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07:背に腹は代えられない

 人間、驚きすぎると声など出ないものなのだと、初めて知った。


「乳を……乳を揉むなんて……」


 目を見開いたまま部屋を飛び出していった侍女。置き去りにされたクレオは、胸元のシャツを握り締め呆然と立っていた。


(もぎれるかと思った)


 肌蹴たブラウスもそのままに、クレオはがっくりとうなだれる。侍女の手つきはワシワシと、そりゃあもう容赦のないものだった。もしかしたら、場所を選ばずにできたデキモノか何かと思ったのかもしれなかった。


 ささやかなふくらみを見下ろして、ふん、と小さく鼻を鳴らす。据え置きの椅子に腰を掛け、傍らに置かれた木桶を手に取った。

 連れてこられたこの部屋は、どうやら風呂場のようだった。レースのカーテンの向こうにバスタブの猫足が覗いている。ふたたびクレオは鼻を鳴らす。


(ズボンまで脱がされなくて良かった)


 でもこれで、クレオが王子ではないということが分かっただろう。きっと今頃、あのジークとかいう従者に説明しているに違いない――。


「ジーク様、お待ちください。今、お入りになっては」


「離せって! 王子が女だったなんて、俺は信じないからな!!」


 ガチャリと開いた部屋のドア。椅子に腰掛けるクレオを見下ろし、ジークが石のように固まった。

 見上げるクレオも同様に、握る木桶に力を込める。


「……あ、あの……おう、じ……?」


「だから違うって言ってんだろぉ!?」


 パッカーン、と木桶の弾ける音がした。




***




「本当に申し訳ない」


 紅いビロードの絨毯の上、鼻に詰め物をして土下座をする大男が一人。

 その謝罪は人違いに対するものか、それともうっかり見てしまったモノへのものなのか。


「わかればいいです」


 勝手に前者であったことにして、クレオは大きく溜息を吐いた。


「勘違いも解けたところで、私は帰らせていただきます」


「ちょっと待った」


 踵を返し歩き出そうとしたものの、すぐに歩みは止められる。

 振り返ると、床に頭を擦り付けたまま、ジークがクレオの足首を握っていた。


「……離してください」


「離さない!!」


 ガバッと顔を上げたジークは、フンッと鼻の詰め物を吹き飛ばして、叫んだ。


「君にはこのまま王子として陛下と謁見してもらう」


(陛下?)


 はて、と首をかしげる。

 陛下……陛下……国王陛下。もしかしなくとも、リザヴェール王国の最高権力者であらせられる。


「いや、無理でしょ。絶対バレるし」


 クレオは冷静に断った。


(何を言っているんだ、こいつは)


 クレオと王子が似ているとして、たかだか他人の空似である。国王、つまり王子のご尊父が看破できないわけがない。

 だがジークは引き下がらない。


「いいやバレない! 絶対バレない! 長年王子のお傍に仕えたこの俺が保障する! 放っておけない物憂げなフェイス! どこか怠惰なテナーボイス! これぞまさしくドッペルゲンガー! 自信持って! ホント、マジ、そっくりだから!!」


(この世のどこに、男に似ているといわれて自信の持てる女がいるんだ)


 確かにクレオはスカートをはいてはいない。でもそれは、店頭に立つならスカートは止めた方がいいという、キャシーの指示によるものだ。それに、街外れの我が家から遠く離れた紅柘榴亭に通うにはズボンのほうが何かと都合がいいということもある。


 当たり前だが、キャシーだって、カミュだって、紅柘榴亭の人たちはみんな、クレオのことをレディとして扱ってくれていた……はずだ。

 街中でも男に間違われたことなんて――ことなんて――。


「話になりません」


「そこをなんとか!」


 足に縋りつく大男。引きずったまま歩き出そうとするクレオに、ジークはなおも食い下がる。


「この謁見は王や王妃のみならず、国の重鎮方も立ち会うとても大事なものなんだ。そんな場で第二王子の出奔が公になれば、騒ぎになるどころか俺の首が危ない! 王子は必ず見つけだす。報酬ならいくらでも払う。今回だけ、今回だけだから、俺を助けると思って、頼む! このとーりだ!!」


(私にゃ関係ないことだ) 


 ……と、切り捨てるには、あまりにも哀れみを誘うその瞳。まるで捨てられた子犬……いや、大型犬のような……。


(そんな目で見ないでよぉ)


 クレオはジークから目を背けるように天を仰いだ。


「無茶言わないでください。それに、お金なんていりません。私だって、別に生活に困らないくらいには稼いで…あれ?」


 ポケットを探って気づく。


(あれ、ない)


 どこにもない。さっきもらった二ヶ月分のお給料。


(そういや、あの時チンピラに巻き上げられて)


 わたわたとポケットを裏返すクレオをきょろりとジークが覗き込む。


「……どうかしたのか?」


「え、あ、いや……」


 こんなに急に仕事をやめることになるとは思っていなかったものだから、家にもほとんど備蓄はない。マーゴに言えばよろこんで世話を焼いてくれるだろうが、そう何日も甘えるわけにはいかない。


(どうしよう。まだ次の仕事も見つかっていないのに)


 気持ちの揺らぎを察知したのか、ジークがジリジリとにじり寄る。そうして茶目っ気たっぷりに、クレオにパチリとウィンクした。


「なぁ、頼むよ。世の中、ギブアンドテイクって言うだろぉ」


 ダメ押しの一言だった。


(……一回だけ、一回だけなら)


 クレオは負けた。仕方ない、背に腹は代えられない、そう自分に言い聞かせる。


「あーもう、わかった、わかりました。やればいいんでしょ、やれば!」


 言質を取ったとみるやいなや、ジークとルーシー、二人の眼がギラリと光る。


「そうと決まれば、頼むぞルーシー!」


「お任せくださいませ」


 腕まくりした鉄仮面侍女は、いそいそとクレオを風呂場に引きずっていくのだった。

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