私の主君① ※アンネ=オールソン視点
■アンネ=オールソン視点
――あの御方と出逢ったのは、九年前の雨の貧民街だった。
その日の食べる物にも困っていた私は、生き抜くために何でもやった。
食堂のゴミを漁って残飯にありつける日はまだよくて、それ以外の時はすりや盗みは日常茶飯事、酷い時には弱い老人を襲ったりなんかもした。
本当はそんなことをしたくないけど、そうしないと生きていけないから。
それに、私には守るべき家族が……たった一人の妹がいる。そのためなら、何だってできるのだから。
だけど、私は失敗してしまった。
金持ちそうな男にすりを働いたら、まさか帝国でも指折りの貴族に仕える騎士だったなんて。
私はすぐに捕まってしまい、殴る蹴るの暴行を受けた。
そもそも、貧民街の住民は何をされても文句を言えない。それだけの悪いことをしてきたということもあるし、何より、相手は貴族に仕える騎士なのだ。
貴族が平民を……しかも、貧民街の子供を一人始末したところで、咎められるはずもない。
所詮私は、ただ惨めに死ぬだけなんだ。
「ごめ、ん……ね……」
薄れゆく意識の中、路地裏の片隅で今も一人で苦しんでいる妹を想い、謝罪の言葉を呟いた。
本当は、すりで手に入れたお金で、妹の薬を買ってあげるつもりだったのに。
私は……妹も死なせてしまうんだ……。
その時。
「待て。これは何をしているのだ」
「何……?」
騎士の男が私への暴行を止め、後ろを振り向いた。
腫れあがったまぶたから、最後に見えたそれは……。
――琥珀色の瞳をした、一人の少年だった。
◇
「……ハッ!?」
目を覚まし、私は勢いよく身体を起こした。
だけどここは、私のよく知っている貧民街ではなくて、まるで夢のような場所だった。
だって、この私がベッドにいて、ものすごく高そうなものがいっぱいある、キラキラしたお部屋だったのだから。
「ひょっとして……ここが天国、なのかな……」
なんて馬鹿なことを呟いたものの、そんなことは絶対にあり得ない。
何でもしてきたこの私が、天国になんて行けるはずがないのだから。
なら……ここは一体……。
「ふむ、目が覚めたみたいだな」
「っ!?」
突然聞こえた声に、私は思わず周囲を見回すと。
「その様子を見る限り、問題はなさそうだな」
「あ……オ、オマエは……」
そこには、私が意識を失う前に最後に見た、琥珀色の瞳の少年がいた。
それも、私を殴る蹴るした騎士……ではなく、タキシードを着た一人の初老の男を従えて。
「口を慎みなさい。本来はお前のような者が、口を利くことも憚られるほどの、高貴な御方なのですぞ」
「っ!? す、すみません!」
普通に考えれば当然だ。
だって、少年の身でありながら、あの騎士を止めたほどの人物……つまり、貴族なのだから。
「構わん。それより、貴様はどうしてあの者から暴行を受けていたのだ?」
「あ……そ、その……」
初老の男を制止し、少年が尋ねる。
でも、私はそれに答えることができず、顔を伏せてしまった。
まさか、あの騎士の男にすりを働いたなんて、とてもじゃないけど言えない。
正直に言ってしまったら、私は今度こそ死ぬしかないのだから。
すると。
「心配いらない。あの男は、もういない」
「え……?」
少年の言っている意味が分からず、私は呆けた声を漏らした。
だ、だってあの騎士は、少年の家来じゃないの?
「まあ、尋ねておいてなんだが、貴様があの男から金を盗んだことは知っているのだがな」
「っ!?」
愉快そうに笑う少年に、私は息を呑む。
この子、最初から知っていて揶揄っていたんだ……。
私は恥ずかしさで、顔がものすごく熱くなった。
それと同時に、疑問が湧いた。
どうして彼は、そのことを知っていて、助けてくれたんだろう。
「そ、その……」
「ああ、言わなくても分かっている。もちろん俺は、善意で貴様を救ったわけじゃない。実は貴様に、頼みたいことがあるのだ」
「頼みたい、こと……?」
少年の言っている意味が理解できず、私はおずおずと聞き返した。
こんな貧民街に住んでいる私に、一体何を頼もうというんだろう。
「なに、貴様はこの俺に仕え、影として働いてもらうのだ」
「影……?」
「そうだ。“ガヴリロ”」
「はっ……よく聞くがいい。これから貴様は、この私の元で諜報員として訓練を積んでもらう。来たるべき時のために」
初老の男……ガヴリロは、表情を変えずに淡々と説明した。
どうやらこの少年とガヴリロは、私……というより、貧民街の子供を諜報員に仕立てるために、見繕っていたらしい。
その中でも、騎士の男からもすりを働いた、この私の手先の器用さと度胸を買ったのだと言う。
「ガヴリロが、貴様なら良い影になれる素質があるというのでな。それで、こうして連れてきたというわけだ」
「あ……あの……」
「? なんだ?」
「私は、どうなるの……?」
「聞いていなかったのか? これから貴様は、この俺に救われた命を、俺の影として役立ててもらうというのだ」
それは、なんとなく理解している。
そうじゃなくて、私はこのまま少年に飼われるということなのだろうか。
だとすると。
「そ、その! 私には、帰りを待っている妹がいるんです! だからお願いします! 何でもしますから、妹を助けてもらえないでしょうか!」
私はベッドから飛び降り、床に額をこすりつけた。
もちろん、勝手なことを言っていることは理解している。
でも、目的があったとはいえ、こんな私を助けてくれたこの少年は、ひょっとしたら妹も救ってくれるかもしれない。
そんな一縷の望みを託し、私は何度も床に額を打ち据えた。
「ふむ……貴様、名前は?」
「ア……アンネと言います!」
「アンネか。ならばアンネ、その命、この俺に捧げると誓えるか」
「っ! は、はい! 妹を……“サンドラ”を救ってくださるのなら!」
少年は、顎に手を当てて考える仕草をしたかと思うと。
「ガヴリロ、任せる」
「はっ」
ガヴリロは恭しく一礼すると、その場から消えてしまった。
「貴様の願い、この俺が聞き入れた。だから貴様は、今日から俺のものだ」
「あ……あああああ……っ」
まさか、救ってもらえるなんて思わなかった。
これで……これで、サンドラが救われる。
「ありがとうございます! ありがとう……ござい、ます……っ!」
私は涙で床を濡らしながら、ひたすら頭を下げ続けた。
「うむ。では、よろしく頼む」
「グス……は、はい! その……」
「ああ、そうか。まだ名乗っていなかったな」
私の様子から名前を知りたがっていることに気づいてくれた少年は、琥珀色の瞳で見据えると。
「俺の名は、ヴィルヘルムだ」
少年……ヴィルヘルム様は、少年らしい屈託のない笑顔を見せてくれた。
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