朝食
「どうしてエイミーが姫様と共に姿を消したことを黙っていた」
「すみません。どうしても彼女が加担しているという事が信じられなくて、口にするのが憚られたのです」
鎮痛な面持ちで女騎士は謝罪の言葉を口にした。
アヴリィと部下の騎士の二人は、当日の夜、城内でエイミーの目撃情報があったという場所へ向かっていた。少しでもなんらかの手がかりを得ようと失踪当時のことを調べようとしたのだ。アヴリィは城内を一人で行動することを禁止されていたが、幸いにして部下の騎士が一緒であれば、さほど制限されてはいなかった。
「それに、これはまだ確かな情報ではないのですが、あの夜からエイミー以外にも数人行方が知れない騎士がいます」
「なんだと? それは誰だ」
女騎士は事件があって以来、所在が確認出来ない者の名前を挙げた。
「あれ以来、城内ではかなりごたごたが続いていますから、ただ単に私の所に報告が来ていないだけかもしれません。しかし、私の隊でも一人、姿を消しています。おかげであなたほどではないにしろ、姫様直属の騎士達は行動を制限されてしまっています」
「その消えた彼女達とエイミーが共謀した。そう考えられているのだな」
「はい……。エイミーがそんなことをするはずはないのですが」
アヴリィにもその気持ちは痛いほど理解できる。騎士団の誰もが彼女を信頼していた。
アヴリィが団長を務める聖魔天騎士団は、諸外国と比較しても特異な騎士団だ。国の機関とは独立して存在し、国のトップである魔女の護衛、補佐を主任務としている。そのすべてが女性で構成されていることも特徴であり、赤く彩られたその制服はこの国のシンボルとも言えるほどに知れ渡っていた。
もっとも近代では国に関わるいくつかの任務もこなすようになってはいたが、それでも独自の判断で動く魔女専属の騎士団であることに変わりはなかった。
「消えた彼女達も敬虔な魔女教徒です。姫様に何かをするなんてことは考えられません」
「そうだな。私もそうだと信じている」
薄暗い地下へ続く階段を進んでいくと、倉庫がいくつも並ぶ部屋にたどりついた。
「ここからエイミーが?」
行き止まりであったはずの壁は、砲撃でも受けたかのようにぽっかりと暗い口を開けていた。その中からは古いマナが流れ出している。
「はい、恐らくは。この先はどうやら古い地下の通路につながっているようです。枯渇期以前の遺跡か何かでしょう。この国の地下にはそういったものが多いですから。中はとても複雑で構造は未だに把握できていません。こんな場所、騎士団の誰ひとりとして知りませんでした……」
「いや――私は知っている」
はっとして女騎士はアヴリィを見上げた。その顔が緊張した面持ちに変わる。
「心配するな。私がエイミーと共謀しているとかそういうことではない。ここは、代々の団長と副団長にのみ教えられる秘密の脱出路だ。何か危険があった際に迅速に主を逃がすために使用するのだ」
「では――」
アヴリィは力強く頷いた。
「エイミーは何か危険を感じ取り、ここを使ったのだろう。今もエイミーが姫様と一緒かどうかはわからない。だが私はこの先に続く場所を知っている。今はまだどこへ続いているのかを言うことはできないが――。私は姫様とエイミーを探しに出る」
「わかりました。私も協力します」
二人は力強く頷きあった。
リアはフェイの背中を見送りながら深い溜め息をついた。リアは女子供が嫌いだった。きゃあきゃあとうるさくするし、思考が現実を見定めていないと思っているからだ。例に漏れず、実際街に出てからのシェリルの行動はリアの手に余るものだった。
暗欝な気配を漂わせながら、リアが二人の元へ戻っていく。シェリルの面倒はお前が見ろ、そう言いたげな目でティアを見た。
「とりあえず、あたいは向こうで注文してくるから、その辺に座って待ってろ」
広場にはいくつか食事用のテーブルとイスが並べられていた。早朝のこの時間帯はそれなりに人がいたものの、座れないというほどではない。
「わたし、ミートソースのパスタお願いね。シェリルは何がいい? この店はパスタがとーってもおいしいからオススメだよ!」
「えっと、あの――」
あたふたと慌てるシェリル。リアがまた、あからさまにいら立った顔をするものだから尚更だった。
「同じもので……」
シェリルが遠慮がちにそう告げると、リアはさっさと広場にある一際大きな店の中へと入っていった。
