三十五話 キリコの価値観
私は眠りにつく坊やをそっと抱きかかえた。フム、何度か坊やを抱きかかえたことはあったが、やはり緊張するね。今朝も、心臓の音を聞かれやしないかと内心冷や冷やしたものだ。もっとも、坊やにそんな余裕はなかったみたいだけど。あぁ、あの坊やの焦った表情、最高に可愛かった。この寝顔も可愛いが、私はおろおろと困った坊やの方が好きなんだ。こんなにからかいがいがあって、期待を裏切らない人間は、生まれて初めてさ。肝も据わっているしね。この私の額に手刀を当てるなんて、あれにはびっくりしたよ。本当に痛かった……絶対カストールの影響だ。坊やが暴力的にならないように、私がしっかり指導してあげなくては。
『眠らせたのはいいんだが……さて、カストールには狼共を蹴散らしてもらうとしようか。存在理由なんて、そのくらいしかないだろうしね。坊やは私が守らなくては』
強引に坊やを眠らせた目的は、坊やを危険な目から遠ざけるため。坊やの決意を後押ししてあげたいのは山々だが、今回ばかりは相手が悪い。お嬢さんの話が本当なら、実戦経験のない坊やなんてそいつらからしたら村人と対して変わらない。もっともっと、これから先、
『強くならなくてはね、坊や。な〜に、キリコ先生に任せておきたまえよ』
クリムを背中に抱えながら、キリコはドンっと胸を叩き、強く言い放った。その拍子にクリムを落としてしまい、思いっきり頭から落としてしまったのは、クリムには言えない秘密である。キリコはそっと胸にしまっておくことにした。
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その後、村の集会場である屋敷でカストールとキリコ、それにヨゼの三人は明日に向けて最後の話し合いをしていた。もう既に明日に備えて準備は整っている。早朝に最低限の荷物と食料品を持って、キリコを護衛につけながら村の奥にある洞窟に避難するというものだ。
『というわけだよ、カストール。坊やとお嬢さんと村人は、私が避難させよう。確かに近くの豊穣の神とやらを祭っている洞窟に逃げ込むのは悪くない。この村の人口は百人を少し超えるぐらいのはずだから、あそこなら楽に入るだろう。護衛も、入口で私が見張っておけば済む話だ。お前は一人寂しく、孤独を感じながら、じ~っと馬鹿丸出しで狼共が来るのを待っていたまえ。分かったかね?』
「……狼共を殺したら、ついでに化け狐狩りでもするか……まぁ、いい。だが、シルーレはどうする?大人しく言うこと聞くとは思えねぇ。あいつがどうしてもって言うんなら、傍に置いといた方が安全かと思ってたんだがよ。手前ぇにシルーレが抑えられんのか?」
『その役目はおまえさ、カストール。あれは私怨で動いているからね。説得は難しい。だからほら、縄でも使ってぐるぐる巻きにしておきたまえ。村人にでも運ばせるから』
「……シルーレの安全を考えたらそれが一番かもしれんが、あいつの気持ちはどうなる。わしにはできねぇな……」
『っは。血染めの戦鬼とやらも年をとったもんだね。昔のお前だったら、邪魔だからって理由ですぐにでも縛り上げといただろうに。言っておくが、私がお嬢さんの安全を考えるのは、もしも彼女が死んだら坊やが悲しむからさ。意思やら決意やら恨みやらはどうでもいい。ただそれだけなんだよ。だからさっさと拘束しておきたまえ』
「……勝手な奴だ……だが、拘束はしねぇ……わしが責任を持ってシルーレに避難するよう説得しておくわい。それでいいだろう」
まったく、あのお嬢さんと誰かを重ねてでもいるのか、年を無様に取ったのかは知らないが、らしくないとしか言いようがないね。この男が責任をとるって言ったんだから、これ以上は言わないけど。あとはどうでもいいさ。
『じゃあ任せたからね。それじゃあ、ヨゼもいいかい?そろそろ解散するとしよう』
「あぁ、明日はよろしく頼む」
ヨゼ、こいつも不運な男だね。いや、幸運なのかな。一応、カストールに次いで長い付き合いの人間になるけど、こいつほど浮き沈みの激しい人生もそうないんじゃないかな。初めて会った時も、魔物の群れに村を襲われて、村ともども死にそうな目にあっていたからね。私の次は、カストールが救世主になるのか。なんか嫌だが、あいつのおかげで私はあの面白い坊やと会うことができたんだ。その点だけ、ほんの少しの半分の半分くらいは感謝してあげてもいいかもしれないね。
クフフ、さっさと面倒事は片付けて、私の本を坊やの魔法で運んでもらわなくては。