4 炎上
陽介の今日の予定は本来、最近上映したとあるアニメの劇場版を見に行くのだった。改めて時間を確かめたら、まだ間に合う、しかも余裕さえある。モニターを見ると、鮫ちゃんの歌枠はまだ続いている。陽介はパソコンの前に座ってイヤホンをつけ、暫く配信を観て暇を潰そうとした。
そろそろ出かける時間、ふと陽介はコメント欄で気になるコメントをいくつか見た。
「まだ配信しているか」
「説明して下さい」
「早く卒業しろ」
…
一曲歌い終わった鮫姫珊瑚もコメントを見ているようで、少し反応した。「えぇ?説明して下さいって、何か起こったか、鮫ちゃん全く分からないけど、配信が終わったら調べてみますね。ではあと5曲、まだまだ行くよ…」
陽介も何が起こったかちょっと気になるけど、おかしいコメントもたまにあることだから、深く考えず、パソコンをシャットダウンして出かけした。
映画を観て、ゆっくりと外食を楽しんで、また本屋に寄って帰った陽介が家に着いたのは午後だった。DDsiteを開いて未読の投稿をチェックすると、1時間ほど前に鮫姫珊瑚が投稿した動画が陽介の注意を引いた。その動画のタイトルは「録音事件への答え」だった。
動画は長くない、内容は鮫姫珊瑚が話していた。「今朝、DDsiteでとある録音が投稿されて、私の声だと言われていますが、それについて説明させて頂きます。その録音の声は確かに私と似ていますが、決して私ではありません。私は絶対にそんな言葉を口にしたことがありませんし、今後も絶対に言うはずがありません。水月たちは皆私にとってとても大切な人です、どうか私を信じて下さい」
動画はこれで終わった。「水月」とは、鮫姫珊瑚のファンネーム、つまり彼女のファンたちは皆「水月」と呼ばれている。
陽介が動画のコメント欄を見ると、一番上のところにはURLリンク付きのコメント、「何が起こったか分からない方は、ここでその録音を聞けます」と書いている。陽介は一旦それを無視して、まずは他のコメントに目を通した。
「声が全く同じだろうが」
「説明になっていない」
「僕は鮫ちゃんを信じています」
「ファンがATMなんて、まあ誰でも分かっている事実だが、やはり言い出しては悪いだろう」
「大丈夫、鮫ちゃん、アンチたちを相手にしないで」
「さようなら、他の女を観に行こうぜ」
…
批判の声は応援の声より多いようだな、と思いながら、陽介はコメント欄のトップに戻した。そのリンクをクリックすると、ウェブページはDDsiteに投稿されたもう一つの動画に変わった。動画のタイトルは「VTuberと彼氏デートの会話」、概要欄にはこう書いている。「一昨日、渋谷にいた時偶然にVTuberと彼氏がデートしているのを見た。会話の内容が気になって少しだけ録音した。個人情報が漏れていないから、犯罪ではないでしょう」
録音の内容は男と女の会話、背景には街の喧騒が聞こえる。先に話したのは男。
「…何人だっけ」
「12万よ」
「ほう、それはたくさん儲けるだろう」
「まあな、Vオタは言わばATMだ、ちょっと可愛いふりすればお金くれるの」
「おいおい、何言ってんだ、悪いだろう」
「ばれなきゃ大丈夫…」
録音はここで終わった。女の声は確かに鮫姫珊瑚にそっくりだった。コメント欄を見ると、思った通り、「これ鮫ちゃんだろう」みたいなコメントがたくさんある。そして陽介は鮫姫珊瑚のホームページに入って、フォロワー数を確かめたら、12万だった。
もちろんこれだけでは全く確証になっていないが、炎上にはもう十分だ。でもVTuberが炎上されるのはよくあること、陽介はあまり気にせず、先週買ったゲームを起動して続けてやった。
夜になって、陽介は眠る前にスマホでDDsiteに入って見ると、その後鮫姫珊瑚の新しい投稿はなかった。
