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1.彷徨の騎士

「……ここはどこだ?」

 額に流れた汗を拭って、竜騎士ジークリートは自問した。

 樹海から一筋の光が天に昇って、早くも十日ほどが過ぎていた。白竜シーリアの助言に従って外界を目指したジークではあったが、今もなお樹海の中をさ迷っている。

 想像を絶するような過密樹林は、ほとんど完全に空を遮っていて、夜空の星は言うに及ばず、太陽さえ位置が特定できない。方角などさっぱり分からず、ジークは完全に道に迷っていた。おまけに下草もびっしりと生えて足跡を覆い隠し、微妙な傾斜や起伏のせいで、果たしてまっすぐ歩いているのかも分からなかった。

「死にはせんが、これじゃ、いつになったら出られるか分からんぞ」

 考えてみれば、樹海に分け入った記憶などなく、泉の傍から離れたこともない。道順など知るはずもないし、もし知っていたとしても、何百年前か分からない記憶では役に立たなかっただろう。

 地元の人間ですら戻って来れないと恐れて踏み入らない樹海に、前知識もなく突破を試みたジークの行動は無謀でしかなかった。

「常識的に考えて、まっすぐ歩いていれば、必ずどこかに出られるはずなんだが……」

 あるいは樹海が自分の想像よりも遥かに広く、辛抱して歩いていればそのうち出られるのかもしれない。ジークはその可能性に賭けた。もとより来た道も分からなくなっていて、他に方策がなかったというのもある。

 何の因果か飲まず食わずで死ぬことはないから、どのみち遭難死することはないので、その辺りは気楽なものだ。

「とは言え、死にはせんのに、喉も渇くし腹も減るのは理不尽だ」

 立ち止ったジークは、手近なところにぶらさがっていた毒々しい果物をもぎ取って、無造作にかじりついた。ほとんど味はしないし、舌が痺れるが、ジークは何も考えずに嚥下した。

 果実をもう一つ、枝ごともぎ取って、落ちないように腰帯にぶら下げると、ジークはシャクシャクと果実をかじりながら歩き出した。

 とは言え、味がないので美味いわけでもない。喉も潤ったので、途中で食べかけの果実を捨てた。もう少しまともな物を探すべきかと思ったが、渋かったり苦かったりするよりはましだと思ったので、ぶら下げた果実は捨てずに取っておいた。

 そんな時、頭上で大きく葉鳴りの音がした。枝が大きく揺れ動いたせいだが、樹木の密集する大樹海では、そこまで強い風が吹き抜けることは滅多にない。

 動物と察したのと、捕まえて食うかと考えたのは、ほとんど同時だった。樹上を見上げたジークの視界を、確かにひと固まりの影が渡り、枝葉を大きく揺らしている。弓があればと思っていると、急に樹上の動物が飛び降りてきた。

 十メートル近くある枝の上から、次々と枝を飛び移って、「それ」は地面に降りた。絶好のチャンスだと思って身構えていたジークは、正体を確かめると失望の声を漏らした。

「なんだ、エルフか」

 長い金髪に長い耳、ショートパンツとノースリーブの上衣からは、ほっそりとした白い手足が伸びていた。森の民、エルフの少女だった。翡翠色の瞳がキッとジークを睨みつける。

「なんだ、とは何よ!? 遭難してるみたいだから、せっかく人が助けてあげようとしてるのに!」

「あー、悪い。てっきり野生動物かと思ったから、捕まえて食えると期待してただけだ」

「野蛮ね」

「エルフは肉を食わないのか?」

「……食べるけど」

 背中に背負った弓を触りながら、気まずそうに少女は答えた。

「なんだそりゃ。まあ、いいや。ついでだから抜ける道を教えてくれ」

「いいけど……って、それ! 腰に吊るしてる果実! 毒入りだから食べちゃダメよ!? 食べると全身が麻痺して呼吸困難で死んじゃうんだから!」

「いや、俺は大丈夫だから気にすんな」

「意味分かんない自信で死なれたら、案内しても無駄じゃない!」

「うるさい奴だな。自信というか、事実だ。毒ってのは、古の大戦で地上の軍勢を弱らせるために、神が一部の動植物にかけたごく弱い呪いだ。俺は「死なない呪い」がかかってるから、効かないんだよ」

「なにそれ?」

「呪いというのは、一つしかかけられない。弱い呪いは強い呪いにかき消される」

 エルフの少女は分かったような分からないような表情で、曖昧に相槌を打った。

「ところで、おまえ、名前は? 俺はジークリート。ジークでいい」

「あたしは『梢の氏族』のフィリンよ。遭難しても死なないならほっといても良さそうだけど、落ち武者みたいな格好の人間が徘徊してたら怪談になりそうだし、しょうがないから案内してあげるわ」

