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魔女の戴冠  作者: ブラン
9/27

未明

 フェイ達が広場に到着する三時間前――



 アヴリィは壁に掛けられている丸時計に目をやった。部屋の中は薄らとオレンジ色に照らし出されている。何かをするには暗すぎるが、時計の文字盤を読み取ることくらいはできた。時刻は午前三時過ぎ。自分の部下が警備を交代してからおよそ一時間が経過している。その間周囲に自分を監視する者がないか入念に調べさせていた。城の外へ出ると決めてから、アヴリィはずっとイスに座って、城内が寝静まるその時を待っていた。


 クリスが言ったようにアヴリィには警戒の目がついていた。しかし、そうは言っても誰かが密着して監視するというわけでもなく、それなりに自由に城の中を移動することはできた。おかけでエイミーが姫を逃がしたであろう痕跡も見つかったのだ。部屋に入ったあと数時間は人の気配もあったが、これだけ夜が更けるとそれもなくなっていた。


「そろそろか」


 おもむろにイスから立ち上がる。そして静かに扉へと近づくと、ゆっくりとドアを開けた。廊下に人の気配はない。この時間にいるとすれば警備の者だが、アヴリィの部下たちが上手く事を運んでいれば、このタイミングでここを通る者はないはずだ。


 アヴリィはそっとドアを閉めると、足早に廊下を移動した。まっすぐに城門に向かうのが一番早いが、流石にそうもいかない。誘拐事件があってから警備は倍に増えており、アヴリィが団長を務める騎士団も警備に参加する事になっていた。しかし、それは裏を返せば団員が警備するルートを通って外に出ることができるという事でもある。


 長い廊下を突き進むと、やがてマナ石とは違う明かりが見えてきた。中庭だ。青白く月明かりが照っている。その角を曲がったところに自分の部下の一人がいるはずだった。

 しかし角を曲がった瞬間、アヴリィは思わず息を飲んだ。部下が壁にもたれかかって倒れていたからだ。


「どうしたんだ、ミール。しっかりしろ」


 抱き起こして意識を確認する。息はある。見たところ外傷はないが、どうやら気絶しているだけのようだ。そうしてミールの様態を確認していると、突如としてアヴリィの背後に気配が沸いた。

 振り返ったその先にいたのはアヴリィと同じく騎士服に身を包んだ男だった。微妙な装飾の違いが、その男がクリス直属の騎士団に所属している事を示していた。男の背丈は背の高いアヴリィよりも更に頭一つ分は大きい。


「こんな時間にどこをうろついているのだ、アヴリィ。貴殿は謹慎中のはずだが」

「どういうつもりだ、グエン殿」

 有無をいわさない口調でアヴリィは言った。

「どういうつもり? それはどのような意味かな」

 グエンと呼ばれた男は鋭い目つきでアヴリィを見下ろしている。

「惚けないで頂きたい。彼女を昏睡させたのは貴殿であろう。わずかだが貴殿のマナの気配が残っている」

 アヴリィの顔つきは厳しい。凍りつくような鋭い目つきだが、瞳の奥ではすべてを燃やし尽くすような紅蓮の炎が揺らめいているかのようでもあった。


「流石、歴代の騎士の中でも最高の聖騎士と言われるだけのことはある。わずかなマナの残滓を探り当てるとは――。確かにその者を昏睡させたのは私だ」

「理由は……この私か」

 男の目がそう告げていた。

「その通りだ。俺はクリス様の命で貴殿が夜な夜な部屋を抜け出したりしないか見張っていたのだ。だが、その者は俺の邪魔をし、貴殿を逃がそうと画策していた。だから、少しの間眠ってもらうことにしたのだ。だがやはり、こうやって貴殿がここに現れたということは、姫様の誘拐に一枚噛んでいるということか」

