2.争いへの帰還
細い街道には死体が散らばり、夕陽の中でも黒々と血だまりが見て取れる。二台の荷馬車を中心に倒れる遺体は、どれも襲われた隊商の関係者だった。そうした惨劇も、辺境の街道では決して珍しいものではなかった。
護衛に傭兵を雇っていたが、その数は三人に過ぎない。隊商の規模からすれば妥当であっても、十数人からなる野盗に襲われてはひとたまりもなかった。
「へへっ、おい、立てよ。まだまだレッスンは終わってないんだぜ?」
そう呼びかけた野盗は、血刀を手にし、目は加虐の快感に濁っていた。
血塗れになった青年は膝を折っていた。全身をなます切りにされ、おびただしい出血が立ち上がる力を奪い去っている。護身用の短刀を手にしてはいたが、もう抵抗する力は残っておらず、意識にも靄がかかっていた。
仲間や護衛の傭兵はすでに死に絶えていた。どうして、俺はこんな目に――とりとめもない疑問がぐるぐると頭を巡るが、答は出なかった。それも当然だ。一言で言えば、不運という言葉に尽きる。そこには理屈などない。ただ手頃な獲物として野盗に見つかってしまい、最後まで生き残ってしまったがために、残酷な遊びに供されているというだけだ。それを合理的に説明することは困難だった。
野盗に見つからなければ、最初に殺されていれば、相手が多少の慈悲を持ち合せていれば――ちょっとしたボタンのかけ違えが起こっていれば、青年の残酷な結末は違っていたはずだった。だが、現実は覆らない。
「まだ終わりじゃねえぞ。まだ基本の型稽古が済んだだけだからな。こっから応用の型をみっちり教えてやるんだからな」
そんな事を言いながら、締まりのない笑みを浮かべる男に、野盗仲間は呆れ顔をするばかりだった。いつもの悪い癖だ、と言うのが彼らの感想だった。「剣術指南」をする男は、いつもどこそこの騎士の御曹司だったと自分を語っていた。事実かどうかはだれも知らないし、どうでもいいことだった。少なくとも仲間内では腕が立つ方だったから、「仕事」の役に立つ。時に傭兵、時に野盗として働く彼らにすれば、腕が立てば他はどうでもよかった。
裏切り行為を働くようであれば、しかるべき制裁を加えるが、他に厳守すべきルールはない。
野盗たちは遊んでいる「御曹司」を無視して、死体から金目のものをはぎ取っている。それが終われば、荷馬車ごと頂いて、今日の「仕事」はおしまいだった。後はアジトで報酬の検分と分配が待っている。皆、分け前がどれぐらいになるかという一点だけを気にしていた。
「そら、根性を見せてみろ!」
「御曹司」がからかうような声とともに、剣を振るった。膝立ちの青年の額が、一文字に切り裂かれ、バッと血が飛んだ。額の皮だけを切り裂いた技術は、「御曹司」の腕が優れている証拠だろう。
だが、新たな出血にも青年は反応を示さなかった。血を失いすぎて、思考も反応も極度に鈍っている。むしろそうした状態でありながら、膝立ちで身体を支えていられることが驚きだった。
殺される。逃げなくては。本能だけが脳裏に囁き続けるが、身体は少しも反応しない。暗いし、寒かった。春も盛りだというのに、まるで冬山にでもいるようだと、関係ないことばかりを考える。
「ああ、そうか」
逃げるんだった。靄の隙間から、思考が顔を覗かせる。思い出したように、ぼんやりと呟いた青年の視界に、わずかな光が戻った。
目に映ったのは、夕陽の中できらめく白光と、黒々としたぬめりだった。
「ガッ、ぐううっ!?」
うめき声を上げた「御曹司」の分厚い胸板を、白磁のような白々とした薄い刃が、背後から貫き通している。胴を固めた革鎧も、鍛えた筋肉も関係なく、刃は人体を易々と貫通した。だが、刃の貫通力もさることながら、革鎧の上から肋骨を避けて突きを繰り出した技量も尋常ではない。
「御曹司」は激痛に顔を歪めながら、振り返ろうとした。
「おまえはこっちを見なくていい」