「悪いな。特に行く当てもないから、一番近いルートで森から出られればそれでいい」

「分かった。それなら半日ぐらいで出られるよ」

 そんなに近かったのか、とジークは周囲を見渡したが、もちろん木々の隙間から樹海の外の光が見えるような距離ではなかった。

「それはそうと、ぼろっちい格好ね。どれだけ迷ってたのよ?」

 先導して歩きながら、振り返ったフィリンが呆れたように言った。

「数えてないから分からん。数百年ってところか。さすがに千年ってことはないと思うが」

「その冗談、寒いわよ」

「別にジョークを言ったわけじゃないんだが」

「まあ、いいわ。それより、なんだってこんな場所に入り込んだの? 入ったら出られないって、人間は滅多に入り込まないんだけど」

「その辺は記憶がないから分からんな。ふむ……」

「どうしたの?」

「いや、長い間、同じ相手としか喋っていなかったからな。こういうのも新鮮でいいと思っただけだ」

 すると、フィリンは振り返ってすごく嫌そうな顔をした。

「あのさ、言いにくいんだけど……あたしにはあんたは一人きりにしか見えないわよ?」

「人を精神病みたいに言うのはやめろ。少し前までは居たんだよ、話し相手が」

 そう言ってから、ジークは溜息をついた。それこそ精神を病んだ者の言い分にしか聞こえないだろう。だが、フィリンはもっと現実的な受け止め方をした。

「はぐれたの? もしかして、死んじゃったとか?」

「うーん、その中間ぐらいか。……あいつ、もう死ぬみたいなことを言ってやがったくせに。直前まで転生するなんて一言も聞いてなかったぞ」

 ジークは愚痴をこぼした。シーリア自身は死ぬとは一言も言っていないわけで、ジークの勘違いに過ぎないのだが、わざわざ訂正しなかった辺り、意地の悪い神だと思った。

 そんな彼の愚痴を聞いて、フィリンは妙に生温かい目でヘラッと笑った。

「転生……ああ、うん、そうなんだ……」

「おい待て、いま俺の事を頭がかわいそうだとか思っただろ?」

「そんなことあるわけないじゃないですかー」

「棒読みで答えんな」

 ジークは面倒臭そうに頭をかいたが、誤解を解くためには説明するしかないようだった。別に勘違いされたままでも構わないのだが、何となく癪だ。

「俺は白竜の騎士だ。エルフなら、話に聞いたことぐらいあるだろう?」

「その話なら長老から聞いたことあるけど、白竜の騎士って何百年も生きてるんでしょ? あんた、あたしより年上には見えないもん」

「おまえに言われてもな……」

 シーリアは外見年齢を人間に当てはめると、十六、七歳といったところだ。しかし、長命な種族であるエルフは、だいたい見た目の年齢を十倍した辺りが実年齢となる。外見年齢に実年齢が一致しないのはお互い様だ。

「言ったろう、俺には呪いがかかってるって。多分だが、俺には寿命がないし、老いもしない。実際どうなのか、記憶がないから分からないけどな。……まあ、そいつはどうでもいいが、とにかくシーリアが転生した。この樹海にはもう居ないらしい」

「はあ……」

「つまり俺がここに留まる理由もない。分かったか?」

「…………」

 とても信じられない、というわけか。ジークにも分からないではない。いきなり神がいなくなったと言われても、はいそうですかと信じられるわけがない。

「数日前になるが、夜中に光が立ち上ったのは見たか?」

「あ、それなら友達が見たって言ってた」

「そいつがシーリアの転生の光だ。一度、天に還って、再び地上に戻るそうだ。いつになるか、どこになるかは本人も分からんそうだが」

「うーん、つまりあんたは転生した白竜様を探す旅に出るっていうこと?」

「ン……そういや、そうだな、それも目的としてはありか。とりあえず記憶の手掛かりでも探すつもりでいたんだが、戻って来るのが分かってるなら、ついでに探してみるかな」

「ほんとは何するつもりだったのよ? はあ……なんか、あんたと話してると疲れるし、もういいや」

 失礼だな、とは思ったが、ジークは反駁しなかった。シーリアはさすがに神ということか、一を聞いて十を知るという具合だったから、ついそうした感覚で話をしていたのかもしれない。これから外界に出るわけだし、もう少し他人と話すことに慣れなくてはならないな、とジークは注意点を心に留めた。

 その後、フィリンの案内で道なき道を進んだ。さすが森を棲み処とするエルフと言うべきか、ジークにはまったく目印も見当たらない森の中を、迷う素振りもなくすいすいと歩いていく。身軽な彼らは通常、樹上を渡って移動するが、地上を歩いていても付いていくのが困難なほど速い。樹海を歩くためのコツがあるのかと思ったが、フィリンは無造作に歩いているだけにしか見えなかった。

 木々が途切れる頃にはすっかり陽が傾いていた。

 太陽の位置から大雑把に方角を考えると、樹海の東側に出たようだ。しかし、方角が分かったところで大して意味がない。地理に変化がなかったとしても、ジークには樹海の外での記憶がないからだ。

「近隣に集落はあるか?」

「えっと、確かあっちの方に人間の集落が――」

 と、指差したフィリンは、不意に眉をしかめて、目を凝らした。

「どうした? いや、これは……争いの気配?」

「え? そうなの?」

「違うのか? おまえは何を感知したんだ?」

「あたしは血の臭いがした気がして……」

 勘違いしたのかと思って尋ねると、フィリンの答はジークの直感を補強するものだった。エルフの知覚がどれほどのものかは分からないが、確かめる必要はありそうだ。ジークは慎重に気配を探る。

「……向こうか。丘か窪地にでもなっているのか? ここからでは見えないな。……フィリン、おまえは戻れ。案内は助かった。ありがとう」

「ちょっと――」

 フィリンの返答も聞かず、ジークは争いの気配に導かれて走り出した。

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