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コーヒー&タイムリープ

作者: 明日朝明日
掲載日:2026/01/21

少しだけ雨が降る朝の日。


いつも同じ角度の光を浴びて、まどかはシャッターを半分開けて店に入った。

エプロンを掛けて、グラインダーの豆を確認する。

ポットに水を汲んで火を入れる。


いつも、いつも行っている同じ動き。


このカフェは10時に開く。

そして17時に、closeの札を裏返して店は静かになる。


そのはずだった。


最初に気がついたのは、時計の針だった。

閉店後、何時間経っても夜が来る気配がない。

違和感。

外に出ようとしたとき、視界が真っ暗になって、次に目が覚めると、また朝だった。


夢だろうと円は思った。


疲れとか錯覚とか、ただの気のせいだと。

でも、何回繰り返しても同じ朝。

変わらない雨と街。

変わらない一日。


閉店した直後に、開店の時間まで巻き戻る。


終わることを許されていないかのように、毎日毎日、戻っては繰り返す。

時の波を、円はだんだん受け入れてしまおうとしていた。


「おはようございます。いい香りですね」


初めて声をかけられたとき、円は少しだけ驚いた。

開店直後に来るその人は、いつも一人でカウンターに座って動かない。

他の人や内装を、ゆっくり観察している。


その名前を、たまきというらしい。


性別は分からない。

声、仕草、体格、どちらとも取れる。

年齢も、見ただけでは分からない。


「本日は、どんな味ですか」


環は、いつもそう尋ねてくる。


「まだ分かりませんよ」


「いいえ。円さんは分かるはず」


円は微笑んで、ドリッパーにお湯を注ぐ。

豆が膨らんで、香りがお店に広がっていく。

環は、それを見ていた。


繰り返される一日の中で、円は少しずつ変化に気がついていく。


環の変化。

言葉や仕草の変化。


ある日、円は訊いた。


「これは、今、何度目ですか」


環は少し黙って、それから答えた。


「もう、分かりません」


円は悟った。


この人は、すべてを知っている。

ずっと繰り返される、この日を覚えている。


17時。

また今日が終わって、また今日が始まる。


でも、今日は少し違った。


「環さん」


円は声をかけた。


「あなたが、やっているんですか」


環は返事をしない。

円は、それを肯定と捉えた。


10分ほど沈黙が続いて、環は口を開いた。


「救おうとしたんです。私の大切な人を」


円は理解しようと、頭で言葉を咀嚼する。


「その人は、今日が終わるとき、このお店が終わって、必ず命を落とします。


なぜかは分からないけど、絶対に。


そして、これもなぜか分からないけど、私は今日を繰り返すことのできる魔法を授かりました」


言われて、余計に意味が分からなくなってしまった。


「環さん……それは、本当?」


「ええ。本当です」


そして、と環はコーヒーを一口飲んだ。


「円さん、死ぬのはあなたです。

明日を迎えられないのは、あなたなんです」


淡々とした声。

努めて冷静な声色。

事故でも病気でもない。


あなたが。

でも、絶対に、十七時を超えると、必ず。


「だから、ずっと繰り返しています。原因を探るために……」


「私……ですか」


「ええ、そうです」


円は言葉が出なかった。


「でも、少しやりすぎたみたいです。

時間をいじりすぎて、あなたも記憶が残るようになってしまった」


申し訳なさそうに目を伏せる。


「環さん。私たちは、そんなに深い仲ではありません。


それなのに、なぜ私を救おうとしてくれているんですか?」


「あなたが作ってくれたコーヒーが、私を救ってくれたから」


環は即答した。


「私は前から、ここに来ていました。

お客さまが多いから、いちいち覚えていないかもしれませんが、私はここのコーヒーが好きだった」


環はコーヒーカップの縁を、指でなぞる。


「この世に絶望したとき、諦めたとき、このコーヒーは前を向かせる。


でも焦らせるでもなく、ただ温かかった。


大したことではないかもしれませんが、私が前を向いて生きていく理由を作ってくれたんです。

だから……」


円は申し訳なさそうな顔をした。


「環さん。私はね、今日、死のうとしていたんです」


環は動揺した目を見せる。


「それだから、毎回死んでいるんだと思います。

世界が悪いわけでも、あなたのせいでもなく、私自身が、この命を終わらせているんです。

誰も関係ありません」


環は言葉を失っていた。


「でも、環さん。あなたのおかげで、私は一生涯分のコーヒーを、皆さんに作ることができた。


名前も知らない、今日を生きる人に、一杯一杯。


だから、もういいんです。

思い残すこともない」


17時が過ぎて、店が終わる。


環は言う。


「そうだとしても、生きてください。

自分のためが難しいのなら、私のために。

あなたのコーヒーを楽しみにしている、私のために」


環は帰った。


そして、少しだけ雨が降る朝の日。


いつも同じ角度の光を浴びて、円はシャッターを半分開けて店に入った。

エプロンを掛けて、グラインダーの豆を確認する。

ポットに水を汲んで火を入れる。


いつも、いつも行っている同じ動き。


お店が開く。


「おはようございます。良い香りですね」


声がする。


「おはようございます。もうすぐ雨は止むらしいですよ」


円はコーヒーを作り始める。


円は、今日を生きる。

円環の外で。


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