感情の欠落したような少年の声だった。と、同時に、男の身体を貫通していた平突きの刃が水平方向に滑った。刃は水でも斬るように「御曹司」の身体を切り裂いた。よろめく「御曹司」は膝裏を蹴りつけられて膝を折り、ひざまずいた所で喉を切り裂かれた。
悲鳴を上げることもできず、切り裂かれた喉を押さえようとする「御曹司」の目に涙が浮かんでいた。なんで、どうして? 訳が分からぬままに、彼はそれだけを問いかけているようだった。
「そのままじっとしていろ」
瀕死の青年が視線を転じると、警告を残した少年は、すでにそこにはいなかった。
「思ったより動ける」
狼狽していた二人目の野盗にろくな抵抗もさせないまま、一刀のもとに斬り殺したジークは、三人目と斬り結びながら、そう思った。
振り下ろされた剣を体を開いてかわしざま、ジークは相手の剣を握った腕を狙った。防御を固めづらい肘の内側を引き切るように切り裂き、反撃を受けて硬直した敵の喉を貫く。致命傷を与えると同時に捨て置き、次の敵と斬り結ぶ。
ジークの覚えている限り、戦いの記憶はない。武装していたのだから、大樹海に辿り着く以前は戦いを生業にしていたのだろうと、そうした推測はできたが、こうして実際に斬り結ぶと想像以上に身体は動いた。
頭ではなく、身体がどうするべきかを判断しているような、そんな感覚だった。敵の剣筋を見極めているのは、ジークの優れた動体視力だったが、受け、回避、攻撃に至る動きは肉体が自動操縦されているように感じられる。失われた過去の経験がそうさせるのか。
加えて、持っていた剣にも助けられた。
白い金属で作られた剣は、薄く鋭い刃先にカミソリのような斬れ味を持ち、鉄の塊と打ち合えるほどの強度を備えている。そして、何よりも非常に軽い。刀身長六十センチを超える長剣でありながら、おそらく重量は一キロを切っている。
高性能かつ軽量な武器は、自由自在な剣筋を実現できる。重量がないだけ、打ち込みの威力は低くならざるをえなかったが、その欠点を露呈させるほどの技量が野盗たちにはなかった。
四人目を難なく斬り伏せると、そいつの持っていた手斧を拾い、即座に投擲。ようやく駆け寄ろうとしていた男の胸に突き刺さって、男はもんどりうって倒れ込んだ。
五人目、と数えながら、背後から襲いかかった六人目を、逆手に握り直した剣で貫く。水月の辺りから潜り込んだ切っ先が心臓を抉った。
「にしても、少しキツいな」
即死した六人目から剣を引き抜きながら、ジークは呟いた。
奇襲に浮足立った野盗を、できるかぎり迅速に各個撃破してはいるものの、まだ半数の敵が健在だ。そして野盗たちは奇襲の衝撃から立ち直りつつある。ジークとしては、あっと言う間に仲間の半数を失った時点で、逃げ出す者が出ると踏んでいたのだ。
一人でも逃げれば結束が崩れる。動揺すれば戦いやすくもなるし、後を追って逃げる者も出るだろう。それがジークの算段だったのだが、甘かったと認めざるを得ない。
敵は一人として逃げ出す素振りを見せない。ジークの強さは認識したはずだが、たかが一人と思えば、目の前の財貨を手放す気になれないのだろう。その金品への執着を、ジークは甘く見ていたということか。野盗たちは遠巻きにジークを取り囲み、仕掛ける隙を狙っている。
ジークは前後左右に気を配りながら、こちらも仕掛けるタイミングを計っていた。さすがに四方八方から袋叩きにされては対応しきれない。前に出て包囲を切り崩すしかないだろう。
高まる緊張感の中で、ジークは胸中に苦い笑いをこぼした。皮肉だった。元はと言えば死ぬために旅に出たと言うのに、何を必死になっているのか。もっとも普通の傷を負って自分が死ねるのかどうか分からないが。
「矛盾してる、か」
