情報
フェイは様々な露店が連なる仲見世通りを歩いていた。その品揃えは日常品から、どこかの遺跡から掘り起こされたような怪しい骨董品まで幅広い。
ここはリナヴィア魔国の首都、魔鉱都市アルカザス。この都市は文字通り、魔法の源でもあるマナを溜め込んだ鉱石――マナ石の採掘で発達した都市である。
そしてアルカザスの中でも、ここは最下層の港、アンダードックと呼ばれる場所だ。
アルカザスは海に面した広大な台地とその台地を掘り下げられて作られた低地、更に隆起した山脈からなっている。それぞれ下から、マナ石の採掘、取引を主にこなす、地の港――アンダードック――。人々の移動、その他物資の空輸を行う、空の港――ハイドック――。そして貴族や王族などの政府の中枢が住まう、天の港――トップドック――。その三種の港によって構成されているのだ。
アンダードックはその中でも最も広く、最も雑多で、最も多くの人種が集まる場所だ。それはこの街が陸海空の揃う交易の拠点となっていた事に由来する。
それだけに、日々、あちらこちらでは絶え間なくトラブルが発生している。しかし、街の治安を守る騎士団もこの街の膨大な情報量のすべてを処理しきることなど出来るはずもなく、そのトラブルは半ば放置状態になっていた。アンダードックは特別な異常がない限りは、その場の人間の理によって秩序が保たれているのだ。
だが、ルールは自ずと出来上がるものだ。ならず者はならず者なりの世界を作り上げた。一見、無秩序とも思えるこの場所も、危ういながらも絶妙なバランスで秩序を保っている。
その一翼を担ったのが代行屋だ。複雑な社会構造は様々な思惑を生み、争いへと発展した。そこで、第三者によって取引が行われるシステムが採られることとなる。お互いの利害が直接絡まない取引相手。代行屋は依頼主のすべての煩わしさ、リスクを背負う存在だ。ゆえに報酬は破格である。しかし、誰もが代行屋としてなれるわけではない。代行屋に求められるのは、信頼とあらゆる状況を制圧出来るだけの強さだった。
そして、代行屋は一つの依頼主に留まる事が許されない。一つの所に留まれば、自然とそこに関係性が生まれる。そうなれば第三者としての役割を果たせず、様々なしがらみに縛られてしまう。代行屋は猫のように気ままに歩き回りながら、いつまでも主人を待ち続ける犬のように忠実でなければならない。フェイもまた、そこに身を置く一人だった。
刳り貫かれた台地の上を太陽の光を遮って飛んでいく飛空艇が見えた。
「おや、フェイの旦那じゃないですか」
露店の一角、ちょうど果物や野菜を売っている場所でフェイを呼び止める声があった。
「なんだ、ルアスか」
「へっへっへ、こりゃどうも」
麦藁帽子を深々とかぶったその男――ルアスは、指先でちょいと帽子を持ち上げた。男は何が楽しいのか、にやにやと顔に薄ら寒い笑みを浮かべている。その笑顔だけで何か人を不愉快にさせるものがあった。
「今日は果実を売ってるのか」
「ええ、まぁ。街に出るのが情報屋の仕事ですから」
「それは、御苦労な事だな」
「どうです、旦那。ここの果実はおいしいですぜ」
ルアスは夕暮れのような赤に染まった果実を手に取ると、それをフェイに差し出した。大きさは丁度手の平に乗るくらいで、まるで上から何かに押しつぶされたような見たことのない不思議な形をしている。とてもおいしそうには見えない。
「悪いな、今はそれどころじゃないんでな。また今度にしてくれ」
「そうですか、それは残念」
ルアスはまた元の場所へと果実を戻した。
フェイは挨拶もなしにその場を去ろうと歩き出す。この男とは、さして仲が良いわけではない。あくまで仕事上の付き合いだ。ましてや信用しているわけでもなかった。
「――なら、情報ならどうです?」
歩き出したその瞬間、一歩踏み出すそのタイミングを見計らったかのようにルアスがフェイを引き止めた。フェイがこの男に唯一認めている長所は情報の正確性だ。聞いておいて損はない、そう判断し足を止める。
ルアスは何を考えているのかわからない怪しい笑みを浮かべながら、フェイを見上げた。
「情報か。役に立つんだろうな?」
ルアスの返事を待たずに、フェイはポケットから銀貨を一枚取り出すと、投げて渡した。
「そりゃあ、もちろん」
銀貨を受け取ったルアスは顔の前までそれを持っていくと、表裏を念入りに観察し始めた。手触りを確かめ、匂いを嗅ぎ、そして齧りつく。そうやって一通り銀貨を弄くり回すと、ルアスはポケットにそれを仕舞った。
「ここ数日の話なんですがね、何やらトップドックの騎士団の連中がこの街に入り込んでいるみたいなんですよ。それも数人じゃあない。かなり大きな規模だ」
