5.城砦都市
ジークたちがのんびりと行程を進めて、目的地に辿り着く頃には、季節はすっかり春を通り過ぎて、風の匂いに夏の訪れを感じられるようになった頃だった。
遠景から眺めるテウス市は、一言で表すなら灰色の街だった。
市内には赤や青のタイル張りの屋根が軒を連ねているのだが、都市をぐるりと囲んだ高く分厚い市壁と、緩やかな丘の上にそびえるどっしりとした城が、イメージ上の色彩を決定づけている。
その姿は一般的な城砦都市とそれほど変わり映えしないが、この城砦の異常な点は、都市を囲む市壁が外部からの攻撃への備えではなく、外へと出さないための檻であるという点だ。無論、その対象は『魔窟』から溢れ出る魔物である。
テウス市がまだ都市機能を持っていない砦だった頃に、すでに市壁の建設が開始されていた点からも、その事は読み取れる。また人々の都市への出入りが自由であることからも窺い知れるだろう。
だが、商品を運んできた荷馬車に対して、関税が課せられていないというのは、ジークたちにとって予想外だった。都市に入るための手続きそのものがなく、不安に思ったジークが声をかけた衛兵は、むしろ面倒くさそうに勝手に通れと言い放った。
この街を統治する城砦騎士団とやらには、領地を経営するつもりがないのかと疑いたくもなるような対応だったが、実際には関税が必要ないぐらいに騎士団の財源が潤っているからに過ぎなかった。
『魔窟』からしか産出されない稀少な特産品の専売権を持つ騎士団は、それだけで十分すぎるほどの利益を上げている。むしろ関税手続きを導入すると、余分な人件費がかかる上に、隊商の入出が滞って収益性が低下してしまう。
ともかく、何事もなく市内に入ったジークたちは、半日ほどかけて預かっていた荷の返却先を探し出して、無事に役目を終えることができた。
「そうか、マチスがなあ。惜しいのを亡くしたよ。……あいつは最後に何か言ってたかい?」
荷の受取を監督した老人が、しんみりとジークに尋ねてきた。
「いや、荷を届けてくれとだけしか。マチスの家族は?」
「遠方の街に住んどるよ。顛末はワシの方から手紙で送るし、付き合いも長いでな、悪い様にはせんよ。あんたは気にせんでええ」
市内に店を持つ老人は、遠隔地の商店と提携して、商売をしているのだと言う。老人の店からは『魔窟』産の品を送り、代価として届けられる遠方の品を自身の店で販売するのだという。マチスは提携している商店の跡取り息子だったという。
「ところであんた」
と、再びジークに声をかけた老人は、しんみりした雰囲気をよそに置いて来たように、鋭い眼光を向けてきた。
「荷の中に入っとった手紙に商品目録が同封されとるんだが」
「馬車を荷台も運ぶ人手がなかったんで、なくなった物は大目に見てくれ」
「分かっとるよ。だが、上質の奴隷が一人、おったはずなんじゃが、野盗にさらわれるか、逃げでもしたのかね?」
そら来た、とジークは内心で苦い表情を浮かべた。リサを同行させずに、逃げられたなどと言ってしまえばいいのだが、リサは頑固に付いて来ていたし、老店主は彼女の方をちらちらと意味ありげに見ている。
見抜いているのか、カマをかけているだけか、どちらにせよ、ジークには綺麗に取り繕って老人を騙す自信がなかった。
「御覧の通りだ」
「するってえと、やはり――」
「野盗を追い払った時には、もう殺されていたから、その場で埋めてきた。……ってのは、無理かな?」
「フム……まあ、そういうこともあるかの。どのみち、ワシはあんたを信じるしかないし、縁もないと言うに荷を届けてくれたようなお人好しを疑う理由もないな」
「悪いな」
「ただし、ワシも今回は大損でな、とてもじゃないがあんたに謝礼を支払う余裕がない。それでもええかの?」
「いいさ。元から謝礼目的じゃないから」
「分かった。ただ、あんたな、こんなことばっかりしとっちゃ、長生きはできんぞ」
せいぜい達者でな、と後ろ手に手を振りながら、歩み去る老人の背中に、ジークは苦笑を漏らした。
それからリサに向かって、問題ないと示すように親指を立てて見せる。彼女はわずかばかりの申し訳なさと、深い感謝を表情に刻んで、立ち去る老人の背中に向かって深々と頭を下げた。
「さて、ひとまずの目的は達成したわけだが、ここで次の問題が発生した」
唐突にジークが切り出したのは、宿屋の食堂で夕飯のテーブルを囲んでいる時だった。フィリンはぐったりとテーブル上に突っ伏し、リサは背筋をピンと伸ばしてジークの話を聞いている。
「言われなくても分かってるわよぅ」