陽介は休日でも早起きする人、目が覚めたのは翌日の朝7時だった。またスマホでDDsiteを見ると、鮫姫珊瑚の新しい動画投稿があった。タイトルは「ごめんなさい、卒業します」、投稿時間は2時間前だ。枕の隣に置いているイヤホンをつけて、陽介は動画をクリックした。
今回の内容も鮫姫珊瑚が話していたが、話し声が断続的で、啜り泣きの声が聞こえる。「あの…実は、昨日からメッセージをたくさん頂いています。慰めてくれたり、励ましてくれたりメッセージがたくさんあって…ありがとうございます。でもやはり…私はもう、皆に嫌われて、信用されないですね。だから鮫ちゃんは海に帰ります…卒業します」
ここまで言って、鮫姫珊瑚は暫く黙ってから続けた。「でもね、来週と再来週の配信は予告済みだから、最後まで頑張ってちゃんと配信します。よかったら、鮫ちゃんの最後の配信…観に来てね」
コメント欄を見ると、昨日の動画と似たような状況だ。
「いってらっしゃい~」
「行かないで」
「嘘泣き」
「これは配信ルームは賑やかになるぞ」
…
歯を磨いて顔を洗った後、陽介はパソコンの前に座って、VTuberの切り抜き動画を観ながら朝食を食べ、チラチラと花殺のフィギュアを見ている。長く待たず、ふとフィギュアは動き出した。
「おはようございます、花殺ちん」
花殺は答えた。「おはよう。だからその呼び方―」
「まあまあ細かいことはいいから、それより花殺ちん、聞きたいことがあるけど」
「なんだ」
「配信していないVTuberのバーチャル世界には入れるか」
「入れるけど、多分そこにはそのVTuberしかいないよ」
「じゃあ昨日行った鮫姫珊瑚のバーチャル世界に、今連れて行ってくれない?」
「なんで」
「彼女は今炎上されている、ちょっと心配で、様子を見に行きたいと思うんだ」
花殺は少し考えて言った。「分かった、連れて行ってあげる」
二人がまた鮫姫珊瑚のバーチャル世界に入ると、見覚えのある景色を見たが、今舞台の前に観客は一人もいない。そこに鮫姫珊瑚は一人で地面に座ってぼうっとしている。
暫く見て、陽介は花殺に聞いた。「もし彼女が炎上される原因が冤罪なら、DD戦士には彼女を救うことができるか」
花殺は答えた。「戦う力がある、これだけは保証する。できるかどうかは、結局やり方次第だろう」
「なるほど」と、陽介は言った。「じゃあ、僕、彼女と話していいか」
「いいよ」と、花殺は頷いた。「ただし、DD戦士に関することを話すな」
「分かった、ありがとう」と言って、陽介は鮫姫珊瑚に向かって行った。
「あの、こんにちは、珊瑚さん」と、陽介は近づいて挨拶した。
それを聞いて鮫姫珊瑚は素早く涙を拭いて向き直った。陽介を見たら、鮫姫珊瑚は無理やり笑顔を作って言った。「はい、こんにちは、来てくれてありがとう。でもごめんね、今は配信していないよ」
「いや配信を観に来た訳じゃなく、実は一つ聞きたいことがあって、失礼かもしれないけど、正直に答えて欲しいです。いいですか」と、陽介は聞いた。
「いいよ、どうぞ」
陽介は深呼吸して、ゆっくりと言った。「昨日のあの録音は、本当に珊瑚さんですか」
鮫姫珊瑚は悲しい目つきをした。「そうか、あなたも、私を信じてくれないね」
「お言葉ですが、正面から答えくれませんか」
鮫姫珊瑚は唇を噛んで暫く黙り込んだ。そして突然大声を出した。「違う!あれは私じゃない!私はそんなことを言ったことは一度もない!これで満足か」
叫んだ後、鮫姫珊瑚の顔は再び涙まみれになったが、間もなく彼女はまた落ち着いた。「ごめんね、大声出して、驚かせたか」
「いいえ、こちらこそ、問い詰めてごめんなさい。答えてくれてありがとう」と言って、陽介は間を置いて続けた。「僕は必ずあなたを助ける、だからその前に元気でいて下さい。つまりあの…死なないで下さい」
「ふふ」と、鮫姫珊瑚は笑わされた。「何よ、死なないわよ」
「うん、それはいい、では失礼」と言って、陽介が立去ろうとした時、鮫姫珊瑚は言った。「あの…ありがとう」