第1話 アルクス王国に転生した
俺は、日本最大の財閥──上南グループの工場で課長をしている。
その日もいつも通り、仕事に向かっていた。
だが突然、背後からものすごいスピードで走ってきた車に轢かれ、意識を失った。気がつくと、見知らぬ人たちに抱きかかえられていた。
ぼんやりとした視界に、白い天井と人影が揺れる。何が起きているのか、頭がうまく回らない。体はひどく小さく、声を出そうとしても、喉からはか細い泣き声しか漏れなかった。
「旦那様、生まれましたよ!」
女性の声が歓喜に震えている。誰かの腕の中で、そっと包み込まれるような感触。温かい。安心する。
「ようやく……我が子に会えるのか」
男の声も聞こえる。深く、優しい声だ。目を細めると、ぼやけた視界の向こうに、涙ぐむ中年の男の顔が見えた。
(……え? ちょっと待って。僕、死んだはずじゃ……)
混乱の中で、ふいに浮かんできたのは、自分の“最後”の記憶。確か、あれは事故だった。気づけば真っ白な空間にいて――それから、今。
どうやら僕は、死んで転生したらしい。僕が生まれた家は、王国でも名高い貴族――ルミナス家だった。
父の名はレオン=ルミナス。かつて王都近衛騎士団の副団長を務め、「蒼嵐の盾」の異名で知られた伝説の騎士だ。
そして母、セレナ=ルミナス。聖堂騎士団に所属していた元治癒師で、「聖なる白薔薇」と呼ばれていた。父と結婚したことをきっかけに前線を退き、家庭に入ったという。
このふたり――「王国最強の盾」と「最上の癒し手」が結ばれたことで、アルクス王国ではちょっとした伝説の夫婦として知られているらしい。
つまり僕は、そんなチートみたいな両親のもとに生まれ落ちたというわけだ。
……「流石にチートすぎないか。」
生まれてから数日間は、王都の聖医術院で検査や観察を受けていたため、すぐには家に帰れなかった。
だが、ようやく退院の日。迎えの馬車に揺られてルミナス邸へ戻ると、正門の前で父と母が待っていてくれた。
父は厳格そうな顔をほころばせ、母は涙を浮かべながら微笑んでいた。まだうまく目も見えないはずなのに、あのときの光景だけは、なぜかぼんやりと覚えている。
そして、俺に関する検査の結果は――およそ一週間後に出るという。
この世界では、生まれて間もない子どもは“属性適性検査”を受ける。
火、水、風、土、光、氷、聖、雷、治癒、そして――神。合計10種類の魔法属性のうち、どれに適性があるのかが診断される。
中でも〈神〉属性は、かつて神話の時代に存在したとされる伝説の力。
現代では誰も持っていないと言われており、“もしも”が現れれば世界が大きく動く、とまで囁かれている。
人によっては複数の属性を持つこともあり、なかには“無属性”と診断される者もいるという。
加えて、属性の組み合わせや魔力量などから、おおまかな将来の職業適性も判断されるらしい。
戦士、騎士、魔導士、治癒師、聖職者──運命の道筋が、わずか生後数日で決まるのだ。
つまり俺がどんな“力”を持っているのか。それが、もうすぐ明らかになる。
前世ではしがない工場課長だったけど……今回は、ちょっと違う人生になりそうだ。
一週間後、聖医術院から俺の属性検査の結果が届けられた。
母が封筒を開き、診断書に目を通した瞬間――彼女の表情が固まった。
その隣で父も書類を覗き込むと、ゆっくりと眉をひそめ、呟く。
「……火魔法、聖魔法……そして……神魔法……?」
空気が一瞬で凍りついたような気がした。
神魔法。それはもはや伝説の領域にある、現代では誰も使い手が存在しないとされる魔法。
聖典にのみ記され、“神の加護を受けし選ばれし者”にしか宿らないといわれている属性だ。
しかも、属性は三つ。通常の人間は一つ、多くて二つが限界。
それなのに俺は、火・聖・神という極めて異質な組み合わせを持って生まれたというのか。
さらに、驚くべきことは続いた。
「魔力量:レオン=ルミナス並(成人騎士レベル)」
そう診断書には記されていた。父と同等――つまり、成人で現役の元近衛騎士団副団長と肩を並べる魔力量を、生まれたばかりの俺が持っているというのだ。
そして、最後に記された“適正職業”の欄には、こうあった。
――《勇者》
勇者。
それはこの国では、もはや神話やおとぎ話の中にしか登場しない存在。
魔王と戦い、人々を救い、世界に平和をもたらした“伝説上の英雄”。
「……嘘だろ……」
思わず、心の中で呟いた。いや、赤ん坊だから言葉にならないけどさ。
前世の俺、ただのサラリーマン課長だったよ?
