社畜のお姉さんが自炊する話。
すっかり暗くなり、人通りの少なくなった道を駅から歩いて10分。
よく言えばレトロ、悪く言えばボロの2階建てのアパートの202号室、そのドアを疲れた顔の女性が静かにドアを開けた。
「ただいま……」
人気のない玄関で、綾子が小さな声でつぶやいた。
一人暮らしなので、おかえりなんて声は返ってこない。
そのことに少し寂しさを感じながらリビングへと歩く。
上着を脱いでハンガーにかけると、食材の入った袋をキッチンへ置き、洗面所で手洗いうがいを済ませる。
キッチンへと戻ってきた綾子は、これから食事の準備をしなければならない。
アラフォーと呼ばれる年齢になり、仕事で疲れ切った体で料理をすることは、綾子にとってそれなりに大変な事だが、毎日スーパーのお弁当やお惣菜という訳にもいかない。
薄給の勤め人である綾子のお財布的に厳しいのだ。
「疲れた」
独り言をつぶやきながらエプロンをして、冷蔵庫を開ける。
たんたんと必要な食材を取り出していく。
「今日は……もう、無理……」
綾子は安売りになっていた手羽先をトレイからそのまま炊飯器へと滑らせる。
チューブの生姜を少し、醤油とお酒を大匙1、みりんはそれより少しだけ多め。
そこへ手羽先がひたひたになる程度に、水と昆布をピッチャーに放り込むだけで作られている昆布だしを注ぐ。
梅干しを2つほど放り込み、、隠し味程度に顆粒のかつおだしを入れた。
クッキングペーパーを釜サイズに切り真ん中に小さく十字に切れ目を入れた落し蓋をのせる。
「おいしくなぁれ」
パチンとふたを閉めると、そっと炊飯のボタンを押した。
手早く後片付けを済ませると、いそいそとお風呂へと向かった。
綾子がお風呂からあがりキッチンへ戻ってくると、ちょうど炊飯が終わった所だったようで、炊きあがりの音楽が鳴った。
さすがに手羽先1パック分全部は食べきれない。
タッパーに食べきれない分を移し、粗熱を取っておく。
すぐ食べる分は小さめのフライパンに移し、冷凍のほうれん草と葱を入れて二つが熱々になるまで温める。
「あ、ごはん」
炊飯器で調理をしていたため、当然ながら炊けていない。
綾子は冷凍庫から、以前焚いて小分けして冷凍してあったご飯を取り出す。
一瞬レンジで温めようというかんがえがよぎったが、やめてラップをはがしたご飯をそのまま温めているフライパンへ入れた。
ぐつぐつと煮汁が煮立ちながらご飯を温めとかし、雑炊のようになっていく。
「……明日休みだし……ご褒美は大事」
冷蔵庫からそっと卵を取り出し、フライパンに卵を割り落とす。
ふつふつと煮立ち、ご飯がすっかり柔らかくなり、卵の白身が固まった。
キッチンの壁にそっと立てかけてある細身のカウンターチェアを持ってくる。
麦茶を用意した綾子は、フライパンの持ち手を片手で握り、反対の手で箸を持つ。
「いただきます」
盛り付けることなく、そのまま食べだした綾子。
洗い物は極力減らしたいのだ。
まずはメインの手羽先。
柔らかく炊けているいる、ほろほろの手羽先をちいさくかじる。
ふわりと梅干しの香りがする。
噛むたびにじわりとしみる鶏と煮汁のうま味が口を満たす。
まだ出来立てのせいか、ほんの少しだけ梅干しのつんとした酸っぱさがある。
これが明日になれば、すっかり角が取れまろやかになっているはずだ。
それもまた美味しいのだ。
一緒に煮た梅干しもきゅうっと酸っぱさが抜けていて美味しい。
また手羽先を食べたくなってきてしまう。
綾子はもう一口手羽先を頬張ってから、大好きなご飯へと目を向けた。
煮汁を吸ったご飯。
ご飯が全部美味しさを吸い込んでいるので、これだけで良いような気がしてくる。
だが、これで満足してはいけないのだ。
綾子は、たまごをそっとご飯の上に移動させると割る。
とろりとあふれ出る黄身。
そこをすかさず箸で掬い取って口に入れた。
「んんんっ」
全部のうま味を吸ったご飯にとろとろの黄身が絡む。
これが何よりも美味しいと綾子は思っていた。
それ位に大好きなのだ。
この美味しさが好きで綾子は手羽先の梅煮を作るのだ。
柔らかくとろっとした葱、くたくたのほうれん草を間に挟みつつ、手羽先とご飯を食べ進めていく。
あっという間に食べ終わり、フライパンには骨だけが残っていた。
綾子は最後のしめとばかりに、麦茶をぐぐっと一気飲みする。
たんっ
少しだけ勢いよく、飲み干したコップをシンクに置く。
「ごちそうさまでした」
心なしか少しだけ声に元気の戻った綾子は、洗い物をするために立ち上がった。
おわり
ご家庭の炊飯器の説明書を十分ご確認の上ご使用ください。
手羽先の梅煮、美味しいよ。