憐れで、愚かな女
「しょ、少々お待ちください。会場におられる皆様にご紹介を……」
「そんなことは必要ない。それより、僕達は急いでいるのだから、早く通してくれ」
「は、はあ……」
戸惑う使用人及び衛兵に、僕は強い口調で促す。
大体、僕のことを待っているような連中なんていないんだから、こんな時だけ余計な気遣いはいらないんだけど。
でも。
「ルドルフ殿下、まいりましょう」
「はい」
僕の最愛の婚約者に、恥をかかせるわけにはいかない。
入場の際は、彼女に負けないように堂々としないと。
僕達は扉が開かれた瞬間、すぐに会場の中へと入った。
「「「「「っ!? …………………………」」」」」
談笑していた貴族達が僕とリズベットに気づき、複雑な表情を浮かべ、こちらへと向けるその視線が否応なく気づかせる。
この僕が、この場において邪魔な存在でしかないことを。
でも。
「……ふふっ」
僕はリズベットの手を強く握り、連中の不愉快な視線の中を、胸を張って歩いた。
隣に彼女がいる限り、これまでのように僕が卑屈になることはないのだから……いや、卑屈になってはいけないのだから。
そんな僕の気持ちを理解してくれているからか、リズベットは嬉しそうに微笑む。
すると。
「…………………………」
「…………………………」
ひと際憎悪のこもった二つの視線を感じ、僕はそちらへと目を向ける。
案の定、ヴィルヘルムとロビンのものだ。
特にロビンに至っては、僕を指差しながら傍に控える従者に当たり散らしていた……って。
「リ、リズベット殿!?」
「ふふ、せっかくですから、会場の皆様に知っていただきましょう。殿下と私の……婚約者同士の、仲睦まじい姿を」
リズベットが、僕の右腕にその細い腕を絡める。
もちろん僕も嬉しいんだけど、何というか、その……すごくいい匂いがするし、肌がすべすべしているし、何より、綺麗なその顔がものすごく至近距離にあって、とてもじゃないけど平静を保てそうにないんだけど。
でも、効果は抜群のようで、とうとう地団駄まで踏み出したロビンだけでなく、ヴィルヘルムまで唇を噛みながらどこかへ行ってしまった。
あの『ヴィルヘルム戦記』での、ヴィルヘルムとリズベットの恋愛描写を知っているだけに、すごい優越感。
「ありがたいことに、愚かな詐欺師は自分から姿を消してくださいましたね」
クスリ、と氷の微笑を湛えるリズベットに、僕はぞくり、としてしまう。
美しさもそうだけど、自分の敵に対してのその容赦のなさ、つくづくあの日の思い出を彼女と共有できてよかったよ……。
そうじゃなかったら、僕は間違いなく暗殺されていたと思うから。
うん、愛の重いリズベットなら、絶対にやりかねない。
「リ、リズベット殿。いくら憎くても、ヴィルヘルムを暗殺とかしなくてもいいですからね?」
「もちろんです。あのような小物のために、私の手を汚したくはありません。殿下が望まれるのであれば、いくらでも汚すのですが」
「あ、あははー……」
よし、僕は絶対にそんなことはお願いしたりしないぞ。
「そ、それより、アリシア妃殿下にお会いするまでに、何かつまみましょうか。よくよく考えてみたら僕達、何も口にしていませんし」
「そうですね。ですが……ちゃんとニンジンも食べてくださいね?」
うぐう、釘を刺されてしまった。
ニンジンだけは嫌だなあ……。
少し肩を落としつつ、僕はリズベットと一緒にオードブルが載ったテーブルへと足を運ぶ。
その時。
「あら、いたの?」
「っ!?」
けだるそうな声を聞き、僕は勢いよく振り返った。
「母上……」
「いつもは最初だけ顔を出してさっさといなくなるのに、今日は最初にいなくて後からやって来るなんて、いつもと逆じゃない」
手に持つ赤ワインの注がれたグラスをクイ、と飲み干し、母……ベアトリスが皮肉めいた微笑みを見せる。
見る限り一人のようだし、皇帝は会場にはいないみたいだ。
ということは、この女は一人だけ残ったのか。
「母上こそどうされたのですか? いつもであれば、皇帝陛下とご一緒では」
「……うるさいわね。あの人は仕事で少し席を外しているのよ。それより」
ベアトリスは不機嫌な様子を隠そうとせず、ジロリ、とリズベットを見やった。
「……ファールクランツ家の長女、リズベットと申します」
ベアトリスに負けず劣らず、不機嫌さを隠さずにカーテシーをするリズベット。
アクアマリンの瞳には、殺気すらも窺わせながら。
「ふうん……婚約をしてもう一年近くもなるというのに、ルドルフの母親である私に一度も挨拶もなかったくせに、その上そんな態度を取るのかしら」
「母上、おやめください」
「黙りなさい。あなたが第四皇子になれたのは、誰のおかげだと思っているのよ。なのに、こんな小娘の肩を持つつもり?」
「っ!」
ベアトリスの放った言葉に、僕は怒りのあまり拳を強く握りしめて歯噛みした。
言うに事欠いて、『誰のおかげ』だって? 僕は一度だって、そんなものを望んだことはないのに。
第四皇子なんかになったせいで、僕はこの皇宮に……この世界に居場所なんてなかったのに。
全ては、ベアトリスの保身のためでしかないくせに……って。
「あ……」
リズベットが、爪が食い込むほど握りしめていた僕の拳に手を添え、ニコリ、と微笑む。
彼女が僕だけに見せてくれる、慈愛に満ちた優しい瞳で。
「ベアトリス様。今のお言葉は、私を……いえ、バルディック帝国の武を支えるファールクランツ侯爵家を、何も持たないあなたが侮辱した、という理解でよろしいですか?」
「っ! 何ですって!」
腹の底から凍えるような声で告げたリズベットに、ベアトリスは醜悪に顔を歪めてヒステリックに叫んだ。
「では、どのような意図でそのようにおっしゃったのでしょうか? 事と次第によっては、ファールクランツ家から正式に抗議をさせていただきますが」
「ふざけるんじゃないわよ! アンタみたいな小娘、私が陛下に言って……っ」
ベアトリスが右手を振り上げ、リズベットにワイングラスを投げつけようとする。
「っ! ルドルフ、どきなさい!」
「いいえ。彼女は……リズベット殿は、僕にとってこの世界で最も大切な、かけがえのない女性です。たとえ母上であっても、傷つけさせはしません」
「ルドルフッッッ!」
――ガシャン!
リズベットの前に立って庇う僕に、ベアトリスはグラスを思いきり投げつけた。
だけど僕はベアトリスから目を逸らさず、ただ見据える。
正直、皇室主催のパーティーの席でこんな真似をするのもどうかと思うけど、ベアトリスという女はこうなのだからしょうがない。
ヒステリックで、横柄で、皇帝の力は全て自分の力であると勘違いしていて、でもその心の奥底には、いつ皇帝に捨てられるか分からないという恐怖と不安に晒され続ける、憐れで愚かな女。
前世の記憶を取り戻したおかげで、今でこそこの女にもう思うところはないけど、それ以前の僕は……ルドルフは、こんな女であったとしても縋りたかったんだ。
でも、会場を騒がせたことはよかったかもしれない。
その結果。
「……ベアトリス、よくもまあ皇室に泥を塗るような真似をしてくれたわね」
「っ!?」
騒ぎに駆けつけたアリシア皇妃が、ベアトリスの背後から険しい表情で告げた。
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