「それじゃ、あっちに座ろう、シェリル」
ティアはシェリルの手を引っ張って、広場の隅にあるテーブルへ向かった。あまり目立たなく、リアの向かった店からもこちらの状況がわかる場所だ。テーブルにはちょうど三脚の椅子が備え付けられていた。少しだけテーブルの上が汚れているがアンダーの街でそんなことを気にするような人間はほとんどいない。
座っても相変わらずシェリルは落ち着かない様子だった。きょろきょろと周囲を見渡しては、何か面白いものでもあるのか興味津々で眺めている。ティアには普段通りの風景そのもので、何が彼女の興味をそそるのか全く見当がつかない。ティアの目から見ても、やはりシェリルはアンダーの出身には思えなかった。
「シェリル、何か面白いものでもあるの?」
シェリルはじっと一方向を見詰めていた。露店や街並みを見ているというわけではなく、人を眺めているようだった。
「あの食べ物は一体何なのですか?」
どうやらシェリルは人々が手に持って食べている、その食べ物に興味があるようだ。それはパンに肉や野菜を挟んで食べる、お手軽に作れて移動しながらも食べることができるという、この街ではなんてことのないありふれた料理だった。
「あれはパラムっていう料理よ。いろんな食材を選んでパンに挟んで食べるのよ。もしかして、あれを食べたいの?」
「はい、是非食べてみたいです!」
シェリルはキラキラと目を輝かせながら大きく頷いた。その笑顔がとても無邪気でかわいらしい。本当に変わった子だとティアは思った。
そんなシェリルを狙っている人間がいるなんてティアにはとても信じられなかった。彼女が一体何をしたというのだろうか。ティアはフェイから話を聞いたものの、彼女が魔法を使えるなんて到底思えなかった。
魔法を道具もなしに扱う魔法士は魔具が発展した今となっては特別な職業だ。誰でもおいそれとなれるわけではない。立派な魔法士になるには資質と努力その両方が必要なのだ。しかも、その多くは職業魔法士と言われる魔具を作る事を専門とした人々だ。そうでない純粋に技術を磨くような魔法士――魔導師と呼ばれる人間は更に少ない。とてもシェリルがそういう事をしているようには見えなかった。
ティアは思わずシェリルに聞いてみたくなった。シェリルは魔法士で、どうして狙われることになったのか。けれど、ティアはそれを口にすることが出来なかった。シェリルは昨日の出来事すら忘れている、そして今はそのほうがいいと思っていた。今この時が楽しく過ごせればそれで――。
「それじゃ、食べてみよっ。わたしが買ってあげるよ~」
「本当ですか! ありがとうございます!」
ティアの手を握り締めてお礼を言うシェリル。
「おおげさよだよね~、シェリルは。でも、そこがかわいいっ!」
ティアは思わずシェリルを抱きしめた。シェリルは驚きながらも頬を赤く染めている。
二人はそれぞれ同じ種類のパラムを買う事にした。はたから見れば仲の良い姉妹、そう見えなくもない。
シェリルは一生懸命大きな口を開けてパラムを頬張った。おかげで口の周りにはソースがたっぷりと付いてしまい、それをティアが手でぬぐってやった。まるで箱入り娘のお譲様だ。
「おーい、ティア。ちょっとこっち来い。運ぶの手伝えよ」
リアが店の入り口で手招きしている。三人分の料理と飲み物は、流石に一人では運べないようだ。シェリルを一人にしておくのはどうかとも思ったが、リアがいいから来いという仕草でティアを呼び寄せている。店からここまでの距離は、せいぜい十メートルあるかないかといったところ。何かあればリアならすぐに駆け付けられるだろう。ティアは、シェリルにここにいるように告げると、リアの元へ向かった。
シェリルはパラムに夢中だった。今までこのような類の料理を食べた事は一度もない。いつも食べる料理はとてもおいしかったが、これには別のおいしさがある。こんな食べ方をするのも新鮮だった。それだけでもおいしく感じられる。
ふと、いつの間にかシェリルの傍に少年が現れていた。まだ十歳くらいの幼い少年だ。
少年は突然、ティアの残していったパラムに手を伸ばす。そしてあろうことかそのまま持ち去ろうとした。シェリルは咄嗟に少年の腕を掴んだ。
「あ、あの。人の物を取ってはダメですよ」
少年は何も答えない。無言でシェリルを見つめるだけだ。困ったように視線を巡らせるシェリル。二人はまだ戻ってきそうになかった。
