第8話:玄人の戦場、素人の戦場
炎の赤と血の朱に塗れた道路の光景は、ここが本当に日本なのかを疑わせるに十分な衝撃を持って居た。
いや震災等の災害現場ならば同様の光景を目にする事も有るだろうが、幸か不幸かシンは産まれてこの方その手の大きな災害に直面する事無く生きてきたのだ。
無論、阪神・淡路大震災や東日本大震災を知らないと言う訳では無いし、北海道胆振東部地震でのブラックアウトも経験はして居る。
だが彼の生活圏が所謂【被災地】に成った事は一度も無かったのだ。
宇宙カマキリ対策事業の現場では予備肉体が、宇宙カマキリの鎌に切り裂かれ血塗れで倒れる様を何度も目にしては居るし、ブラスターに撃たれた奴等が爆散し周囲に火が着いたなんて事も経験はして居る。
けれども今この場に有る惨状は、幾ら死んでも取り返しの効く便利な予備肉体では無く、生身の人間が実際に命を落としている凄惨さに満ちあふれていた。
「危ないからこっちに来るな! 早く逃げろ!」
そんな惨状の中で立ち竦むシンの姿を視認した制服の警察官が、宇宙カマキリに対して拳銃を発砲しながら怒声を上げる。
効きもしないと分かっていても銃を撃っているのは、少しでも宇宙カマキの気を引く事で他の者が安全圏へと逃げる時間を稼ごうと言う気概故だ。
「マーセです! 警報を受けて急行しました! アレを倒します!」
その声に正気を取り戻したシンは震える手でホルスターからブラスターを引き抜くと、歯を食いしばって警察官や自衛官を相手に暴れる宇宙カマキリの胸へと照準を合わせる。
彼が口にしたマーセとは傭兵の略称で有り、宇宙カマキリ対策事業者の別称でも有る……と言うか宇宙カマキリ対策事業者なんて言葉は法律上使われているだけで、世間一般ではマーセの方が通りが良い。
シンは実銃を握った事は無い、エイム動作もマウスでのソレは反射的に出来る程に繰り返したが、生身の身体でソレをするのはアーケードゲームのガンシューティングで多少経験が有る程度だ。
それでもブラスターを両手で握り構えを取ると、自然と肩の震えが落ち着いた。
予備肉体での経験は肉体的なモノが本体に反映される事は無い、けれども経験したと言う実体験は決して無駄になる事は無いのだ。
シンの身体能力は運動も禄にしていない一般人と比べれば、かなり高い水準に有ると言えるが、現役軍人の中でもトップクラスのエリートと同等の身体能力を持つ予備肉体と比べれば明らかに劣る。
だが今この場で求められているのは、飽く迄も仕留める事が出来る武器を確実に相手に当てると言うただ一点だけだ。
今だけは良すぎる聴覚から入る情報も全て無視して、ただただ確実に宇宙カマキリの急所である胸と頭の二箇所にブラスターの薬剤を叩き込む事に集中する。
「……今!」
警察官達の放つ銃弾は確かに宇宙カマキリの甲殻を傷付ける事すら出来ては居なかったが、それでも何発も打ち込まれれば鬱陶しいとは感じる様で、奴は打ち込まれた方向へと振り向く動作をその度に繰り返して居た。
ゲーム的な表現をお許し頂けるのであれば、ヘイトを稼ぐ事で一人の人間に攻撃が集中する様な事は避けられて居たと言う事で有る。
そうした動きを見きったシンは、何度目かの振り向き動作に合わせて引き金を引き絞った。
放たれた二筋の僅かに黄色を帯びた白色の光線は、狙いを誤る事無く宇宙カマキリの比較的小さな頭部と相応の大きさを持つ胸部を撃ち抜くと、即座に真っ赤に変色させ爆散させる。
宇宙カマキリの旺盛な生命力は頭を撃ち抜いただけだと、残った身体が盲滅法に暴れまわり周囲に被害を出すし、胸だけを撃ち抜いた場合には残った頭が近くの生き物に噛み付き喰らおうとする為、この二箇所を可能な限り同時に近いタイミングで撃つ必要が有るのだ。
