秀な人材を喉から手が出るほど欲していて、今回は噂を聞いて居ても立ってもいられずにやって来たということか。

 マーク卿は熱くなった自身を戒めるように、軽く咳払いをした。

「私はより効率的なシステムの構築を考えていますが、急激な変化は混乱と反発を招きます。特に改革が既得権益を侵すようなものになれば、なおさらの事でしょう。とにかく事を成すためには時間がかかります」

「少し分からないのですが、それは改革のお手伝いと言うことでしょうか? それとも改革まで業務が破綻しないように、緊急事態に対応できる予備戦力を集めていらっしゃる?」

「両方――と言いたいところですが、当面は後者と思っていただいて差し支えないでしょう。どちらにしても、まずは騎士団の現状を肌で感じてもらうこと、業務に慣れてもらうことが先決ですから」

「事情は呑み込めました。僭越ながら、閣下の情熱も理解できます」

「では――」

「とても良いお話ではございますが、お受けするのは難しいかと」

「理由を伺ってもよろしいですか?」

 はっきりと断りを口にしたリサに、男は落胆を隠し切れない様子だった。未練を滲ませて尋ねてくる。隠すようなことでもないので、リサは正直に答えた。それが事情を説明したマーク卿への礼儀でもある。

「今のわたしはわたしを救ってくださった方へ、せめてものご恩返しをさせていただいているつもりです。その御方の頼みで調べ物をしておりますので、ご期待に添うほどには働く時間を取れないと思います。それに閣下は長期的な雇用を前提とされておられますが、わたしはいつテウスを離れるとも知れませんので、確かなお約束はできないのです。申し訳ございません」

「そうでしたか。いや、事情も知らずに無理なお願いをした私の不徳です。どうかお気になさらずに。ですが、どうか話だけでも持って帰って、ご検討を頂けませんか?」

 どうにも諦めきれない様子に、リサは仕方なく承諾するしかなかった。

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