シーリアの言葉を思い出して、ジークは言葉を舌に乗せた。最終的な目的だけで言えば、襲われた隊商を無視しても良かったはずだし、ここで野盗に殺されるのならそれでも構わないはずだ。だが、そのはずなのに身体は動いてしまう。襲われている者を助けようとし、生き延びるために戦おうとする。
強烈な願望があるわけではない。ただそれは、言葉にするなら「少し癪だ」という程度に過ぎなかった。その未練とも言うべきものだけは振り切れそうにない。
これが生きるということなのか。シーリアと過ごす時間は、ただ穏やかな眠りに埋もれていくような心地よさがあった。何もしなくて良かったし、何をするつもりも起きなかった。その世界には願望も未練も存在する余地がない。
だが、外界は違う。ここは余りにも速く時が流れ、他者の激情がお構いなしに吹き付けてくる。そんな世界に置かれた時、人は穏やかに佇んではいられない。殺されないために、常に何かと戦い続けなくてはならない。
「あんたは、この現実を俺に見せようとしたのか?」
「なにをブツブツと言ってやがる!? かかれえッ!」
野盗の頭目と思しき男が叫ぶ。ジークは下半身のバネをたわめ、手下たちが一斉に飛びかかろうとした。その両者の機先を制するように、ビッと空気を切り裂く音が流れた。一拍置いて野盗の足元に突き立ったのは、どこからか放たれた矢だった。いや、一射だけではない。間髪いれない二、三射はほとんど同時に地面に突き立ち、続く四射目が野盗の一人の肩口に突き刺さった。
「退け! 逃げんぞ!」
野盗の判断は素早かった。援軍は少数だろうが、ジーク単身に半数を討ち取られている状況では、数名の加勢で不利になるのは明白だった。生き死にを商売にする世界で抜け目なく生き残ってきただけあって、引き際は見事なものだった。
「フィリンか。いい腕だ」
後方の丘の上には、弓を構えた少女のシルエットが夕陽に浮かびあがっていた。仰角を変えて同時に着弾するように連射し、おそらく最後は狙っての直射だろうと推測できた。
逃げ出して行く野盗たちを見送ってから、ジークは座り込んでいる青年の方へ駆け寄った。
「おい、意識はあるか?」
声をかけながら、ジークは青年の傷を確かめる。どの傷も致命傷ではないが、いかんせん深い数が多すぎる。すでに多量の血を失っていて、止血は間に合いそうにない。
それでもジークはマントを引き裂いて止血帯を作ると、青年の手当を始めた。
「聞こえるか? しっかりしろ」
やや間があって、青年が小さくうなずいた。
「手当はするが、助からない可能性が高い。言い残すことはあるか?」
「……荷を、テウスまで、頼む。届けてくれ」
「荷などどうでもいいだろう。だれかに言伝はないのか?」
「届かないと……家族が、食い詰める。頼む」
「分かった。出来る限りはしてやる。名は?」
「……マ……チス」
「マチスだな?」
青年は微かにうなずいたかと思うと、そのまま眠りこむように上体が傾いだ。
ジークは青年の身体を抱きとめ、彼が死んだことを確かめると、丁寧に地面に寝かせた。
生き物はいずれ必ず死ぬ。だが、こうして死者を目前にすると、そんな摂理は何の慰めにもならなかった。
「死んだの?」
おっかなびっくりと言った様子で後ろから尋ねてきたのは、フィリンだった。走って追いかけてきたせいで、少し息が上がっている。
「手遅れだった。止血が間に合っても、どのみち長くは持たなかっただろう。……さっきは助かった。世話をかけて悪いな」
「いいよ。せっかく案内した先で死なれたら寝覚めが悪いしね」
「そうか。世話ついでに、もう一つ手伝ってくれ。墓ぐらいは作ってやりたい」
「分かった」
面倒事にもフィリンは二つ返事で答えた。そこまでする義理がないのは、ジークも同じだ。その頼みを断るのは薄情に思えた。
「変な奴かと思ったけど、あんたって意外にお人好しなんだ?」
「ほっとけ。それに、おまえには言われたくない」
二人は小さな苦笑をかわして、墓作りのために動き始めた。