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ギロチン令嬢と世界の破壊者  作者: 諸行為の奴隷
2/6

朝露の杜

 その日はよく晴れた、天気の機嫌もすこぶる良い日だったという。雲ひとつ無い空には穏やかな風が漂い、こんな日はベーコンを地獄の業火で焼いてしまおうという姉の突発的な思い付きの元、市場にお使いに出されたアルベラがいましたとさ。

 

 「いい赤身だ。まるで首をチョンパされた際の断面図によく似ている」

 「帰れ」

 

 という肉屋の店主の有り難い言葉と一緒に追い出されて、現在トボトボ市場を歩いている。その後ろ姿は立てば芍薬、歩けば牡丹、一度口を開けば疫病神に早変わりする彼女の美貌を表して止まず、現にナンパ目的で近づいてきた男達が青ざめた顔で逃げ出す姿が散見されている。

 

 「実に不可思議」

 

 或いは残当とも言うが、生憎それを教えてくれる人もおらず。気付けば、平時は人混みで賑わう市場も彼女の周辺だけはモーゼの海の如く誰も寄り付かなかったという。

 

 さて、お昼時。優しい御姉様から包丁片手に戻ってくるよう言われた時間はとっくに過ぎていたが、しかしそれは時間という概念を四次元と認識した際に発生する齟齬に過ぎないとはアルベラの談。あくまで主観としての時間を観念したとき、現在とは過去であり、未来とは現在である以上、時間の経過も存在しないと以前力説したところ診療させられた医者が発狂したという。

 

 それ故、時間を完全にして完璧に守る時間厳守な彼女に遅刻はあり得ないらしい。だらだらと街の散策をしながら夕暮れ時の川のせせらぎに耳を委ねていた時だった。

 

 「ねぇ、聞いた?丁度今、帝国の商人さんが来たって」

 「聞いた聞いた。珍しい本を沢山持って来たって」

 

 ピクリと彼女の耳が動いた。

 

 「珍しい本?」

 「あら、貴女も興味があるの?」

 

 そう赤色の花に腰かけていた妖精が問いかけた。

 

 「興味が有るなら行ってごらんなさい。商人さんは門のすぐ側にいるわ」

 「行ってごらんなさい。商人さんは中々に老けたおじいちゃんよ」

 「そう。情報提供感謝する」

 

 まぁ、まぁ!と花の妖精達がキャッキャ、キャッキャと喜声を挙げるその場を後に、何処とも知れぬ門を目指して歩き出す。その彼女の右手に見えるは、閑静な住宅街、左手に見えるは長閑な田園風景と花畑。それが空一面に散りばめられた星に照らされる光景は言葉にし難い程に幻想的で、気付けばお使いに出てから一日が経とうとしていた。

 

 「信じられないな」

 

 と、目の前の光景に溜め息を漏らす。事実は小説より奇なり、果たしてお使いに出た寄り道で野宿する少女の方が信じられないかもしれないが、二度目の生を受けた肉体をしげしげと見返す。

 

 ぽつりと、言葉が闇夜の中に生まれ落ちた。

 

 「聞いていないかもしれない。聞こえているのなら、ごめんなさい」

 

 そう夜空に向かって呟く。

 

 「悪気は無かった。この体も、出来れば貴女に返したく思う。でも、その手段が解らない」


 返事は、ない。

 

 「だから、約束する。返すべき時が来たのなら、返す。それまで大切に扱うことも誓う。だからそれまで、この体を、どうか私に貸して」 

 

 例えば、という。理不尽に対して声を挙げて、理不尽に殺されて。悔いが有るとすれば、死んだこと。後悔だけは無かった――

 

 星の雫。流るるに任せ、堕ちるに任せ。堕ちた先で流れとなりし、時の川。果ても無き終わりを目指して月を漕ぎ――そんな歌と共に眠りに落ちて。目を開けた時、日もまた昇っていた。

 

 ※

 

 関門は、そこから更に北へ歩いた所にあった。歩いてくるような場所でもなく、その旨を警邏の兵に話してみたところ姉と同じような視線が返されるそんな一幕。

 