よく見ると少年の服装は汚れが目立ち、ところどころ破けている。シェリルは何故少年がこのような服装をしているのか見当がつかなかった。
「お腹が空いているのですか?」
「…………」
シェリルの問いかけに少年は答えない。憮然とした表情でシェリルのことをまっすぐに見ている。
「でも、人の物を取るのはダメです。だから、私のを差し上げます。食べかけですけれど」
シェリルは自分が三分の一ほど食べたパラムを少年に渡してやった。少年はそれを受け取ると、すぐに走ってどこかへ行ってしまった。
「あっ!」
結局、少年はティアのパラムも一緒に持って行ってしまった。シェリルが追いかけようかどうか悩んでいると、二人が料理を手に戻ってきた。
「どうしたの、シェリル」
「い、いえ……なにも……」
「ぼうっとしてるからガキに食いもん取られたんだろ」
「えっ、そうなの?」
テーブルにはパラムがなく、ソースがついた紙屑だけが残っていた。
「は、はい……すみません」
「いいのいいの。あぁあ、そんなに汚しちゃって。口の周りにソースがべったりじゃない。それに手も……ちょっと待ってて、拭くもの取って来てあげるっ」
ティアは料理をテーブルに置くと、再び店へと戻っていく。
リアとシェリルの二人だけが残された。二人の間に沈黙が訪れる。
「てめぇ、さっき何したんだ?」
「えっ?」
シェリルはリアが何のことについて言っているのかわからなかった。リアはおかまいなしに料理に手を伸ばした。リアの料理は肉が山盛りになった、いかにもエネルギー補給を目的としたものだった。
「盗まれそうになったのは最初だけだろ。なんであのガキにくれてやったんだ?」
先刻のやりとりをリアは知っていたのだ。視線を泳がせてうろたえるシェリル。どうにもシェリルにとってリアは怖い存在だった。
「それは……あの少年がお腹を空かしているようでしたから……」
「そりゃ随分とお優しいことだな。けどな、てめぇはいい事したと思ってるかもしれないが、ここではそんなのは通用しないんだよ」
リアはシェリルの顔を見ようともしないで料理を口に運んでいる。
「どうしてですか……? あの少年の空腹を満たすことがいけないことなのですか。確かに盗むのはいけない事です。でも、あれを食べれば少なくともあの少年のお腹は満たされる。違いますか?」
シェリルの声が少しだけ大きくなった。ちらりとリアが上目でシェリルを睨みつける。
「一時的にはな。別に刹那を生きるのも勝手だけどな。あいつらは今を生きると同時に未来を生きてるんだ。今だけよけりゃ、どこかの店に入って、たらふく食って逮捕でもなんでもされりゃいい。あいつらがそうしないのは、そうなりたくないからなのさ」
リアは顔をあげてシェリルの目を見た。シェリルはいつものように目を逸らしたりはしない。
「ここにはな、親がいないガキが大勢いる。魔鉱山で働いている連中を親に持つ人間にはよくある話だ。金欲しさに魔獣が住み着く危険な地に足を踏み入れ食い殺される奴、貴族共に奴隷のようにこき使われて命を落とす奴、分不相応の取り引きに手を出し、命を奪われる奴――。ここじゃそんなのは珍しくもなんともない。だからそんな一人になったガキ共を人買いが攫いに来るのさ。あいつらを守る奴なんざいないからな。連れて行かれる事になったって、それは全部自分の責任さ」
シェリルの表情がみるみるうちに硬くなる。
「今日、お前にパンを貰ったやつが人買いにパンをやるって言われたら、どうなると思う? もしかしたらくれるのかもと一瞬油断する、お前にパンを貰ったということを覚えてるからだ。けどな、その結果、そいつは貴族のくそ野郎共に売られることになって――結局野垂れ死ぬのさ」
「そんな――」
「あいつらに本当に必要なのは一時の空腹を満たすパンじゃねぇ。自分で生き抜くだけの力さ。奪ってでもなにしてでも、自分でそれを手に入れなくちゃ結局未来なんかには辿りつけねぇのさ。お前が与えたのは甘い香りのする毒にすぎないんだよ」
「そんな、でも……」
何気ない日常にそんな裏側があるとは、シェリルには想像がつかなかった。嘘だと言いたい。けれど、リアの言葉が真実を語っているとシェリルにもわかった。
「それでも――それでも、彼らにひと時でも幸せを願うのは、いけないことですか……?」
「ふんっ。だったら、てめぇの金でやるんだな。人の力を使うだけの夢物語なんざ、クソと一緒だ」
