05:連れ去られたその先は
もう諦めた。
自分を担ぐこの男は、どうあっても自分を下ろす気はないらしい。
暴れても体力が消耗するだけだ。ここは暫く様子を見ようと、クレオが大人しくなったのをいいことに、男はズンズン歩を進める。
「ホント、心配したんですからね王子」
「王子じゃありません。あなた一体誰なんですか」
「えっ、それ本気で言ってます? 護衛騎士の私を忘れちゃうなんて、無関心にもほどがありますよ王子」
「だから王子じゃないったら……」
まったくもって埒が明かない。
(もうこの際、王子でもなんでもいいや)
男の背中に頬杖をつく。視界にアッシュブロンドの髪がチラついて非常に鬱陶しい。
「で、あなたの名前は?」
しょうがないな、と苦笑いする気配。
「ジークですよ。ジーク・アドキンス。思い出しました?」
「たった今覚えました」
「もう、勘弁してくださいよぉ」
「それはこっちのセリフだっつーの!」
どこに連れて行かれるのか不安はあるが、ジークと名乗るこの男は、おそらく悪い人ではないはずだ。
心配した、という彼の言葉に嘘はないように思えたのだ。
大通りに出たところで、クレオはようやく肩から下ろされた。そのままドスンと乗せられたそこは、なんと馬の背中の上。足元がスカスカで、地面が随分遠く感じる。クレオは「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げた。
逃げるなら男の手が離れた今がチャンスなのだろうが、あいにく乗馬などしたことがない。下手に動いて振り落とされでもしたらたまらない。
身じろぎできないクレオの背後にジークがひらりと飛び乗った。太い腕がにょっきりと両脇から生えてきて、馬の手綱を掴まえる。
「出しますからね。しっかり掴まっててください、よっと」
言うが早いか、ジークが馬の脇腹をトンと軽く踵で蹴った。
パカリ、馬が動き出す。予想以上の揺れである。
「え!? 掴まるって、どこに!? ひっ、いやっ、落ちるっ、ちょ、怖ぁっ!!」
二人を乗せた栗毛の馬が蹄の音を響かせて、石畳の目抜き通りを猛スピードで駆け抜ける。
怖すぎて目も開けていられない。
「王子、今日はよくしゃべりますねぇ」
なんとか鞍にしがみつき、ひぃひぃ叫ぶクレオの後ろから、呆れたような声が聞こえた。
そうして暫く、なんとか揺れにも慣れたところで、クレオはそっと目を開ける。
「……嘘でしょ?」
眼下に広がるのは城下町。駆け上がるのは城壁沿いの坂道だ。この先にあるもの、それは――。
そこでようやく気がついた。
彼の言う「王子」それは、ただの比喩でもなんでもなくて、言葉通りの意味であったことを。
***
馬を降ろされたクレオは、再びジークに担がれた。よっこらせと、また肩に。
くの字に折れ曲がりながら、クレオはくしゃりと顔を歪めた。「王子」が額面通りの意味だったとしてこの扱いはなんなんだ。不敬にもほどがあるだろう。
「王子の扱いそれでいいんですか」
「よくはありませんけど、また逃げられるよりはマシです」
普段の「王子」とちょっと様子が違うことにはどうやら気付いているらしい。
それはそうだ、全くの別人なのだから。
(でも、王宮って凄い)
見上げるほどに高い天井。漆喰で出来た白い壁。立ち並ぶ豪奢な柱。びっくりするくらい大きな窓。ピカピカに磨かれた石床は担がれるクレオの姿をまるで鏡のように映しこんでいる。
(大広間ってあるのかな?)
夜の帳が落ちたなら、眩く光るシャンデリアのもと可愛いドレスのお姫様がくるくるとダンスを踊るに違いない。色とりどりのドレスを纏った、ビスクドールのようなお姫様が――。
(ま、私にゃ関係ないけどね)
そもそも庶民として生きる自分には最も縁遠い世界の話だ。こんなことがなければ、クレオだってお城になど一生足を踏み入れることはなかっただろう。
ドレスが似合う、似合わない、それ以前の問題として。
込み上げる苦い思いを噛み殺し、ジークの背中に再び頬杖をつく。
それにしても、いったいどこまで行くのだろう。誰かとすれ違いさえすれば、助けも求められるのに。
しかしあいにく廊下は静まり返っている。王宮の中で闇雲に叫ぶのもためらわれ、クレオは仕方なくされるがままになっていた。
ふとジークが足を止めた。ガチャリと扉が開く音。連れ込まれた一室はそれはもう豪華なもので、床に敷き詰められた真紅のビロードに、クレオは口をあんぐり開けた。
「ルーシー、いるか」
「はい、こちらに」
と、女性の声。クレオは肩の上から身を起こし、声のする方向を振り向いた。
(やった、人だ!)
パーテーションの陰から、楚々として一人の侍女が現れた。ジークに担がれるクレオを見ても、慌てるでもなく、怪しむでもなく、全くの無表情で立っている。なんだか急に不安になった。
「あ、あの、助け……」
「それじゃ頼んだぞ」
クレオの言葉を遮るように、彼女を床に降ろしたジークは、ひっつめ髪のその侍女にぐいっとクレオを差し出した。
目があうと、ニカッと目じりに皺をよせ人懐っこく笑って見せる。悪い人ではなさそうだけど、ちっとも話を聞いてくれない。降ろした姿勢そのままにクレオの腰をがっしり掴んで、まるで逃がす気がなさそうだ。
そのうちに侍女の細い手がぬうっと伸びて、背後から肩を掴まれる。細指が意思表示のようにクレオの肩に食い込んだ。
「頼んだぞって、何を?」
「かしこまりました」
「ねぇ、何を!?」
「さあ王子、参りましょう」
有無を言わさぬ侍女の声は全く平坦そのものだ。ぐいぐい背中を押されながら、彼女もまた味方ではないのかと、天を仰ぎたい気分になった。
侍女は奥の小部屋にクレオを押し込むと「失礼いたします」そう言ってクレオの胸元に手を伸ばす。
「ひぇ!? ちょっと、なにすんの!?」
鉄仮面侍女は抗議の声など聞こえないように、丁寧だが遠慮ない手つきでするするボタンをはずしていく。
四つ目のボタンに手をかけたとき、侍女はカッと目を見開いた。