「……すげぇ、本職のスナイパーでも彼処まで見事な射撃は出来ないぞ」
シンが撃った結果を見て、安堵の表情を浮かべた先ほどの警察官が、そんな言葉を口にする。
同時にシンは普段の戦場でして居るのと同様に、残敵が居ないかを確認する為に舌打ちを一つして居た……結果、周囲に宇宙カマキリと思しき反響音は無い。
ソレを確かめて気が抜けたのかシンは膝の力が抜けた様にその場に尻もちを付いた。
ゲームでの戦場も予備肉体を使った戦場も、実際に自分の命が危険に晒される様な事は無く、予備肉体では死に瀕する様な傷を負えば相応の痛みは有るが、ソレだって傷ついた予備肉体を捨ててしまえば直ぐに消えてなくなる物でしか無い。
しかし今回はヘタを打てば不具を抱える程度で済めば良い方で、最悪この場に居る他の者達も含めて宇宙カマキリの腹の中に収まっていても不思議は無かったのだ。
「担架持って来い! 救急車の要請も急げ! 自衛隊の病院だけじゃ対応しきれないかも知れん! 近隣の病院にも応援要請急げ!」
「大丈夫か! 傷は浅いぞしっかりしろ! 目を閉じるな! まだ間に合う!」
その事を周囲で行われている救急救命活動が目に入った事で、改めて実感し今更ながらにさらなる恐怖を感じているのである。
「なぁアンタ……良くやってくれた。もう少し遅かったら死人の数が一桁増えてたのは間違いない、本当に良く来てくれたよ」
先ほどシンに警告を放ったのとは別の、比較的年配の警察官が座り込む彼の肩に手を置いて感謝の言葉を口にした。
「いえ……マーセとして登録してるなら、当然やらなきゃ成らない事ですから」
立ち上がる事もせず取り敢えずはそんな言葉を口にするが、未だ恐怖にすくんだ身体からは震えは取れていない。
「……私も余暇はマーセとして活動して居るし、今回始めて生身でアレと相対したが、そう簡単に慣れる物じゃぁ無い。見た所君は民間人だろう? 実際対したものだよ、あの状況できっちり二発で仕留めて見せたんだから」
無傷の自分に構っている暇が有るならば救命活動に参加するべきなのでは無いだろうか……と言う疑問が脳裏を過ったが、マーセは前歴無関係で従事する事の出来る数少ない仕事だけ有って、暴力団関係者の可能性を疑っている可能性も有る。
ちなみに暴対法の絡みで暴力団関係者は組織を抜けた後も数年は新規の銀行口座を作る事は出来ない等の縛りが有る為、再就職にも難儀するらしいが宇宙カマキリ対策事業は、そうした者達にも例外的に門戸を開いて居たりするのだ。
本来であれば警察官や自衛官の様な公務員も基本的には副業は認められていないのだが、少しでも戦闘に関わる職業の者に宇宙カマキリ対策に当たって欲しいと言う事から、例外的に彼等の副業としてマーセに成る事は認められている。
暴力団関係者をソレと同列に扱う事には国会でも様々な意見が飛び交ったが、諸外国での宇宙カマキリに依る被害の大きさを鑑みた結果、一人でも多くの戦力が必要だと言う結論に至り、現役は兎も角【元】であれば年数の縛り無くマーセに成る事は出来るのだ。
中にはそうした法の抜け穴を利用し、表向きは組を抜けた事にしておいて、マーセとしての稼ぎを組織に上納する……と言う案件は完全に無いとは言い切れない為に、警察としては身元確認の一つもしたいと考えても不思議では無い。
助けた側からすれば【仲間の命を救った恩人を疑うのか?】と言う話では有るが【ソレはソレ、コレはコレ】なので有る。
警察官側の対応に関してそうした思惑が有るだろう事をなんとなく察したシンは、サイクルジャージの背中に付いたポケットから財布を取り出すと、公安委員会発行が発行している最強の身分証明証である運転免許証を取り出し示すのだった。