「…………」
シェリルは、何も言い返すことができなかった。ただローブの裾をぎゅっと握りしめた。
「どうしたの、二人とも?」
ティアが紙ナプキンを手に戻ってきた。なにやら不穏な空気が二人の間に漂ってるのを感じ、声が硬くなる。
「なんでもねぇよ」
リアはいつもと変わらない様子でちょっと不機嫌な感じで食事を口に放りこんでいる。シェリルは俯いて何も言わない。昨日の朝と同じような状況になっていた。
ともかくこの状況はあまりよくない、ティアはそう判断して話題を変えた。
「ねぇ、なんでフェイはシェリルを助けてくれたんだと思う?」
萎縮してしまっているシェリルの口もとをそっと拭うティア。
「ん? 何言ってんだ。手放したくても手放せなくて困ってんだろうが」
「そう……そうだよねぇ」
「変なこと言うな。まぁ確かに、なんだかいつもと少し様子が違うような気もするけどな。だからって何がどうなるわけでもねぇさ」
「うーん、そうだよねぇ。でもでも、フェイはシェリルを助けようとしてくれてるんだよね?」
「――知らねぇよ、んなもん。フェイがそうしたいんなら、そうすればいいさ。ただし、あとでちゃんと分け前はもらわねぇとな。ただの運搬仕事がとんだ厄介仕事に化けたもんだぜ。ぜんっぜん割に合わねぇ!」
ぶつぶつと文句を言いながら、リアは食事を口に運ぶ。朝っぱらから山盛りの肉料理を食べている所を見ると相当苛立っているらしい。ティアはそれを見ながら内心で首をひねった。なんで太らないんだろうこの人は。
「ねぇ、リア。今体重いくつ?」
「あ゛?」
唐突な質問にリアが眉根を寄せる。ティアは常日頃から疑問に思っていた。暴飲暴食に夜更かし、不摂生の塊みたいなリアがどうして、そんなに色気のある体をしているのだろうと。自分より胸もあって、腰もくびれているリアが正直羨ましい。
「何言ってんだ、お前」
「ねー、教えてよー。どうやったらそんな風になるのー?」
「うるせぇな、知らねぇよ。別にどうだっていいだろ、そんなの」
リアは心底面倒臭そうに、ぞんざいに返答を返す。ティアは頬を膨らませて、ぶーぶーと文句を口にした。
「よくないよねー、シェリル? 乙女はそういう所気にするんだよ! 教えてくれたっていいじゃんね」
「………………」
シェリルは思い悩んだように顔を伏せたままだ。食事にも一向に手をつけようとしない。
「ね? シェリル!」
「………………」
「むぅー」
「………………ひゃ!?」
突然、シェリルが飛び上がるようにして立ちあがった。ティアがまさぐるようにしてローブの中に手を突っ込み、シェリルのお腹に触れたからだ。
「わぁ、シェリルのお腹って痩せてる割に結構キモチイイ! わたしももちょっと痩せたほうがいいかなぁ」
言いながらもティアはぷよぷよとお腹を揉む手を止めない。慌ててシェリルはお腹を隠そうと服を抑えた。
「な、なにしてるんですか!?」
「乙女チェックだよ!」
「お、おとめ、ちぇ……え???」
「シェリルがどんだけ女の子らしいかって事を調べてたの!」
ティアが言っている意味がシェリルにはさっぱり理解出来ず、目をしばたたかせている。一方、さっさと一人で食事を終えたリアは、目の前で起こっているいざこざなど気にも止めず、突っ伏して眠りについてしまっていた。
「でも、シェリルって意外と胸あるよね。リアといいシェリルといい、なんかずるくない?」
「……ずるいって何がですか……?」
「二人とも自覚していないところがまた、なんかずるいー!」
「あの……すみません……」
「別に謝らなくっても、いーよー。ほら早くシェリルもパスタ食べなよ! おいしいよ! そして太るがいいさ!!」
そう言ってティアはシェリルのパスタをフォークで絡みとると、口もとへと持っていった。
「え……あの……自分で食べられます……」
「いいからいいから、ほら、あ~~~~~~ん!」
一瞬戸惑った様子を見せたが、恐る恐るといった風にシェリルは口を開いた。ティアは楽しげにパスタを口に運ぶ。
「ほらね。おいしいでしょ?」
小さな口がもぐもぐと動き、パスタをのどの奥へと押しやる。シェリルの顔がみるみるうちに笑顔を取り戻した。
「はい、とても! おいしいです、このお料理」
「でしょー。この店のパスタの味に間違いはないのだよ!」
「そうですね!」
つかの間の楽しげな会話の中、二人はあっという間にパスタを平らげていった。