「そうではない。私は姫様をお守りしなければならないのだ。それが私の使命であり、すべてだ。どこかで苦しんでおられるかもしれない姫様を見放して、戻ることをただ祈り、城の中で待つことなど私には到底出来ない。そこを通してもらおう!」


 アヴリィは倒れている部下を担ぎあげると、クリスに向き直った。二人の間の大気が慄くように揺れた。


「クリス様の命に逆らうつもりか?」

「命に背くことになろうとも、私は姫様の元へ行かなくてはならない。たとえそれで騎士の資格をはく奪されようとも、罪人として罰せられようとも、それで姫様が救われるのであれば私は甘んじてそれを受け入れよう」


 そうしてグエンの横を通り抜けようとした――その時だった。

 煌く刃がアヴリィの行く手を遮った。


「貴殿が言うことを聞かない場合、力づくでも連れ戻せとの命だ」

「本気か、グエン殿。私が本当に姫様の誘拐に手を貸していると?」

 僅かに間を置いてグエンが答える。

「――俺にはわからん。ただ、貴殿を連れ帰る。それだけだ」

「そうか」


 アヴリィが短くそう答えた次の瞬間、クリスの視界に映るアヴリィの姿が霞んだ。


「貴殿はクリス様に仕える騎士だ。私が譲れぬのと同じように、貴殿にも譲れぬものがあるのだろう。だが、私は引く気はない」


 アヴリィはグエンの背後十メートルほどの位置に瞬時のうちに移動していた。そして、廊下の壁に部下を横たえると、アヴリィは腰に帯びた騎士剣を引き抜いた。すらりと伸びた騎士剣が月明かりに照らされ青白く輝いた。


「もう一度だけ訊いておこう。大人しく部屋でじっとしている気はないのだな」

「ああ、私は行く」

「――わかった」


 それ以上言葉はいらなかった。互いが互いの信念に基づいて行動するだけだ。

 雲が月を遮り、暗い影が落ちた。それが合図だった。


 暗闇の中を二つの煌きが交錯した。剣と剣が撃ち合う甲高い音が城内に響く。大気がマナの躍動にゆれ、無音の悲鳴をあげていた。


 戦いを長引かせるわけにはいかなかった。この音を聞きつけてすぐに誰かが駆け付けるに違いないからだ。しかし、相手はリナヴィアが誇る十二騎士団の長の一人。そうやすやすと倒せる相手ではない。それでもそれを承知の上で、アヴリィはすぐさま打ち倒すという明確な意志の元剣を振るった。


 アヴリィは受け止めた剣を僅かに押し返してから、斜め下へと引いた。グエンの体のバランスがほんの少しだけ崩れる。だが、よろめくほどではない。本人にもわからないくらい微かな歪み。そこを突き、アヴリィは剣を斬り上げた。

 剣での対応では間に合わない――そう判断したグエンは体捌きでそれを躱すと、横薙ぎに剣を振るう。崩れた体制での一撃は、しかし、必殺とも呼べるほどの威力を持っていた。大気が割れるような圧力で迫る攻撃を、アヴリィは難なく後方に跳躍して躱した。


 着地と同時にアヴリィは再び加速した。強烈に蹴り上げられた床がその一部分だけ陥没した。グエンもそれについてゆく。常人には目で追うことさえ困難な神速とも呼べる移動速度。マナのコントロールによって、肉体は通常時からは想像も出来ないほどの大きな力を発揮していた。


 幾筋もの剣線が宙に描かれ、その度に鋭い音が鳴り響いた。しかし、いずれも両者の体にその刃が届くことはなかった。

 スピードでは僅かにアヴリィに分がある。攻撃の手数も多い。しかし、グエンは一撃の重さでそれに対抗し、両者の打ち合いは互角の様相を見せていた。そのまま両者の打ち合いは数十秒の間に、百に迫ろうとしていた――その時。

