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死より深い夜

私は、鹿児島立夏。

この世界は、思った以上に腐っていた。

そう気づくには、あまりにも多くの代償を払わされた。

高校一年の夏休み。

あの頃、私は平凡な幸せにしがみついていた。

放課後、友達と食べるコンビニスイーツ、くだらない恋愛トーク。

それだけで十分だった。

私は、静かに生きたいだけだった。


でも、それを壊すには、一瞬で十分だった。


あの五人――西山勇次郎、中澤優、古田翔真、池内一誠、川村富貴。

人の皮を被った化け物たち。

あの日、里奈が中澤に「話がある」と呼び出されたとき、誰も疑わなかった。

優しげに笑う彼の顔には、邪気のかけらも見えなかったから。

でも、帰らなかった。

翌朝、血に濡れた里奈が、公園のトイレから救急車で運ばれていくニュースが校内を駆け巡った。

里奈は再び学校には現れなかった。

中澤は逮捕されたが、判決はあっけなかった。

「更生の余地あり、懲役三年」

法律は、彼女を守らなかった。

残された私たち三人――唯、彩音、真央は、怯えながら日々を過ごした。

だが、夏休みが終わったころ、彼女たちも次々に消えた。

家に閉じこもったと噂される者、心を壊され入院した者。

そして、戻ってきた者は誰一人いなかった。


私は、ひとりになった。


父は、私がいじめられていることに気づいていた。

でも、助けられなかった。

むしろ、弱さを突かれ、宗教にすがるようになった。

「神に救われるしかないんだ」

そう言いながら、父は生活費を宗教団体に注ぎ込み、借金まみれになった。

最後には「浄化の儀式」と呼ばれる集会に呼び出され、そのまま帰ってこなかった。

死因は「事故」とされたが、私にはわかっていた。

父は、宗教に殺されたのだ。

そして、私に残されたのは、中学三年生の妹、香澄だけだった。

父を失い、震える香澄を抱きしめながら、私は思った。

「私が香澄を守らなきゃ」

それだけが、唯一の灯だった。


でも、その灯もすぐに踏み消された。


放課後の帰り道、西山に呼び止められた。

「おい、立夏。お前、一人になったんだな」

空っぽの瞳と歪んだ口元。

「次はお前だ。でも、簡単には終わらせねぇよ」

低い声が耳に突き刺さり、背骨を冷たい手で撫でられたような戦慄が走った。

家に着くと、玄関が半開きになっていた。

中に入った瞬間、全身から血が引いていった。

香澄が、玄関に倒れていた。

全裸で、白い液体にまみれて、虚ろな瞳を天井に向けていた。


「か…すみ……?」


声は震え、足はもつれた。

駆け寄ったその瞬間、背後から髪をつかまれた。

「お楽しみはこれからだろ?」

狂った声が頭の奥に直接流し込まれた。

冷たい床に頬を押しつけられ、重い体がのしかかる。

息ができない。

空気が足りない。

苦しい。

痛い。

それでも、何も言えなかった。


何も言えなかった。

何もできなかった。


気がつくと、床は血と汗と精液と唾液の匂いで埋め尽くされていた。

香澄は、部屋の隅で膝を抱え、ぶつぶつと「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返していた。

夜になっても、私はそこに座り込んだままだった。

香澄は自分の爪で腕を引っかき続け、血が滴っていた。

私は動けなかった。

立ち上がる気力も、慰める言葉も、何一つ出てこなかった。


次の日、学校に行くと、世界は平然と動いていた。

クラスでは友人同士が笑い合い、恋バナに花を咲かせていた。

教師は無関心で、社会は無力で、誰も気づいていなかった。

西山は、私を見ると笑った。

「お前、まだ壊れねぇんだな。つまんねぇ」

池内はただ静かにこちらを見下ろしていた。

古田と川村は廊下で女子を追い回し、笑い声を響かせていた。


「なんで、誰も――」


声が喉で詰まった。

誰も助けない。

誰も咎めない。

世界は、腐っていた。

それだけが、鮮明にわかった。

夜、帰宅しても香澄は部屋の隅で震えていた。

壁に頭をぶつけ続け、「ごめんなさい」を唱えるだけの人形になっていた。

私は机を開け、父が残した工具箱を見つめた。

カッターナイフ、錆びたドライバー、ハンマー。

一本ずつ取り出しては、重さを確かめる。

どれなら人間の声を一番引き出せるか。

どれなら一番長く「生かせる」か。

考えていると、心臓が早鐘のように鳴った。

だが、それは恐怖ではなかった。

むしろ、奇妙な高揚感があった。

私はもう、人間ではいられない。

香澄を守れなかった私。

父を救えなかった私。

友人を助けられなかった私。

「人間である必要なんかない。」

頭の中で誰かが囁く。

「壊せ、奪え、終わらせろ」

優しい声ではなかった。

けれど、それは今の私を支える唯一の声だった。


西山。

お前からだ。

あの日、私に言った言葉を忘れない。

「次はお前だ。でも、簡単には終わらせねぇよ」

ならば、その言葉を、そっくり返してやる。


殺す。

徹底的に、苦しませて、絶望させて、殺す。

香澄が、父が、里奈が、唯が、彩音が、真央が――

みんなが味わった地獄を、お前たちの骨の隅々まで流し込んでやる。


そして、私も壊れていく。

それでいい。

それでいいんだ。

夜風が生ぬるく吹き込む。

壊れかけた香澄が壁を叩く音が、薄い壁の向こうから響く。

私は窓を開け、街の灯を見下ろした。

「私は、もう、戻れない。」

静かに笑った。

笑みは歪み、涙が混ざった。

けれど、それは哀しみではなく、救いのない決意の証だった。

夜が深く沈み込む。

街は無関心に明かりを灯す。

誰も、私の決意には気づかない。

気づかれる必要もない。

私は人間を捨て、復讐という名の怪物になる。

その瞬間、私の中のすべての恐怖と哀しみは消えた。


「殺して、壊して、そして――私も死ぬ。」


夜が裂け、世界が静かに息を潜めた。

そのとき、私は初めて生きていると感じた。


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