地の底から這い上がってくるような声でフィリンが突っ伏したままうめいた。
「なんだ、察しがいいな」
「これ見たら、嫌でも分かるでしょーが」
と、フィリンはやる気のない手振りでテーブルの上を示した。そこには一固まりの黒パンと、白湯と区別しづらいような薄まったスープしかなかった。
一週間分の宿代を支払うと、彼らの手元にはほとんど何も残らなかった。それも宿代を値切っての話である。宿は朝晩の食事付きで、すぐさま飢える心配はなくなったが、値切った結果は食卓に反映されていた。
呑気に観光気分でほっつき歩いていたフィリンは、夕食の惨憺たる有様を見て、ようやく自分の置かれている状況を理解したのである。
「良かったらどうぞ」
リサが申し訳なさそうに、自分のスープ皿をフィリンの方に移動させたが、フィリンはそれを押し返した。
「こんな風味しかないお湯なんか、いくら飲んでもしょうがないでしょ! うう、都会でこんなにひもじい思いすることになるなんて……」
エルフの少女は物欲しそうな眼で近くのテーブルに並んだ料理を見た。香ばしい香りを立てる焼いた肉や、湯気を立てる魚の煮込み。それどころか、無造作に白パンに垂らされたニンニク入りのオリーブオイルさえ、今の彼女にとっては羨望の品だった。
「申し訳ありません、お二人とも。わたしを引き渡せば、いくらか謝礼が頂けたはずなのに……」
「あ、いや、いいのよ、それは。人を売ったお金で食べた物なんて、砂みたいに味がしないと思うし。だいたい、まったく計画性のないジークが悪いのよ」
「おまえが言うな。まあ、どのみち謝礼なんてすぐに使い果たすだろうし、結果は同じだ。まあ、少し適当すぎたのは認めるが、こう言う時は原因をどうこう言うより、どうするかが重要だろ? 俺だって何も腹案を用意しなかったわけじゃない。金を稼ぐ方法を見つけておいた」
「あんた、あれ本気だったのかい?」
と、自信たっぷりのジークに後ろから口を挟んだのは、宿の女将さんだった。ひもじい顔をしたエルフを見かねて、出汁を取るのに使った出がらしの鶏肉を持って来てくれていた。
数時間かけて出汁を抽出された老鶏は、筋張っているしパサパサだし、薄い塩味しかしなかった。残飯として犬に食わせる程度の価値しかない物に、フィリンは喜んでかじりついている。そんな様子を不憫そうに見ていた女将さんに、リサが尋ねた。
「あれ、とは何のお話なのですか?」
「いやね、この子、金を稼ぎたいって訊いてくるからさ、この街で手っ取り早く稼ぐんなら、やっぱり探索者になるのが一番だって、あたしゃ冗談のつもりで答えたんだけどね」
「探索者、ですか?」
「おや、あんたも知らないのかい? まったく、若い三人でここまで何をしに来たんだか。ウチの客はだいたいが探索者をやる山師ばっかりなんだけどねえ……。おっと、話がずれちまったね。探索者っていうのは、『魔窟』に入っていろんな物を掘り出して来る連中のことだよ。まあ、浅い場所ならそんなに危険じゃないって言うし、日銭ぐらいは稼げるかもしれないけど、絶対に深く潜っちゃいけないよ」
一息に喋り切ると、女将さんは余所のテーブルから声をかけられて立ち去ってしまった。
「まあ、そういうことだ。幸い始めるための元手はあるしな」
と、ジークは立てかけていた剣を指差した。
「はぁ……せっかく森から出たのに、今度は地下探索なんて、なんか気乗りしないなあ」
「じゃあ、その薄いスープと硬いパンで我慢できるんだな?」
「分かったわよ。手伝えばいいんでしょ」
「わたしもお手伝いいたします。荷運びぐらいはお役に立てると思いますから」
「いや、リサには他にやってもらいたい事があるんだ。俺の私用なんだが、俺は稼ぎに出なきゃならないから、代わりにやって欲しいことがある」
「わたしに出来ることでしたら、なんなりと」
「この街には騎士団の収集した、いろんな資料が図書館に収蔵されてるらしいんだ。それを調査してもらいたい」
「文献調査、ですか?」
意外な申し出に、リサは少しだけ目を丸くした。
「ああ、前に話したと思うが、白竜シーリアを探すのも旅の目的だが、なにぶん記憶がなくて、手掛かりになる情報も持ち合わせてない。その辺の記録が残ってないか、図書館で調べて欲しいんだ」
「承知いたしました。専門教育は受けておりませんので、どこまで出来るか分かりませんが、やってみます。以前にも転生した記録があれば、類推できるかもしれませんし」
肉体労働にやる気の出ないフィリンとは対照的に、リサはやる気をみなぎらせて答えた。