2 バーチャル世界
「それはサーヴァントじゃなくて、マスターだろう」と、まだ頭が少しぼうっとしている陽介は思わずつっこんだが、すぐさまもっとつっこむべきことに気づいて、ベッドから跳び上がった。
「フィギュアが、喋った!」
陽介が出した驚く声を無視して、フィギュアは言った。「このフィギュアのキャラ、名前は何だ」
「花殺…だけど」
「悪くない、ではこれから私のことをそう呼ぶが良い」
「いや名前より、お前は何ものだ」
「私はバーチャル世界の使者、あなたに会うために、フィギュアの体を借りてこの現実世界に来たのだ」
「俺に会ってどうするんだ」
「ほう、そこから聞くのか。飲み込みが早いね」
「オタクだからな、こういうことはアニメやゲームの中で何回も見てきた」
「話が早くて助かるわ。では早速、私と契約して、DD戦士になろう」
「いやいやさすがにそこまで早くはないだろう」と言って、陽介はあくびをして言い続けた。「とにかく俺は歯を磨いて来るから、詳しい話は朝ご飯でも食べならが聞かせてもらおっか。今日は土曜でよかったな」
陽介が洗面所から出て来た時、花殺はパソコンが置いてある机の上に立っている。
「そうだ、今思い出したけど」と、陽介は冷蔵庫の中を見ながら言った。「昨夜そこで笑ったのはお前か」
「ああ、そうだよ、気持ち悪すぎて、つい」
「気持ち悪くて悪かったな、じゃ何であの時話しかけなかった」
「あんたはとても疲れているようで、下手に驚かせたらびっくりして死んでしまうかもしれないと思ったから」
「はっ、お気遣いどうも。ところで花殺ちん、何か食べる?」
「結構だ、現実世界のものは食べない。ってかそのちんって呼び方は何だ、やめて欲しいんだけど」
「いやそのキャラは昔、花殺ちんと呼ばれていたんだから」と、陽介は言いながら、牛乳とパンを取り出し、肘で冷蔵庫の扉を閉じてから、机の前に座った。
「呼ばれていたってことは、今はもう配信していないか」と、花殺は聞いた。
「ああ、とっくに卒業したよ、事情があってさ」と言って、陽介は感慨深そうにため息をついた。「それより、先の話なんだけど、DD戦士って何」
「特別な力を身につけて、バーチャル世界、つまりVtuber達がいる世界で正義のために戦う人だ」
「何でDD戦士と呼ぶんだ、ってかこのDDは俺が思っているその意味かな」
「あんたが思っているその意味だ。戦士になる人はDDでなければいけない。単推しも箱推しもだめ、主推しがいる人もだめ。だからDD戦士と呼ぶのだ」
「どうしてDDだけ?」
「質問が多すぎる、後でバーチャル世界に連れて行くから、そこで自分の目で確かめれば良い。今はもう喋らなくて、早く朝ご飯を済ませろ」
牛乳のパックとパンの紙袋をゴミ箱に入れて、陽介は言った。「よし食った。で、どうやてそのバーチャル世界に行く?」
花殺は答えた。「まずはパソコンを起動して」
陽介はパソコンを起動した。
花殺はモニターの前に立ち、本棚を指差して言った。「あそこの分厚い本をここに置いて」
陽介は言われた通り本をモニターの前に置くと、花殺は本の上に立ってまた言った。「ちょっと足りない、あの一冊も持って来て」
2冊の本が重なると、高さはちょうどモニター下側の縁に届く。
「うん、これで良い」と言って、花殺は本の上から飛び降りた。「次はDDsiteを開いて、今配信している配信ルームに入って」
「どれでもいいか」と言いながら、陽介はフォローリストに入ると、今配信しているVTuberは一人しかいなかった。ライバーの名前は鮫姫珊瑚、配信ルームのタイトルは「鮫ちゃんの歌枠」だ。
「じゃあこれにしようか」と陽介は聞き、花殺が頷いたのを見て、配信ルームをクリックして中に入った。配信ルームに入ると、モニターにマイクを持って歌っている少女が現れ、キーボードの隣に置いてあるイヤホンから歌声が伝わって来た。
「それで?」と陽介が聞くと、花殺は陽介の前に立って右手を差し出した。「立って、私の手を掴んで」
「掴むって、こうかな」と言いながら陽介は立ち上がって右手を差し出してみた。指が花殺の手に接触した瞬間、身の回りが激変した。全てのものは急速に大きくなって、体は空中に浮いたと感じた。
「うおぉぉ…」と陽介は悲鳴を上げながら転びそうになる時、誰かが右手を掴んで体を支えてくれたと感じた。頭を上げて見ると、目の前に立っているのは、体が自分と同じぐらい大きくなっている花殺だ。そして周りを見ると、いつもの何倍もの大きさのキーボード、イヤホン、スマホが目に入った。
陽介は視線を花殺に戻し、少し考えて言った。「つまりこれは、お前の右手を中心にして俺の体が小さくなったってわけか」
「ほう、やはり頭の回転が速いな、その通りだ。ところであんた、どうして私をじろじろ見てんの」
「いやただ、こうして見ると、やはりこのフィギュアを作る技術はすごいなって思っている。体の比例は完璧だし、細部まで精巧に制作されているね」
花殺はため息をついた。「無駄話はそこまで、さあ行こう、その本に登って」
陽介は花殺に従って、先程モニターの前に置いておいた本に登った。今のモニターには前と違って、何も映っていない、その表面は水面のようにさざ波が立っている。
「これが、バーチャル世界の入口か」と、陽介は聞いた。
「そうだ、私が先に入るから、あんたも付いて来い」と、花殺は言ってから、モニターの中に踏み込んで、姿が向かい側に消えた。
「おぉぉ…」と、陽介は感心の声を出しながらモニターに手を伸ばし、指、手首、小手、ゆっくりと腕がモニターを通り抜けている。肘が入った時、突然向かい側で誰かが陽介の手首を掴み、そして力強く引っ張って一気に陽介を中に入らせた。