9 稽古
翌日退勤後、陽介と杏は花恋館を訪れた。
「いらっしゃいませ」扉を開ける音を聞いて、師範である上泉長綱は言いながら振り向いて二人を見た。「陽介君と杏ちゃん、稽古に来たか」
「はい、よろしくお願いします」と、陽介と杏は答えた。
「おう、そこらへんの空いてる場所、使っていいぞ」
「はい、ありがとうございます」と答えて、二人は靴と靴下を脱いできちんと揃え、道場の入口で礼をしてから中に入った。
陽介が杏に剣道着の着方を詳しく説明した後、二人はそれぞれ更衣室に入った。
暫くして陽介が先に更衣室を出た、5分待てば杏も出て来た。
「これで合ってる?」と杏が聞いたら、陽介は杏の周りを一周して答えた。「うん、問題ない。じゃあ稽古始めようっか」
「はい、よろしくお願いします」
「はい、礼儀正しくていいぞ。まずは中段の構えを教える、こうして両手で竹刀の柄を握って」と言って、陽介は杏の隣に竹刀を握って手本を見せた。
杏が真似して竹刀を持ち上げると、陽介は言い続けた。「そして足はこうして、左足を少し下げて、踵をちょっと上げて、膝をちょっと曲げて。要するに、いつでも前に突き出せるって感じ」
杏が足の構えを取った後、陽介は前に行って杏と向き合って立ち、同じく中段の構えを取った。
「剣先を見ないで、僕の顔を見て」と陽介が言うと、杏が頭を上げた。
「はい、そして剣先を自分の胸の高さまで上げて、僕の喉を指す…はいそれで良い。そうだ、まだ防具を付けていないので、間違ってもいきなり突いて来るなよ、もちろん打って来るのもだめだ、下手すれば死んじゃうから」
「分かってるわよ、それぐらい」
「なら良い、安全第一だから一応言っておくね」と言いながら陽介は杏の隣まで歩き、横からその姿勢を確かめた。「よし、これが中段の構えだ。今からその身構えを5分保って、この感じを体に叩き込もう。気をつけろよ、少しでも構えが崩れたら時間リセットだからな」
「あんた鬼かよ」
「お前はまだ本当の鬼を見たことがない、大学の剣道部の先輩と比べりゃ、僕はもう十分優しいんだ、さあ始め」
「はい~先生」
そして陽介も竹刀を両手で握って中段の構えを取った。暫くして、陽介はいきなり竹刀を頭上に上げて勢いよく振り下した。
杏は陽介に視線を向けて聞いた。「それは素振りか」
「そう、お前も間もなくこれを練習するのだ。後、お前の中段、時間リセットだ」
「えぇ?なんで」
「目を逸らしたからだ。こっちを見た時、お前は既に向こう側の敵に一本取られた」
「それは、あんたが私の注意を引いたから…」
「そう、わざとやったのだ、お前がより深く覚えるためにな」
「やっぱ鬼だわ」
……
5分後、陽介は竹刀を下ろして言った。「よし、よくやった。ちょっと休憩」
それを聞いて杏はすぐに竹刀を下ろし、喘ぎならが言った。「だ…だめだ、手が折れる」
「ほう、つまり足はまだ折れていないよな、じゃあ足捌きを教えよう。よく見て、これは送り足…」
……
1時間半ぐらい稽古すると、陽介も疲れて喘ぎ続けた。
「今日はここまでにしよっか」と陽介が聞くと、「はい!じゃあ着替えて来ます」と杏が即座に答えて、更衣室に向かおうとした。
陽介は止めた。「待て待て、その前に礼をするのだ」
「あっ、はい、作法は?」
「僕と向き合って立って、中段の構え」
杏が身構えを取った後、陽介は言い続けた。「上半身は動かない、腰を下ろして、蹲踞だ」
杏は陽介をの身動きを真似してゆっくり腰を下ろした。
「はい、刀を納めてから、立ち上がって、手を下ろす」
二人が立ち上がると、「最後はお辞儀」と言って陽介は頭を下げた。「ありがとうございました」
「ありがとうございました」と、杏もお辞儀して言った。
陽介は頭を上げて言った。「はい終わり、着替えていいよ」
「これ、めっちゃかっこいいけど、侍みたい」
「だろう、僕も初稽古の時はそう思ったよ」
杏が更衣室から出た時、陽介は言った。「さっき上泉先生に聞いた、竹刀を道場に預けていいって」
「じゃあ私もここに預けよう」
陽介はカバンからペンを取り出した。「他人のものと紛れないように、お前の竹刀の柄に記号を付けよう。文字も絵もいい」
「じゃあ―」杏がペンを受け取って、少し考えて柄に「村雨」という文字を書いた。
「八犬伝か、いいね」
「はい、知ってるか」
「知ってはいるけど、読んだことがないね」
道場の壁際に剣道袋が沢山並んでいて、二人は竹刀を竹刀袋に入れてその最後尾に並べた。そして二人は上泉に別れを告げ、入口で礼をしてから道場を出た。
靴を履いた後、陽介は言った。「帰る前に晩ご飯を食べるか。今日は記念すべき初稽古だから、先輩である僕が奢るよ」
「やった、行く」
「何を食べたい」
「じゃあ―」
「寿司は無理だからな」
「分かってるわよ、じゃラーメン行こっか」
「いいぞ、じゃあ1階行こう、そこにいい店があるから」
二人がラーメン屋に入って座ったら、陽介は杏の右手が震え続けているのを見て聞いた。「お前の手、大丈夫か」
「大丈夫だよ、久々に運動したので、すぐ治るから」
「そうだ、いいことを教えてやるよ。杏ちゃんは普段、何盛り食べる」
「並盛りだけど」
「じゃあ今日は大盛りにしていいぞ、ちゃんと運動したから、罪悪感なしで堪能できる。あるいは、食べ終わったらアイス一個追加してもいいぞ」
「じゃあ私、アイスを選ぶわ」
二人とも並盛りを頼んで、食べ終わったら店を出た。
「アイスは私が奢るわ、陽介は何味にする」
「ミルク頼む」
「了解」と言って杏はコンビニに入った。
間もなく杏はコンビニを出てミルクアイスを陽介に渡した。二人は道端のベンチに座って、アイスを舐めながらおしゃべりした。
「ねえ陽介、明日も稽古行く?」
「悪い、僕は明日用事があるんだ、杏が行きたければ一人で行ってもいいよ」
「無理無理、今気づいたけど、右腕が上がらなくなったわ」
「それなら、明日まだ絵を描けるか」
「今仕事の話をしないでくれない」
「そうだな」
……
アイスを食べ終わると、二人は各々帰宅した。