3.荷台の奥
大樹海を出てから数時間と経っていないと言うのに、状況は目まぐるしく変化していて、ジークは軽い目眩を覚えた。自ら進んでそうしたとは言え、やはり他人の生死に関わるような事態には陥りたくない。そうした気の重さもあって、彼は小さく溜息を漏らした。
それはそれとして、墓掘りに使える道具がないか、ジークは残されていた二台の幌付き馬車の中を確かめた。
一台は塩漬けの肉や酒樽など食料が詰み込まれていただけだった。二台目を確かめると、こちらは満載された武具が目に付いた。
「どれも粗悪品じゃないが、遠隔地に輸送するような品質でもないと思うが……」
ざっと検分したジークの感覚からすると、やや腑に落ちない。それともテウスとかいう場所では戦争でも起きているのか――地元の鍛冶屋だけでは足りず、武器防具を買い集める事態となると、他に想像できなかった。
それにしても、と意外に思ったのは、武装の類から見ると、あまり技術的な進展がないように見えることだった。あるいは樹海で過ごした歳月が思ったより短かったのか。
「とは言え、決めつけるのは早計か」
別の地方に行けば、技術レベルが異なるというのは、ありそうなことだった。輸送に馬車を用い、街道に野盗が出没する状況から察すると、遠隔地の交流はあまり活発ではないはずだった。当然、そうした状況では新技術の普及に時間がかかる。
荷台には探していた掘削道具は見つからず、彼は仕方なく適当な剣で墓を掘る事にした。手頃な長さのショートソードを手に取ろうと、荷台の中に手を伸ばしたところで、荷台の奥から重たい金属が触れ合うような音がした。
「だれかいるのか?」
明らかに何かが奥で動いたと思えるが、濃い影に沈んで荷台の奥までは見通せない。敵や動物が潜んでいるということはないだろうと思いつつも、ジークは迂闊に踏み込んだりはしなかった。
「隊商の生き残りか? 賊は追い払った。危害を加えるつもりはないから、心配するな」
その言葉で少しは警戒が解けたのか、衣擦れの音がして、奥の方でまた何かが動いた。少し目が慣れたこともあって、今度はぼんやりと姿が見えた。相手は奥に重ねて置かれた盾の影から、少しだけ顔を覗かせているようだった。
「俺はジークリート。あんたは隊商の関係者だな?」
もう一度だけ声をかけて、ジークは返答を待った。相手が被害者なら、多かれ少なかれショックを受けているはずで、急ぐのは得策ではない。フィリンとうまくコミュニケートできなかったジークでも、その程度の判断はできる。
「……違います」
待つことしばし、ごくごく小さな声が返ってきた。不安そうな女性の声だ。突然の惨劇に怯えているのか。
「そうか。話が聞きたいところなんだが、落ち着くまではそこにいるといい」
「あ、あの……」
そう言ってショートソードを掴んだジークが立ち去ろうとしたところで、躊躇いがちに女性が声をかけてきた。
「心配するな、ほったらかしてどこかに行ったりはしない。墓を掘らなくちゃならないし、今日はここで野宿することになる」
「いえ、そうではなくて、降りれないのです」
「腰でも抜かしたのか?」
「いいえ。……鎖に繋がれていますから」
答とともに、ジャラ、と重たい金属音がした。言われてみれば、それは鎖の音に違いなかった。
ジークはショートソードを脇に置いて、荷台に乗り込んだ。足元に気を付けながら二、三歩と進んだ所で、盾の奥に隠されていた相手の姿がうっすらと見えた。
暗くて詳細ははっきりしないものの、簡素な衣服を身にまとった女性が座り込んでいた。彼女が胸の前に掲げた両腕は木製の手枷に嵌めこまれている。手枷につけられた鎖は、荷台の側面にボルト留めされていた。
手枷は上下二枚の板で出来ていて、その合わせ目に手首を通す穴が開いている簡単なタイプだ。二枚の板は片側が蝶つがいで連結されて、反対側に錠前がかけられている。
鎖で繋がれているという、異常な扱いには相応の理由があるのだろうが、どんな理由があったとしても、ジークの関知するところではなかった。
こんな辺鄙な場所を、しかも隊商の荷馬車で、重犯罪人を護送中ということもあるまい。大方は売られて来た娘といったあたりか。
「錠は小さいな。鍵を探すより壊した方が早そうだ。いいか?」
「お願いします」
ジークは腰間の剣を抜いて、切っ先を板の隙間に差し込むと、刃を捻った。それだけで貧相な錠前は弾けた。
手枷を外すと、ジークは彼女の手を取って立ちあがらせた。立ち上がった彼女は思ったよりも長身で、ジークよりもわずかに背丈が高いかもしれない。ほっそりとした指は少しも荒れておらず、言葉遣いと合わせても育ちの良さが窺える。
「災難だったな。運がいいか悪いかは分からないが」
「ありがとうございます。こうして助けて頂けただけ幸運だと思います」
「前向きな考え方は嫌いじゃない。段差に気を付けて」
ジークの手を借りて馬車から下りた女性は、夕陽の中で輝いて見えた。
年齢は二十歳ほどだろうか。褐色のすらりとした肢体は瑞々しくありながら、甘い色香を感じさせる。風に流れる紫紺の髪が美しく、アメジスト様の瞳が豊かな知性を匂わせていた。彼女はジークに対して深々と頭を下げた。
