先代勇者の話
「ねえ、それじゃあ私の前の勇者様はどんな風だったの?」
当代の勇者の問いかけに、神官は戸惑ったような表情を浮かべ、視線を泳がせた。
普段は自らの知識を喜んで語る青年のその姿に、当代の勇者である少女は不思議そうな表情を浮かべる。少女のその表情に気づいた青年は、慌てて首を振った。
「いえ、先代の勇者様も、貴女様と同じで素晴らしいお力を持っていらっしゃいました」
ただ、その。
口ごもる相手の動きに合わせ、少女は「その?」と首を傾げる。その動きに合わせ、少女の指通りの良い髪はさらりと揺れた。
「少し、個性的な方だったのだと、伝わっております」
納得しかねるような顔をしている敬愛すべき少女を何とか丸め込みながら、青年は思考を飛ばした。
確かに先代の詳細は伝わっているし、残っている。――四百年前だというのに、はっきりすぎるほど。
つまり、それだけ珍しく個性的な方だったということだ。
伝わっている先代の勇者の文献を思い出しながら、青年はどうやってこの愛らしい少女の知識欲を落ち着かせるかと悩んだ。
「…勇者?」
託宣の泉の中心で座り込んでいた少女は、厳かな神官の声に首をかしげた。
整っているといえる顔立ちは、今は心底怪訝そうにしかめられている。
「誰が。って、え、私?」
勇者様という言葉に周囲を見渡すが、その大きな空間には、中心の泉に座り込む少女と、それを遠巻きに見守る人々しか存在しない。そうして周囲の視線をたどると、どうしても自らにたどり着くと悟った少女は、ぽかりと口を開いた。
「ああ勇者様、どうか我々をお救いください」
「え?だから、え?何、勇者って」
「今この世界は魔王による危機に襲われております。その危機を乗り越えるため、異世界より召喚された選ばれし勇者が貴女様なのです」
しょうかん?と少女は小さく呟いた後、自らの周囲を見渡した。
今少女がいる足首ほどの水かさの泉の底には、なにやら複雑な模様が描かれている。そうして周囲を見渡すと、その空間の壁や天井、端には明らかに意味がありそうな宝玉が規則的に配置されていた。
そうして暫く口元に手をやり少女は思考をまとめ。
現状をぼんやりとではあるが納得し、よし、と頷いた。
「さあ勇者様、いつまでも泉の中にいては体が冷えてしまいます。湯を用意してありますので――」
どこまでも丁寧な言葉と姿勢で差し伸べられた手に、少女は自らの手を伸ばし。
――その手をとらずに、手を差し伸べてきた神官の襟元をつかみ上げた。
「帰り方は」
「…え?」
「帰り方は。私帰るのよ。急いで帰らないといけないの」
神官とは、基本的に世とは隔絶した世界に存在している。そのため、このような荒事は専門外である。
周囲に守られ、ただ平穏に神に祈るだけの日々の神官にとって、このように殺気混じりに睨まれるなど初めてのことだ。そのため神官は硬直し、周囲の貴族も勇者のその様子に戸惑い動けない。
しかしこういったことにもマニュアルは残されている。いきなり異世界へと呼び出された勇者が戸惑い混乱するという例は存在している。とりあえずはなんとか気を落ち着かせ、安全を保障し――
なんとか神官が気を取り直そうとする中、少女は泉から完全に体を起こし、ぎりぎりと自分よりも背の高い神官の襟を掴み引き寄せる。
身長差のため神官が体を曲げる羽目になり苦しんでいるのを意にも介さず、少女はぎろりとその黒い瞳で神官を睨んだ。
「彼氏が待ってるのよ!彼を口説き落とすのにどんだけ苦労したと思ってんの!?なんか過去のトラウマとかで中々私を信じてくれない彼を毎日毎日毎日毎日通いつめ!愛をささげ!中々信じてくれない中諦めないで努力して!ようやっと振り向かせたのよ!?高嶺の花よ!?私の努力の結晶よ!?ちょっとちょっとちょっとちょっとふざけないでよ!自分から離れないでくれるか、傍にいてくれるかって震える彼を私抱きしめてさあ、ずっと一緒にいるし離れないし、絶対に守るし泣かせないって約束したのよ!?どうしてくれんの!私の一世一代のプロポーズ!早速破っちゃってんじゃないのよ!彼嘘つきが一番嫌いなのよ!?どうすんのよ嫌われたら!ここまでくるのにどんだけ苦労したって思ってんのよ!絶対私がいなくて泣いてるわよ!人前では平気そうな顔して部屋で一人嘘つきがって泣いてるわよ!ちょっとこんなに遠くとか異世界とかじゃ慰めにも行けやしないじゃない!私は今すぐにでも帰らないといけないの!戻して!っていうか戻せ!!」
口を挟む暇も無い言葉の雨に、神官は目を見開き停止している。
そんな神官に焦れたのか、少女は神官の襟を掴んだまま、ぐらぐらと前後にゆする。返事をしろと怒るその姿は、下町などの平民の喧嘩によく見られそうなものだ。
ぐらぐらと遠慮なく揺らされ舌を噛みそうになりながら、神官は必死で言葉をつむいだ。
「か、帰る方法は、な、ないんですっ!ま、魔王を倒したら、代々のゆう、しゃは、光に包まれ、て!戻れる、と」
そこまで聞くと、少女はもうお前には用はないとばかりに神官の襟を掴み上げていた力を弱め、神官をぽいと泉の中に引き倒した。
ばしゃんという水音にびくりと肩を揺らす貴族たちを殺気混じりに睨み上げながら、少女は濡れた髪をかき上げつつ口を開いた。
「で、その魔王ってのはどこよ」
――そうして先代の勇者は破竹の勢いで歩を進め、助けを求める民のイベントを全て無視し、最短ルートで魔王の元へと飛び込み、あっという間に魔王だけ倒して元の世界へと帰ったという。
「民衆?知るか私はこの国の奴じゃないし、私が守るのは彼だけって決まってんのよ。自分で何とかしなさい国の兵隊使いなさいあんたらはそれが仕事でしょ」とは先代勇者の弁。召喚の際に光の女神の守護を受け、修行をさほどせずとも魔王と戦える力を授けられていた勇者は、周囲の魔物たちを見事に無視し、魔王だけ倒して去っていった。
ねえねえ、どんな人だったの?と聞いてくる当代の勇者に、それをなんと説明したものかと神官は視線を泳がせる。
当代の勇者は先代とは異なりなんとも真面目で、正しい真面目なルートで、着実に周囲のイベントをこなし、魔王城へとゆっくりと進んでいる。
下手なことを伝えて、先代の勇者の考えを参考にされてしまってはとても不味い。
どうしたものか、と神官は呻いた。
異世界召喚されたけど「私彼氏が待ってるから帰るのよー!」と欠片も恋愛しない勇者(女の子)のお話。