それを聞いて、フェイは不穏なものを感じ、僅かに顔つきがするどくなる。
アンダードックにトップドックの人間が降りてくることは稀なことだ。それはわざわざ降りてくる理由がないからである。トップドックではアンダードックで厳選された品物が届くようになっており、そうでなくても、ハイドックまで行けば大方の用事はすべて片付くからだ。もし仮に何かあったとしても降りてくるのはトップドックの人間ではなく、その下請けと言ったところがほとんどだった。
だが、唯一積極的な理由で降りてくるのがハイドックやトップドックの治安を預かる騎士団だ。いくらアンダードックが法の秩序の外側にあるとは言われていても、もちろん厳密な意味ではそうではない。一定の秩序を守るために騎士団がアンダードックに干渉してくることは、時折ある事だった。
「何が目的だ? 誰か上でやらかしたのか」
「さぁ、それはわかりやせんが、トップドックで誰かが行方不明になったとかなんとかっていう噂もあります。もしかしたら連中はその誰かを探しているのかもしれませんね」
「誰か、か……」
フェイの頭の中に木箱に入っていた、あの人形のような少女の姿が思い浮かんだ。服装から察するに、少なくともアンダーの人間ではないだろうとは思っていた。ハイドックの人間か、はたまたトップドックの人間か――。
もし仮にそうだとすれば、アンダードックに探しに来る理由にはなる。そうなれば少々面倒な事になりかねない。アンダードックの人間がハイドックやトップドックの人間に手を出すとろくな事がない。そこが秩序の線引きなのだ。もちろん、こういう事態に対処するのも代行屋の仕事なのだが、トラブルにならないに越したことはなかった。今はただ、そうならないようにと願うしかない。
考えにふけるフェイを見て、ルアスが興味深そうに訊いてきた。
「何か思い当たる節でも?」
「――いや」
「そうですか」
ルアスはまたへっへっへ、と嫌らしく笑った。
「おい、ルーカス、さぼってんじゃねぇぞ!」
店の奥から怒鳴るような大きな声が聞こえてきた。どうやらルーカスと呼ばれたのはこのルアスのことらしい。フェイが知る限り、この男は十以上の偽名を使っている。もしかしたらフェイが知るルアスという名も偽名かもしれない。
ルアスはおもむろに立ち上がると、後ろの木箱に入っている果実の整理を始めた。
「それじゃあな、また何か新しい情報があったら教えてくれ」
フェイはまた一枚硬貨を取り出すと、ルアスに投げて渡した。今度は銅貨である。ルアスはそれを受け取ると、今度は自分の隣にある箱の中へとそれを仕舞う。
そしてフェイはルアスが手渡そうとした果実の隣にある同じものを一つ手に取って、その場を立ち去った。
「――くれぐれも、お気をつけて」
フェイの立ち去った露店でルアスはそう呟いた。
部屋に入った瞬間、フェイは目に見えない薄い膜が、全身に張り付いたかのような感覚を覚えた。三百六十度あらゆる方向から視線を浴びせられたような、そんな居心地の悪さがある。
大気に満ちるマナの性質が明らかに変わっていた。何者かの意思が込められたマナの気配だ。それでもフェイは少しも躊躇わずに歩を進める。そのマナに敵意を感じなかったからだ。
薄暗い酒場の中に数十人の人間が散らばって椅子に座っている。皆、フェイのように集まるように言われてやってきた中央会のメンバーだ。ここにいるすべての人間が何かしらの組織のリーダー格。お互い険悪というわけではないが、少なくとも和やかな雰囲気はない。それはこれから行われる議題のせいでもあるが、お互いが商売敵という事に寄るものが大きい。それでも、ここにいる全員が(程度の過多はあるが)中央会の意義を認めていた。アンダードックの無法を秩序化するための最低限の取り決めをなさず、それぞれが無法に近いこの場所で好き勝手にやっていたら、あっという間に自滅の道をたどることになる。それは長い抗争の末行き着いた結論だった。
アンダードック内で起きた問題は、ここにいる人間達でどうするかを話し合い、速やかに決定し、処理することになっていた。そうすることで、内部の事情を外部に露呈することを避けてきたのである。
フェイは入り口から少し外れた部屋の一番後ろ――壁際の最も人が少ない場所に寄りかかって立つことにした。その位置からは、部屋全体を見渡すことが出来た。
「それでは始めよう」
