第9話:日本の地理と報道の在り方
自転車を回収し現場から少し離れた場所に有ったオレンジ色の看板が目印のローカルコンビニで、よく冷えたガラナを一本買ってソレを呷る。
北海道限定で販売されて居るその飲み物は、プロゲーマーとして東京に居た頃には余り飲む機会も無く、こっちに帰って来てからはなんとなく良く飲む様に成った一品だ。
味としては一般的なコーラよりも少々癖が有り、好き嫌いが別れる物では有るだろうが、シンはこの飲み物が割と好きだった。
「……げふっ、本当に面倒臭いな」
500ミリリットルのペットボトルを半分程一気に飲み干すと、げっぷを一つ吐き出してから吐き捨てる様にそんな言葉を口にする。
現場の状況を少し離れた場所から報道機関のカメラが撮影して居たらしく、割と無理矢理に近い取材が有ったのだ。
幸い現場の混乱状態とシンに対応して居た警察官が間に入ってくれた事で、その場で顔出しのインタビューと言う状況は避けられたが、後から電話越しでの取材を受ける事に成ってしまったのである。
正直な所シンはマスコミが嫌いだ、プロゲーマーとして何度かテレビに出演する事に成った際には、自分の思う事を一切言う事は出来ず台本通りのやり取りを強要される事が大半だったのだ。
自分とゲームのプロ競技に付いての取材ですら実際のプロ競技の現実なんて物は置いておいて、テレビマンが思い描き視聴者受けするであろう言葉を連ねる為だけに、プロゲーマーと言う肩書きを持つ人間が欲しい……そんな番組ばかりだった。
無論、東京のキー局と地方ローカル局では、番組制作に当たる者達の態度や価値観の違いも有るだろうが、ソレでも彼はマスコミと言う者達が嫌いなのだ。
そして何よりも腹立たしいのは、今回の惨状を作り出した遠因の一つが、彼に取材を申し込んだのとは別の局では有るが、やはりテレビ局員だったと言う事である。
彼が東京に居る間にネットでも話題に成った【ヒグマを自衛隊駐屯地に追い込んだテレビマン】と言う様な動画が有ったが、今回も豊平川沿いから真駒内と言う地域に入り込んだ宇宙カマキリをテレビ局の取材車両が自衛隊駐屯地近くへと誘導した……らしい。
ただ……車に怯えて逃げたヒグマを追い込んだ一件とは違い、今回は車を簡単に両断する宇宙カマキリから取材車両が逃げた先が駐屯地方面だったと言う事である。
恐らくは【自衛隊なら何とかしてくれる】と言う様な感覚で、その方向へと逃げたのだろうが……問題は自衛隊も警察官もマーセとして活動して居る者は多くとも、職務中はブラスターを携帯して居ないと言う事だろう。
今回の様な緊急時の備えてマーセはブラスターの携帯を推奨されて居るが、自衛官や警察官は【職務に必要の無い私物】として扱っているそうで、彼等は宇宙カマキリに対して即応出来る戦力では無いのだ。
流石に今回の人的被害等を鑑みて今後は内規の見直し等が行われるのだろうが、実際の所はどうなるか分からない。
シンが知る限り……インターネットを含めて一般的に知る事が出来る情報の中では、日本国内で宇宙カマキリに依る大規模な人的被害の報告は今の所無いのだ。
下手をすると今回の一件がその一例目である可能性すら有る。
日本という国は国土の大半が山林で、僅かな平地にしがみつく様に人間が暮らしている……と言う地形の関係上、宇宙カマキリはわざわざ平地へと降りて来る事は少なく、野生動物を餌食として繁殖して居るのだ。
その為人間が被害に合ったと言うケースがはっきりと報告された事は無く、行方不明者の類がもしかしたら……と言う程度の留まっている。
登山の類もマーセ達の活躍で安全が確保された山以外は基本的に閉山して居る状態の為、登山用品を扱う店なんかは割と売上を落としていると言う話も有るが、登山客が多い山は優先的にマーセが派遣されているので大きな影響は無い筈だ。