 道なりに伸ばされた大通りの端には露店が並び、香ばしい香りやらゲテ物の姿焼きなどが売られている。目当ての場所には、既に人だかりが出来ていた。

 

 「へー、これが帝都の本か」

 「うん、丁寧な装丁だね」

 

 そう、若いハーフエルフ達が物珍しげに囲う山から外れた一冊と老人は、非常に古ぼけていた。その一冊の方を手に取ると、商人の顔が驚いたように歪んだ。

 

 「お嬢さん、そんな本にご興味が?」

 「ん。ボロボロだけど破けている箇所が無い。それだけ丁寧に扱われるに相応しい物に違いないと私の下心が囁いたまでよ」

 

 そう答えると、本好きそうな老人は物好きそうな目をした。

 

 「そう。大切なのはどう扱われてきたか。と言っても、若いエルフさん達は物珍しさの方が勝つようで、中々聞いて貰えんが」

 「ならこれも何かの縁。少し開いてみても」

 「読んでみ。その人の本は面白いぞ」

 

 その了解の元に分厚い革表紙を捲ってみると、中から現れたのは『改正・帝国民法典解説』と銘打たれた項だった。

 

 「帝国は法律の内容を市民にも公示しているのか」

 「ああ。南の方だと未だ特権階級の秘密武器になっているみたいだがにゃ」

 「やはりか。にしてもやけに堅苦しいタイトルだ……な?」

 

 そして、はしがきで手がハタリと止まった。

 

 『……今世紀の帝国法は改正に次ぐ改正が相次いでいる。時代に適合しなくなった法令は改正される必要が確かに有るが, その火付け人こと諸悪の根元である私の拙書で法律学を学ぼうと思い立ってくれた諸君には感謝の念に堪えない。また, 例えば行商人の持ち込んだ荷物の中に乱雑に置かれていたの中の一冊に過ぎなかった方, というのも有るかもしれない。そんな方にとって, 本書を読破することは苦行以外の何物でも無いが, これを書いている私の手も現在腱鞘炎の憂き目に会っている。共にこの苦行を分かち合おう。』

 

 「え……?え、え………………?」

 

 大変に、それはもう非常なまでに困惑したような表情が顔に出る。

 

 「やけに、フレンドリーな語り口だな」

 「な?」

 

 と、同意を求めるように下手なウィンクが返ってくる。が、それに構うことなく本の中の語り手の独壇場は続く。

 

 『ベイス・ミルの言葉を引用するまでもなく法律学は苦行である。帝国に幾万と存在する条文の内, 財産法に限定したとしても一万の条文, その解釈含め覚えなければ法曹家としては使い物にならない。これは, 民法が大原則であれかしという願いを込めて草案されたが由縁であるが, 大原則である以上例外としての特別法も当然ながら存在する。つまり法律学の苦しみ, 並びに私のこの手の腱鞘炎の痛みも, 元を質せばこの大原則としての性質しか与えなかった偉大なる先人先生方の遺産によるところが大いにある。というかそれしか考えられない。』

 

 例えば。彼女が公爵令嬢なんかをやっていた頃に見た法律学の本とは、非常に堅苦しい挨拶、ないしは自慢話で始まる。

 

 「ひょっとして、この本の著者は落ち目?」

 「んにゃ。サルバトル帝国大学の現教授だ」

 「嘘だと言ってよバーニィー」

 「俺の名前はカーニだ」

 

 『現在は特別法の内, 一部の内容を民法典の中に取り込む作業が続いている。その工程は決して楽なものとは言い難く, こんな与太話を書いている暇があると知れれば会議室にベッドを作られることは確かである。諸君, これは私と君達だけの秘密である。決して他言しないように。』

 

 「ばれてるばれてる」


 『さて, 秘密ついでに来年の夏に改正される予定である新民法についての概要を簡単に書いておくとしよう。まず, 契約書並びに遺言状を作成するにあたり問題とされていた意思能力に関する法律は, 総則が扱っていた法律行為の成立要件という問題に一元化されて解決されることになる。解釈に大きな負担を負わせることにはなるだろうが, そもそもこの分野で法律解釈が楽だった試しが無いので, 適用条文が簡素化された分は楽になると思われる――と言うのが会議の結論である(私の意見は大いに違う。と言うのも, 例えば貴族や聖職者の相続においては未だ相続に関する特別法の解釈が機能する場面が多く, そのような条文を廃して全てを一般法の解釈に委ねることには疑念が残る。ただ, これを言い出すとキリが無い, ほんと疲れる)』