フェイが部屋に入ってまもなく、部屋の中央奥、一段高くなった場所に座っていた男がゆっくりと口を開いた。その男は禿頭で浅黒い肌をしている。盛り上がった筋肉は服の上からでも容易にその逞しさを伺い知る事ができた。片方の耳には小さなピアスをしており、鋭い目つきは男が部屋にいる人間と一線を画していると知るには十分な鋭さだ。そしてなにより潜在しているマナの力強さが男の強さを表していた。 中央会を取り仕切るその禿頭の男は、名をダラスと言った。
ダラスの言葉に部屋中の人間が注目する。ダラスの両脇には側近と思われるスーツ服姿の男と全身黒ずくめの女が一人ずつ立っていた。フェイは男の方はいつもダラスの側にいて見知っていたが、女の方は見たことがない。どちらかが部屋中にうっすらと自分のマナを広げて、この独特の空気を作り出している事は察しがついた。だが、それがどちらのものかまではわからない。
「気付いてる連中もいるだろうが、今回集まってもらったのは、外の連中がこちら側に出入りしている件についてだ。どうやら連中はこちら側に探し物をしに来ているらしい」
話の内容はルアスに聞いたものと同じだ。ますます嫌な予感が強まった。
「探しものは、これだ」
ダラスがテーブルに一枚の写真を置いた。フェイは壁際に立っているので、その写真がよく見えない。代わりにダラスの組織の者と思われる数人が、写真の複製を持って一人一人に配り始めた。
そこに映っていたのは一人の少女だ。年は十五、六。その艶やかな銀色の髪は写真越しでも容易にうかがい知ることが出来る。絨毯や装飾品を見る限り、どうやら相当な金持ちのようだ。
フェイは既にこの少女を見知っている。今朝方会ったばかりだ。
嫌な予感が現実に変わった。
頭の中では様々な思考が駆け巡っていた。あの少女は一体何者なのか。なぜ自分と巡り合ったのか。少女を狙う連中は誰なのか――。それでもフェイはいたって平静だった。内心の思惑を表面へ漏らすことはない。
ダラスが写真を提示した瞬間、この部屋に入った時の違和感の意味を悟った。全身を舐めまわすように纏わりつくマナは、恐らく対象の感情の機微の変化を感じ取るものだ。写真を目にした瞬間、どう反応するのかを探っている。少女を知る者が写真を目にすれば、なんらかの反応を示す。たとえそれが無意識だったとしても。フェイはそれを悟られることを嫌った。わざわざ探るということは少女に関する情報を隠すかもしれないという疑念がダラス側にあるからだ。それが何かわからない以上、少女をおいそれと差し出すことはできなかった。だからフェイは極めて無感動に写真を見詰めていた。
「何者なんだ、このお譲ちゃんは?」
写真を見た男の一人がダラスに問いかけた。
「さぁな。その娘について一切のことは不明だ。わかっているのは、外の人間がこそこそとアンダーで動いているという事と、そいつらがこの娘がここにいるのではないかと疑っていることだ。
痛くもない腹を探られるのは気分がいいものじゃない。余計な疑惑が掛けられないとも限らないからな。俺としては早急にこの事態を収拾させ、連中にお帰りいただきたいのだが、異論のある奴はいるか?」
異論の声を上げる者は誰一人としていなかった。ここにいる組織のほぼすべてが、表の人間――つまりは法の中にいる人間にうろつかれることがデメリットでしかなかったし、中央会最大の組織の長であるダラスにわざわざ逆らう者などいるはずもない。特別な理由がない限り反対する理由などないのだ。
「全会一致ということでいいな。では、この娘を見つけたら俺のところに連れて来い。もちろん無事な姿でな。それ以降の事は俺が責任を持って処理しよう。何か聞きたいことはあるか?」
「報酬は出るのか?」
まっさきに気になるのは、いつもこのことである。金にならないのならわざわざ積極的に動く必要はないからだ。メリットとデメリット、双方を秤にかけて有利な方を選択する。簡単な仕組みだ。それを踏まえた上でダラスはこう答えた。
「そうだな、金貨十枚を出そう」
部屋中にざわめきが起こる。
金貨十枚――それは一般庶民が二年かけて稼ぎあげる金額に匹敵する。ここの組織の人間にとっては一度の仕事の収入としては、決して手の届かない金額というわけではないが、一人の少女を見つけるのにこれだけの金額が出ることには、多少なりとも驚きがあった。 指名手配の殺人鬼を捕まえるより、よほど簡単で割りのいい仕事だ。
「俺としては早急に片付けたい案件だ。俺の庭をうろちょろする奴にはさっさとお帰り願いたいんでな」
なるほど。ダラスには何か表の連中に居られて困るような事があるのだろう。皆はそう納得した。
「話は以上だ。いい成果を期待してる」
その一言でその場は解散になった。