……日本一の霊峰として名高い富士山は、その裾野に広がる樹海まで含めて宇宙カマキリの巣窟に成っていても不思議は無いのだが、浅間大社の御利益故かどうやら近くに卵が落ちなかったらしく、かの山は今でも御来光を眺める人の群れは絶えて居ない。
とは言え日本は古くは山岳信仰の国でも有る為、大概の大きな山には信仰の対象として神社が建立されて居る物なので、純粋に運が良かったと言う事なのだろう。
兎にも角にも日本で始めて人の目に映る形で起きた大規模な宇宙カマキリ被害で有り、ソレを収めた立役者とも言えるシンにマスコミが注目しない理由が無い。
少し調べれば彼が元プロゲーマーだと言う事は直ぐに分かる話だし、彼が距離を置いている実家がそれなりの規模の建設会社で、他の身内にも相応の立場と言える者が何人か居る事もマスコミの取材力が有れば容易に暴かれる事の筈だ。
ここで余計な駄々を捏ねて取材に応じないと言う選択をすれば、恐らくはそうした痛くもない腹を探られて【知る権利】や【報道の自由】の名の下に、色々と面倒な事になるのは想像に難く無い。
不幸中の幸いと言えるのは、取材の申し込みが有った番組が普段から割と良く見ているワイドショーで有り、生放送中に司会のアナウンサーと電話でやり取りする……と言う形式の事だろう。
このやり方ならばテレビ側に都合の良い台本通りにやらなければお蔵入りと言う事には成らないし、余程頓珍漢な事を抜かさなければテレビ局側から反感を買う様な事にも成らない筈だ。
一応は向こうから事前にどの様な話をするのか……と言う様な、台本と言う程の物では無いがソレに近い物は送られてくるのだろうが、生番組ならば出演者のアドリブでソレが変化する事は十分に考えられる。
「お? 誰からだ?」
と、そんな事を考えていると、携帯電話が着信を知らせる合成音を鳴り響かせた。
「はい、もしもし、橘です」
待ち受け画面に表示された番号に覚えは無いが、つい先程テレビ局の人間に連絡先としてこの携帯電話の番号を教えたので、そこからだろうと考え直ぐに応対する。
『あ、橘さん! 大変な事に成ってますね、此方にももう情報は届いてますけれど、今朝の功績ランキングの件と合わせて表彰が確実に成ったので連絡しました!』
けれども電話の向こうから聞こえて来たのは、最近毎朝の様に耳にする宇宙カマキリ対策センターの恐らくはオペレーターとでも言うべき役割を担う女性の声だった。
彼女は正式には宇宙カマキリ対策センターの職員では無く、その真下に有る札幌中央警察署で勤務する女性警察官で有り、今回の事件に関してもソレを即座に知る事が出来る立場の人物だ。
『ソレで現場で貴方に対応した者から聞いたんですが、テレビ局から取材の依頼が有ったんですよね? 大変恐縮なんですがその件で上の者が橘さんと話をしたいと言って居るので、御足労頂くのは申し訳無いんですが中央署まで来て頂けませんか?』
……成る程、今回の件で人的被害が出ている以上、警察もマスコミに対して記者会見の類を開かないと言う訳には行かないだろう。
その上で現場で対応した俺がその発表に反する事を言えば、ヘタをすると反権力的な姿勢を取る事の多いマスコミから、反警察や反自衛隊向けのヒーローとして祭り上げられる可能性も十分有り得る話だ。
元プロゲーマー等と言う胡乱な生き方で金を稼いで、マーセになるまでネオニートを決め込んでいた俺は、一般社会から見れば【はみ出し者】の類と見られる可能性は十分に有る。
そうした者をマスコミと言う連中は上手く転がす手管手練の類は幾らでも持ってる事は想像に難く無い。
「分かりました、今から向かうので30分も掛からずに着くと思います……はい、はい、分かりました。受付で名前と免許証を出せば話は通るんですね。はい、了解です」
通話を終え深い深い溜め息を一つ吐いた後、シンは手にしたペットボトルの中身を一気に飲み干すと、ソレを店内のゴミ箱へと入れてから自転車に跨がり、颯爽と走り出すのだった。