第13話:運動すると気分が晴れやかになる……事も有る
シンが通うススキノに有るスポーツジムは交通の便が良い場所に有る為か、いつの時間も大体混み合って居る。
彼が主に来る午前中はガッツリとしたトレーニーと言うよりは、普段の健康作りや体型維持を目的とした客が多い様で、ガチムチのマッチョマンと言う感じの者を見かける事はほとんど無い。
「橘君、昨日の蝦夷っ子ワイド見たよ。なんか大変だったみたいだね」
ほぼ毎日同じ様な時間帯に通って居れば、やはり同じ時間帯に利用する客と顔見知りに成るのは当然の事で、そんな言葉を掛けて来たのはシン同様に仕事明けにジムを利用する事の多いホストの男性だった。
ホストと言うと自分も客にもしこたま酒を飲ませてその支払で稼ぐ商売と言うのが一般的だが、シンより少し年嵩のベテランに区分されるそのホストは、基本的に自分は最初の一杯以外は飲まないと言う独特の営業スタンスを取る男だ。
ルックスやノリの良さで女性を引き付けるのでは無く、巧みなトーク力と【客に無理をさせない】営業で、店の天辺では無いが息の長い成績を残し続けている古株ホストである。
そんな彼は常にトークのネタを仕入れる為に、テレビだけでは無く様々なメディアを視聴して居り、男のシンが話して居ても惹きつけられる物を感じる一種のカリスマの様な物を持った人物だった。
まぁ当人に言わせれば、それもまた【話術】の一つに過ぎないらしいが、そう簡単に真似出来る物では無いからこそ、彼を指名する夜職以外の息の長い女性客が多いのだろう。
ちなみに彼が口にした蝦夷っ子ワイドと言う番組は、道内で放送されて居る夕方のバラエティ番組としては割と高い方で有る視聴率5%代を長い事キープし続けている、こちらも息の長い番組である。
「ええ、俺は貴方みたいな気の利いたトーク力なんて無いですからねぇ、用意して貰った台本の通りに話しただけですよ」
ホストと言う職業柄それ相応のスタイルを維持する為にジム通いをして居ると言う彼と、隣り合ったランニングマシンで走りながら会話を交わす。
有酸素運動と言う点では趣味で乗っている自転車で十分な量を熟して居るが、ここに来るのは寝起き朝一朝食後の時間帯なので腹ごなしとウォーミングアップの為に走るのだ。
「台本って事は……やっぱり君が昨日のインタビューで言ってたのも、朝のニュースでやってた様な陰謀論めいた話なのかい?」
どうやら彼もシンが今朝見たのと同じニュースを見ていた様で、嫌そうに眉を潜めながら声を落としてそんな疑問を口にする。
「いやいや台本を用意してくれたのは警察の方でして、宇宙カマキリに対する対処としては嘘は全く言ってませんよ」
警察から口止めされて居る様な事でも無かったので、素直にそう答えると彼はちょっとだけホッとした様な表情を浮かべ、
「やっぱ内地のキー局と蝦夷テレは違うよね。内地のテレビ局は大陸系が入りこんで酷いって聞くし」
そんな言葉を口にする。
シンの目から見れば蝦夷っ子ワイドも半島系の商品をゴリ押しする様な演出が割と多いし、内地よりはマシ……なのか? と言う程度の差しか無いのだが、彼がそう感じているのであればあえて否定する必要は無いだろうと、反論めいた言葉は口にしない。
「まぁどちらにせよ、あの場所にアレが現れたって事は、多分札幌市内おそらくは南区の山ん中にでも営巣地が有るんでしょうから、今辺り警察のヘリとドローン業者達が捜索してるんじゃないですかね?」
宇宙カマキリは別段夜行性と言う訳では無く、昼間でも……と言うかアレに睡眠という概念が有るのかどうかも今の所定かでは無い。
実際、マーセは交代制で24時間体制で宇宙カマキリの駆除活動を行っているが、どの時間帯だと特に被害が少ない……等と言う報告は上がっておらず、目に付いた動く物を獲物と認識し襲うと言う事しか分かっていないのが現状だ。