 打ち合っていたアヴリィが突然一歩引いた。絶妙なタイミングだった。グエンの一撃を予期し、僅かに剣をそらす。最初の歪みがここに来て、グエンの反応を一瞬だけ遅らせた。振り下ろした剣の威力でグエンの重心がほんのわずかだけ傾く。一瞬だけ二人の間に距離が生まれた。グエンはすかさず、その間合いを潰すために地を蹴っていた。


 だが、アヴリィにはその僅かな時間で十分だった。打ち合いの最中練りあげていた魔力が騎士剣に宿り、剣身に無数の呪文が浮かび上がった。グエンはそこでようやく、アヴリィが魔法を発動させる準備をしていた事に気付いた。

 無詠唱術――言霊を要しない魔法の発動技術は、その威力や安定性を対価に、すみやかな魔法の発動を可能にする。しかし、無論、潜在的には自身の中で発動のための段階を踏むため、たとえ言葉としての詠唱がなくとも、高度の魔導士にはそれを探ることが出来る。だが、アヴリィはグエンにそれをさせなかった。自身のマナの流動を意図的に操作し、直前まで相手にその動きを悟らせなかったのだ。故にグエンはそれに対向する術を用意できなかった。


 アヴリィはマナを纏った剣をグエンの剣へと思い切り叩きつける。瞬間、グエンの体が白い霧に包まれた。グエンは反射的に体を包むマナを厚くし防御に備える。しかし、アヴリィの攻撃が僅かに早く到達した。輝きを放つ白い霧ひとつひとつが光の粒子となってグエンを襲う。一瞬の静寂――うめき声も、痛みに耐える叫びも聞こえない。光は静かにグエンを包みこみ、そして霧散した。


 薄まる光の中から現れたのは膝を折って息を切らすグエンの姿だった。

 グエンは顔をしかめてその場にうずくまっている。光の粒子が体に入り込みグエンに激しい痛みを与えていた。立ち上がろうと試みるが、すぐによろめいて壁によりかかる形になる。グエンはそのまま壁に体を預けながら座り込んだ。くぐもった呻きを漏らし、体中に走る針に突き刺さされたような鋭い痛みに顔を歪ませた。


「動かない方がいい。貴殿のマナの路に微細な傷を負わせた。無理をすれば傷ついた魔力回路からマナが漏れ出し、内部から肉体を破壊するだろう」

「……なるほど、これが聖魔法。無類の強さを誇る貴殿の技か……」

 アヴリィはグエンに背を向け、再び部下を背負った。

「やはり行くか。アヴリィ……」

 アヴリィはもはやそれには答えない。


「――――気をつけろ。誰かが何かを企んでいる……」


「何か知っているのか?」

 立ち去ろうとしたアヴリィが振り返ってグエンを見る。

「詳しいことは俺にはわからん。わからないからこそ、ここにいるのだろう」


 グエンは大きく息を吐いた。額にはじっとりと汗が滲んでいる。身動きすら取れない激しい痛みに絶え、グエンは言葉を紡ぐ。


「――教会には注意したほうがいいかもしれん」

「教会? 魔女教会が何かをしているというのか?」

「教会そのものは無害かもしれん。だが、内部で動いている人間がいるのは事実だ。その目的が何なのかはわからないが――。クリス様は教会の者を信用しているようだが、俺はどうにも信用出来ん」


 いなくなった騎士が教会の信者であることと繋がるのだろうか。しかし、教会は騎士団と同じく魔女を守る立場にある。そういう理由から、グエンもそれを疑うことに懐疑的な態度を示しているのかもしれない。


「アヴリィ、貴殿は自分の信じる道を行けばいい。俺が言わなくともそうするだろうが」

 通路の奥からざわめきが聞こえてきた。二人の剣戟の音を聞きつけ、やってきたのだろう。

「さぁ、行け。ここで捕まっては俺を倒した意味がないだろう」

「忠告感謝する。必ず姫様を連れて帰る」

「頼んだぞ……」


 その言葉を背に受け、アヴリィは闇に溶けるように通路の奥に消えていった。



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