 

 「急に真面目な話をするのはやめろ」

 

 その後も、新たな財産法の鳥瞰図が奇妙な語り口で書かれる文が続き、一段落したところで漸く終わりに辿り着いた。


 『……さて, 粗方の目玉内容は出尽くしたのではしがきは, そろそろ止めようと思う。本書は新民法の解説書であることを想定して執筆するよう指示が出ているが, 個人的な思いから学習書としての性質も持たせるよう創意工夫を凝らした(褒めてくれ)。また,出来るだけ多くの方に手に取って欲しいという邪な願いから, 本書の印税収益は私には入ってこない。幾ら売れてもミカワ書店の利益にもならない。つまる話, 実費以外元が取れない赤字プロジェクトである。

 

 この提案をしたときは親の顔が見たいと言われたが, その為にはまず担当であるヤコブ氏には墓の下に埋もれてもらわないといけないので, 已む無く断念していただいた。その後, ミカワ書店の代表取締役であるオットー・フォン・フォーラム男爵がこの企画に乗りに乗り, 一気に話が動いた訳である。オットー卿には感謝の念に堪えないばかりか, この本の為にミカワ書店の経営を傾かせてしまったことを深くお詫び申し上げる。願わくは, オットー卿の英断が散財でなく未来への投資になるよう祈りを込めて, 長いはしがきを閉じさせて頂く』

 

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 …。

 

 

 本を閉じ、大きく息を吸う。気付けば日は、また沈もうとしていた。

 

 「気に入ったかい?その本は」

 「気に入った」

 

 頷く。この、とても学者が書いたとは思えないような本は徹底掉尾、最後まで奇妙なユーモアを忘れなかった。所々に愚痴や軽口、たまに冗談が紛れ込む。そして、その一見取っ付きやすそうな文体に対して内容は――恐らく、かつての世界の学者達が束になったところで足元にすら及ばない程の視座から書かれていた……

 

 「法解釈のレベルがそもそも違いすぎる。背景思想に対する理解も天才という言葉すら生温い程に深く簡明……まるで100年先を見越して書かれてるよう」

 「そうかい。そりゃ何よりだ」

 

 そう言って老人は、店仕舞いの支度を始めた。

 

 「その本はお嬢さんにやるよ」

 「いいの?」

 「ああ。元々その人の本を売るために道楽で始めた商いだ」

 

 所々が解れだした帽子を深く被る。夜が駆けてゆく。早ければもう一時もしない内に宿は全て埋まってしまうだろう。背の曲がった老人も、灯火の中に消えていこうとしていた。

 

 「最後に。この人の名前」

 「クリシュナルだ。クリシュナル・イェーリング、親しいものはイルと呼ぶ。会いたければ『物好きなカーニ』の名を出しな。運が良ければ会ってくれる」

 

 煌めく灯火。川の音、せせらぎ聞こえ来れば日はまた遠く。遠き日を待ちわびて、夜の微睡みに死に絶える。

 

 犬の遠吠えだけが虚しく響く夜闇にあって、エルフの目は僅かな月明かりの下でも果てを見通す。況んや、字をば。夜明けに気付いたのは、日が昇りきった頃だった。

 

 「ねむい」

 

 と、呟きながら読みかけの本を鞄に納める。何処の誰とも知れぬ者に何も言わず聞かず、何も聞かれてもいないので是とも言わず屋根を貸してくれた心優しき住人の住まう家の上から見下ろした町は、既に活気だっていた。

 

 露店は茶色い肉を炙り、荷馬がその前を横切ってゆく。その合間あいまに子供の遊び歌が流れては、商人の景気よい声に掻き消される。吾、五十にして天命を知る。四十にして惑わず、三十にして立ち、十有五にして

 

 「大学で勉強するか。あ、でもその前にベーコン買ってこないと」

 

 学に志して、十二にしてお使いを思い出す。

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