宇宙人ならばそうした地球人が調べた以上の情報を持っているのでは無いかと思って、昨日は宇宙カマキリ関連の宇宙人達の間で流通して居る電子書籍を購入したのだが、色々有って未だ読めて居ないが、ここで一汗流して昼飯を食ったら帰ってソレを読むのである。
「ふぅ……ウォーミングアップ終わり! よし、今日は下半身を中心に鍛えるかな、じゃぁまた」
ランニングマシンが規定の時間を知らせるアラームを鳴らし、速度が徐々に落ちて最終的にその動きを止めた所で、彼はそう言ってシンの側を離れて行く。
普通ならば今回の様に【話題の人】とでも言うべき状態に成った人物と会話をすれば、早々簡単に話を打ち切って予定通りに行動すると言うのは難しい事だろう。
にもかかわらずサクッとシンの側を離れて次のトレーニングへと向かう彼は、流石はベテランのホストだと思わせるには十分な【人誑し】の素養を感じさせる物だった。
実際シンは自分の事を根掘り葉掘り聞かれるのを好まない、ヲタク特有の自分の専門分野に関して語りたい欲求は相応に有るものの、ソレは【歴史】特に【近現代日本史】と言う分野に関しての物で自分自身は対象外なのだ。
それにマーセに関する事だって当然ながら守秘義務と言う様な物は有る、暴力団関係者にまで門戸を開いて居る仕事だとは言っても、職務上知り得た秘密を無関係な人間に誰彼構わず暴露して良い訳が無い。
そうした一般的な社会常識が有るにも拘らず、日本人はそうした契約に無頓着な部分の有る民族性を持っている。
ゲームアプリなんかの契約約款を細かい部分までしっかりと読み込んでから同意する者なんてのは、余程偏屈な性質の者で無ければ良くて流し読み、ヘタをすると全く読まずなんてのが大半では無かろうか?
事実シンも学生時代に遊んでいたネットゲームでは、ろくにそうした物は読まずに【常識的な事しか書いてないだろう】と言う判断で同意を押していた記憶が有る。
けれどもプロゲーマーとして東京のチームに所属した際に、ソレは割と真面目に危険な行為であると注意された事で、契約や規約と言った物にはしっかりと目を通す癖を付けられたのだ。
……元々の進路予定だった歴史教師と言う道を選んで居た場合でも、就職先の学校次第では社会科と言う枠組みの中で公民の授業を教科書通りに行うなんて未来も有った可能性は有る。
そうなった場合には恐らく生徒に対して、そうした注意を促す様な事を授業で言って居た可能性は十分に有るだろう。
日本と言う国は良くも悪くも一般的な部分は性善説で運営されており、詐欺の類にでも遭わない限り日本人は細かな契約約款等を読まなくても苦労する事は無い。
この辺は【裁判沙汰】が非日常で有り、訴えられた時点で何か良くない事に巻き込まれたと考えがちな日本特有の事象と言えるだろう。
特に性犯罪の類だと実際にやった訳でも無い事でも、訴えられた時点で推定無罪の原則が無かったかの様に、実名報道されたり会社を解雇されたり……等と言う【社会的制裁】が裁判の結果を待たずに行われると言うのもそうした雰囲気に拍車を掛けている様に思う。
シン自身も弟が警察官になりある程度内情を知るまでは【逮捕=犯罪者】と考えて居たが、実際には逮捕されても不起訴になるケースの方が圧倒的に多く、不起訴処分の時点で犯罪歴は付かない事を知らなかった。
一応は大学で社会科教師を目指した経験を持つ者ですらその程度の認識なのだから、一般社会に生きる極々普通の人達からすれば、パトカーに乗せられた=犯罪者と言う図式が頭の中に出来上がるのは何ら不思議でも何でも無いのだろう。
プロゲーマーとしてメディアに露出する機会もあったシンは、そうした危機意識の無さをチームに雇われたコンサルタント? 関係者から散々叩き込まれた事で、今では一応細かな規約にも目を通す癖が着いている。
……お陰で新しいゲームに手を伸ばすのが面倒になってしまったのは、良い事なのか悪い事なのか?
兎角まぁ、先程まで感じていたクサクサした気持ちがいつの間にか解きほぐされているのを感じた彼は、気分を新たにチェストプレスと呼ばれる機材へと向かうのだった。




