19 秋風
土曜日の朝、陽介はいつも通り花殺とバーチャル部屋にいるけど、居合の稽古はしていない。なぜなら、陽介の刀はもう使えず、刀身の大部分が消えていて柄の半分ぐらいの長さしか残っておらず、水色に染まった鞘と柄も最初の白色に戻った。
「結局7月まで引き延ばしちゃったな。嗚呼、さらばだ、我が鮫ちゃんよ」と、陽介は手に持っているカードを見て言った。それは鞘から落ちた鮫姫珊瑚の護衛メンバーカード、カードに「水月」という二文字が書いてあり、それは鮫姫珊瑚のファンネームだ。元々水色のカードは今透明になって、電池切れの表現のようだ。
「このカードはどうするか」と、陽介は隣りに座っている花殺を見て聞いた。
「私が預かってあげるわ」と花殺は言ってから、陽介からカードを受け取って、手の前の空に小さな穴が開け、そのこにカードを入れた。
陽介は上半身を後ろに倒し、仰向けに寝て目を閉じた。「いやあ、今気づいたけど、ここ寝心地めっちゃいい、このまま寝ちゃっていいかな」
花殺は答えた。「良くない、ここであんたが目覚めるのを待つ暇なんかない、寝るなら現実世界の部屋で寝ろ」
「はいはい、起きたぞ」と言って陽介は上半身を起こし、ため息をついた。「ところで、僕はお前が言ったことを思い出した」
「と言うと?」
「ペルソナも嘘をつけるって話だ。それがどれだけ面倒なことか、今こそ痛感したよ。悪人は皆前回の奴みたいに率直だったらいいのにな」
「つまり、今回の犯人がどっちか、あんたはまだ判断できていないよね」
「そうなんだよ、戦うのもなかなか大変だけど、探偵なんか、まじで性に合わないよ」
「じゃあ一層のこと、二人とも斬れば」
「バカ言うな」陽介は頭を横に振った。「そもそも僕が悪人を斬るのは善人を守るためだ。自分が先に善人を斬ってどうするんだ」
「じゃあどうするつもり?」
「分からない…今から警察学校に入学するなら間に合うかな…」
花殺は何も言わず、ただ陽介を見ている。
陽介はそこを見なくてもその視線を感じた。「はいはい分かった、その目で見るな、ちゃんと考えているから。とりあえず、来週もう一回聞き取りに行くか」
「いいえ、それはだめだ」と花殺は言った。
「えっ、なんで」
「今あんたには武器がない、あの二人はどっちも戦闘能力を持っている。このまま会いに行くのは危険だ」
「そう言えば確かに、今度行く前には今月のカードを用意しておかないと。では今月は誰のカードがいいか」
「今回は前回みたいな明らかな属性カウンターがないから、あんたが好きに選んでいいわ」
少し考えて陽介は言った。「じゃあ南九秋のカードをゲットしよう。彼女のファンネームは秋風、風属性なら色んな状況に対応できると思う。しかもVニュースを沢山観てきたから、好きな気持ちも沢山あるはずだ。もしかすると、今回はカードを付けるだけで、武器が既に完成するかもしれない」
花殺は頷いた。「悪くない、そうしよう」
「では早速、彼女の配信スケジュールを確かめよう」
現実世界に帰って、南九秋の投稿を遡って配信スケジュールを見つけると、「あった」と陽介は言った。「今日は配信がある、13時からの自習室だ。では13時、いや配信が終わる16時にまた会おう、花殺ちん」
「分かった」と花殺は言ってから、フィギュアに戻って動かなくなった。
陽介はアニメを観ながら昼ご飯を食べ、済ませたのは12時半だった。食器を洗ってまたアニメを1話観た、アニメのエンディング曲を聞き終わって、陽介はウェブページをアニメからDDsiteのフォローリストに切り替えた。
今配信中のVTuberは南九秋しかいない、配信ルームのタイトルは予告通りの「自習室」だ。配信ルームに入って、暫く待つと、配信が始まった。
「皆さんこんにちは、南九秋だよ。昼ご飯はちゃんと食べたか、ちゃんと食べないとだめだよ。今日の配信は予告通りの自習室だよ。私はこれから明日のVニュースに字幕を付けるけど、皆さんもお仕事や勉強とか、ご自由にどうぞ。配信ルームではBGMを流さないので、BGMが欲しい方はご自分の音楽プレーヤーをお使い下さいね。ではでは、一緒に頑張ろう」
南九秋が言い終わると俯いて黙り込んだ、イヤホンから伝わって来る音もキーボードを打つ音しかなくなった。配信ルームの一隅に、「自習中、コメントを見ていません」という文字が書いてある。
陽介は「メンバーシップ」ボタンをクリックして、「護衛」を選び、確認ボタンをクリックした。
新メンバーを歓迎する効果音が響くと、南九秋は顔を上げた。「えっと、邪眼剣王さん、護衛になってくれてありがとう、これからよろしくお願いしますね」
何もしていないのにいきなり新護衛が出るのは、彼女にとってはいつものことのように、感謝した後すぐに顔を俯き、またキーボードを打つ音が響いた。
陽介もコメントを送らず、ペンタブレットをモニターの前に置いて、お絵描きソフトを起動した。電子ペンを手に持って、陽介は暫く次に描くものを考えた。
「主人公は九秋ちゃんにしよう、テーマは…エロいやつ?」と呟き、陽介は花殺のフィギュアを見て頭を横に振った。「やっぱやめておこう」
タイピング音とたまに聞こえる南九秋の軽い鼻歌の声を聞いて、陽介の心が穏やかになり、絵も順調に進んでいる。
15時半頃、タイピング音が止まり、「あぁぁ~ふ」とあくびの声が伝わって来た。陽介が配信ルームを見ると、南九秋は顔を上げた。「良し、私の仕事は終わったぞ、皆さんはどうかしら。配信が終わるまでは半時間ぐらいあるけど、ちょっとお喋りしない?そうそう、最近めっちゃ人気のあのアニメ、皆観た?本当に面白いね…」
暫く配信ルームの画面を観て、陽介はまたお絵描きソフトに戻った。配信の音を聞きながら絵を描き、「では今日の配信がここまで、皆さんまたね」と南九秋が言ったのを聞いた時、陽介は周辺視野で花殺のフィギュアが動き出したのを見た。
「既にカードを手に入れたようだね」と花殺は言った。
「あぁ、早速付けてみよう。ちょっと待って、セーブする」と言って、陽介がセーブしてからお絵描きソフトを閉じた。
二人が陽介のバーチャル部屋に入って、花殺は陽介の刀と一枚の金色のカードを取り出した。カードに書いている「秋風」という文字は南九秋のファンネームだ。
陽介は刀とカードを受け取り、カードを鞘にある四角い窪みに嵌めると、鞘と柄は間もなく金色に染まった。
「この色もなかなかきれいだな。それに僕は感じたぞ、この刀は思った通り、既に完成しているのだ」と言って、陽介が刀を抜くと、刀身が伸びるどころか、元々あった短い刀身も消えた。
それを見て二人とも驚いた。
花殺は聞いた。「まさかあんたは南九秋のことを全然好きじゃない、しかもちょっと嫌がってる?」
「そんな訳あるか。いや待った、これはもしかして」と言って陽介は刀身のあるべきところを棟の方向から触ってみた。そして何かに当たったように、陽介の手は止まった。
これを見て花殺も悟った。「なるほど、こういうことか」
陽介は微笑んだ。「そうだ、やはりこの刀は既に完成した。これは形がない風の刃だ」