それが今じゃ、生まれた瞬間から「勇者」だの「神魔法」だの言われる始末。
転生って、こんなに振り切れてていいのか……?
父と母は、覚悟を決めた。
俺を勇者として育てる覚悟を。
だが、それは簡単な決断ではなかった。俺はまだ赤ん坊で、何もできない。今はただ、無垢で泣いてばかりの存在だ。しかし、父と母は知っていた。この小さな体に宿る力が、やがて世界を大きく変える可能性を持っていることを。
「セレナ、この子をどうするべきだろうか……」
父、レオン=ルミナスは、普段は厳格で冷徹な男だが、その眼差しには迷いが浮かんでいた。彼は常に理知的に物事を考え、冷静でいることを心がけていた。それでも、今、目の前にいる赤ん坊をどう扱うべきか、心の中で悩んでいるのが伝わってきた。
「この子の力が、王国や闇商人に知られたら……危険が及ぶわ。」母、セレナ=ルミナスの声には、優しさと同時に決意も含まれていた。彼女はかつて聖堂騎士団の治癒師として名を馳せたが、今はその優しさが母親としての強さに変わっている。
「でも、この子には未来がある。」セレナは、俺が無力な赤ん坊であることを理解しつつも、胸に手を当てて言った。彼女の瞳に映るのは、あの小さな命の可能性だった。
「俺たちの力だけでは、この子を守りきれないかもしれない。」
レオンは深く息を吐き、沈黙の後、静かに言った。「だが、この力が暴走すれば、俺たちの手に負えない。世界が動き出すだろう。俺たちには、彼を正しく育てるための環境が必要だ。」
セレナはうなずいた。「そうね、この子がどんな力を持っているのか、今はわからない。でも、王国の力を借りることが一番安全かもしれない。」
彼女は目を細め、少しだけ微笑んだ。「それなら、世界最大の魔法学園に入学させるのが最良かもしれないわ。学園なら、彼の力をうまく管理してくれるはずよ。」
レオンも静かに頷き、その後、言葉を続けた。
「だが、セイジュがどんな力を持つか、まだ誰にもわからない。だからこそ、王国に報告し、学園に入れることを決めるべきだ。」
すぐに二人は、王国の国王にセイジュの属性について報告する準備を始めた。その過程で、赤ん坊のセイジュを王国の特別な医師に見せ、慎重に調査を行った。
結果として、セイジュが持つ属性――火、聖、そして神――の組み合わせは、あまりにも珍しく、しかもその魔力量がすでにレオン=ルミナス並みの成人騎士レベルであることが判明した。
「……神魔法までか。」
レオンの言葉には、驚きとともにその重さを感じた。
神魔法は、伝説の中でしか存在しなかったはずの力。今、目の前の小さな赤ん坊にその力が宿っているという事実は、思わず恐怖を覚えさせるほどだった。しかし、二人はそのことを隠すことなく、王国に報告することを決めた。
そして、最終的に王国の国王からの許可を得て、セイジュは世界最大の魔法学園に入学することになった。学園ならば、彼の力を適切に導き、育ててくれるだろう。父と母はその決定に安心した。
「セイジュ、君の未来はまだ何も決まっていない。でも、私たちは君を守り、育てることを誓うわ。」
セレナは優しく、まだ目も見えない俺を抱きしめながら、そっと囁いた。
レオンも静かにその場に立っていたが、言葉には力強さがあった。「どんなに困難な道でも、お前が選ぶ道を歩んでいけるように、俺たちは全力で支える。」
こうして、俺の未来は――まだ何もできない赤ん坊の身ながらも――新たな一歩を踏み出すことになった。魔法学園への入学は15歳からだが、父と母はその日が来るまで、俺を安全に育て、力を正しく導いてくれる環境を整える決意を固めていた。俺はその力を、そして運命をどのように使っていくのか、まだわからないままであった。