「リサと申します。危急をお救い頂きましたこと、改めて感謝を申し上げます、ジークリート様」
「ジークでいい。堅苦しいのは苦手だ。御覧の通り、野盗よりも酷い格好だしな」
「では、ジーク様と……」
応じてからリサは周囲を確認した。夕陽に照らし出された無惨な死体に表情が曇ったが、取り乱すことはなかった。
「死ねば骸だが、生き死にに関わった相手だ。せめて弔ってやりたいが、世事には疎くてな。祈りの文句を知ってれば、唱えてやって欲しい」
ジークは拾ったショートソードを抜いて、その鍔元にぼろ布を巻いて握れるようにしながら、リサに声をかけた。
「残念ながら、わたしも遠方の出ですので。それでも形ばかりの聖句より、心からの弔いこそが重要だと思います」
「そうか……そうだな」
答えて、ジークはシャベル代わりのショートソードを手に、街道を離れた。
墓は盛り土の上に墓標代わりの石を乗せたままの簡素なものだったが、それでも隊商と野盗を含めて二十近い数は、骨の折れる作業だった。
ようやく三人ほどを埋葬したところで夜が更けたので、残りは翌朝に回して、ジークたちは焚火を囲んでいた。火打石と薪を確保したリサが起こしておいてくれたものだ。
炙った塩漬け肉などで簡単な夕食を摂ってから、ようやくジークはリサと向き合って話をする時間を得た。
「あんたはどうして隊商に捕えられていたんだ?」
「捕まっていたわけではありません。わたしも商品として扱われていただけのことです」
「てことは、やっぱり奴隷だったか」
「はっきり仰るのですね。その通りです。実家が傾いてしまったので、屋敷や家財道具と同様に売りに出されました」
リサは淡々と答える。なるほどとジークが納得したのは、彼女の立ち居振る舞いに気品がある理由が分かったからだ。リサの実家とやらは相応の家柄で、彼女は高い教育を受けていたのだろう。彼女の身の上に付いてジークは特に何とも思わなかったのだが、フィリンの感想は違っていた。
「よくそんなふうに平然としてられるわね。あたしなら、何が何でも逃げ出すわ。自分が物みたいに売られるなんて、考えただけでゾッとするし」
「そうかもしれません。ですが、高等教育を受けた奴隷は稀少ですし、そう悪い様には扱われないでしょう。出来もしないことを試みて、自分の立場を悪くすることはないと思っただけです」
「でも――」
「自分の手の届かない場所で決められたことに抗えるほど、わたしは勇敢ではありません」
フィリンの言葉を遮ってから、彼女は恥じるように目を伏せた。フィリンも余計なことを言ったと感じて視線をそらしたが、ジークには関係のないことだった。
「遠方から来たと言ったが、ずいぶん遠くからみたいだな?」
リサの心情などお構いなしに、ジークは気になっていたことを素直に訊いた。リサの褐色の肌は、野盗や隊商の人間とも異なっている。
「値が張るということで、なかなか買い手が決まらず、転売目的の奴隷商の間を渡り歩いて参りましたので」
「なるほどな。育ちが良く、教養もあって、器量もいいとなると、そうなるか」
「エロガキ」
ぼそりと横からフィリンが囁いたが、ジークは無視した。
「なかなか買い手が付かないので、思い切ってテウスに行くことにしたそうです。あちらは奴隷の需要が高いとかで……」
「ああ、そのテウスとかいうのは、街なのか?」
「はい。有名な都市ですが、ジーク様はご存知ありませんか?」
隠すようなことでもないので、ジークはかいつまんで自分の身の上を説明した。案の定、リサは目を丸くした。
「まあ……伝説の騎士様でいらしたのですね。一人で野盗と渡り合ったお方にしては、ずいぶんとお若いと思っていたのですが、そうでしたか」
「無理に信じる振りしなくていいわよ。樹海に住んでるあたしでも信じられない話だし」
「いいえ、信じます。危急を救ってくださったお方が、伝説に謳われる騎士様だなんて、素敵だと思いませんか?」
「んー、確かにそれはそれでありかも……。でもなあ……」
「なんだよ?」
じとっとした目で見られて、ジークは不愉快そうに眉根を寄せた。
「こっちの方が、見た目よっぽど賊っぽいって言うか、口も悪いし」
「そうでしょうか? とてもきれいな顔をなさってますよ。髪を切って、少し身なりを整えれば、見違えると思います。それにお優しいですし」
「それ、思い入れ補整が入り過ぎだと思うけど」
「そんなことはありませんよ」
フィリンと好き勝手なことを言いながら、リサはようやく笑顔を見せた。
自分をネタにされているのは少し釈然としなかったが、ジークは口を挟まなかった。本当はテウスに関する情報を聞き出したかったのだが、楽しそうなリサの顔を見て、今夜はやめておくことにした。
今日は予定外のことばかりだったが、少なくともリサを助けることができた。いまだ前途は茫洋として、なにもかも不確かなことばかりだが、少なくともこの事だけは誇っていいはずだ。
少しだけ周囲の死臭が薄らいだように思えた。