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04:王子と呼ばないで

 ――やーい、やーい、おっとこおんなー!


 ――おとこがスカートはいてやがる。きっもちわりぃ!


 子供というのは純粋で、純粋なゆえに残酷だ。

 混じりけのないその言葉は、時に鋭利な刃物となって鋭く深く心を抉る。

 七歳のお誕生日、クレオが近所の悪童共に投げつけられたのは、まさにそんな言葉だった。


 木登り大好き!

 魚釣り大好き!

 いじめっこはゆるさない! 


 当時のクレオはとてもやんちゃな子供だった。そんなクレオの楽しみは、メルバとよく行く服飾店で、軒先に飾られたビスクドールを眺めること。


 ――いつかわたしも、あんなおようふくがきてみたい。


 クレオの言葉をメルバは覚えていたのだろう。誕生日プレゼントにと、クレオにドレスを作ってくれた。ずっとずっと憧れていた、大きなリボンのついた真っ白なフリルいっぱいのドレス。

 クレオはもちろん喜んだ。嬉しくて、嬉しくて、みんなに自慢したくって、その服を着て家を出たのだ。


 ――そんなこと、いわなくたっていいじゃない。


 みんなよりちょっぴり背が高くても、眼つきがほんの少しキツくても、口がちょっとだけ悪くても、ドレスを着ればきっとわたしもお姫様。そんな幼心が打ち砕かれた瞬間だった。


 じゃじゃ馬クレオはいじわるを言われて泣き寝入りするようなヤワじゃない。

 笑った奴らは、もちろんみんな叩きのめした。それを何度も繰り返すうち、誰もなんにも言わなくなった。でも、心はずっと痛かった。痛みが引いてはくれなかった。 

 ベットで泣いているクレオの髪をメルバは優しく撫でてくれた。指で髪を梳きながら、綺麗だよと言ってくれた。


 ――ほんとに?


 ――ああ、本当に。クレオはとっても綺麗だよ。きっとお母さんに似たんだね。


 亡くなった母の顔をクレオは覚えてはいない。でも、だからこそ、その言葉が嬉しくて。祖母の優しさに応えたくて。可愛いドレスは似合わなくとも、一人の女の子でありたくて。

 口調を変えて、礼儀作法を覚えて、身だしなみを整えて……メルバがいなくなってからも、自分なりにずっと、ずっと頑張ってきたのだ。


 それなのに!


 それなのに!!


 それなのに――――!!


「てめぇらは言っちゃあならねぇことを言った。覚悟は出来てんだろう、なァっ!」


「っがぁ!?」


 二人の叫びはほぼ同時。クレオの強烈な膝蹴りが男の股座にめり込んだのだ。続けざまに放たれた肘鉄に鳩尾を抉られて、男がごろりと倒れこむ。


 えげつない。はっきりいってえげつないが、全てはカミュの直伝だ。


「あ、兄貴! ……チッ、クソがァ!」


 伸びてきた手をするりとかわし、男の手首を掴み取る。狙うのは肘から親指二本分。外側から握りこみ、力いっぱい指を埋める。


「ギぃッ、イタイイタイイタイイタイ!!」


 手先の器用さはからっきしだが、握力にだけは自信がある。ギリギリとさらに力を込めるクレオの視界にふと影が落ちた。


 見上げると、寝転んでいたはずの男の姿。

 自分に向かって振り上げられた角材を見上げながら、カミュの教えを反芻(はんすう)する。


 ――これはあくまでも護身術。身を守る術であって、立ち向かう術ではありません。仕掛けたら、隙を見つけてさっさとその場を逃げること。


 ……だっだはず。

 チンピラ相手に少し調子に乗りすぎた。ああ、こりゃ詰んだな、と。


(ごめんなさい。教えは守れそうにありません)


 だが、見上げる角材はいつまでたってもクレオに落ちてはこなかった。男の体がぐらりと揺れて、再び地に伏したからだ。


 その代わり、崩れ落ちるその背後から黒い人影が飛び出した。

 頭の先から爪先まで、全身真っ黒の男の手には鈍色の刃が握られている。


 このまま斬られてしまうかもしれない。

 恐ろしいはずなのに、目が離せない。


 その太刀筋が、クレオの瞳にはあまりに綺麗に映ったから。


 切っ先はこちらに向かっては来なかった。

 影の握った剣の柄が目の前の男の脇腹にめり込んだだけだった。

 膝を着く男の手を離すのも忘れ、クレオは立ち上がったその影を見つめる。


 身に纏うのは憲兵服だろうか。

 制帽から覗くのは短く刈り上げた黒い髪。

 クレオを見下ろす冷たい瞳は、全ての光を吸い込むように真っ黒で、手に嵌めた手袋だけがやけに白くて鮮やかだった。


「あの……?」


 かけた声に応えはなかった。

 クレオの掴んだ男を引き取り、周囲の仲間に指示を飛ばした、それだけ。

 睥睨する黒い瞳に、自分は一体どう映っているのだろう。考えると、ちょっとだけ悲しくなった。


「見つけたぁ――――っ!」


 沈んだ気分を吹き飛ばすような大声に、背後を振り返りギョッとする。両手を広げ突進して来る半泣きの大男が見えたのだ。


「王子王子王子王子――!!」


「誰が王子だコラァ――!?」


 ……やってしまった。さっきの今で「王子」だなんて、つい頭に血が昇ってしまった。

 蹴り飛ばされた男がゴミ箱に向かってゴロゴロ転がっていく。だが男はめげなかった。ずるずると這いながらこちらに手を伸ばしてくる。


「お、王子……」


「人違いです」


「なにも蹴らなくとも……というか、いつからそんなアグレッシブに」


「だから人違いって言ってんだろ!?」


 怒鳴りつけて、クレオはギリっと歯を食いしばる。


(そもそも『王子』ってなんなんだ)


 紅柘榴亭の女性客に「王子」なんて呼ばれたときも確かにあった。

 意味がわからず微笑んでみたら「ギャーッ」と叫ばれたこともあった。

 ふらりとよろめく娘さえいて、そんなに笑顔が怖かったのかと、自分の顔を呪いたくなった。

 こそこそ隠れてこっちを見るのに、目があうとそっぽを向いてヒソヒソ話。耳を澄ませば聞こえてくるのは、王子、王子、王子、王子。


(一体、私が何をした)


 王子なんて大ッ嫌いだ!!


「とにもかくにも、捕まえましたよ」


 ぎゅ、と手首を掴まれる。そのままぐいっと引き倒されて、腰に腕をまわされた。体がくの字に折れ曲がり、ぐんと地面が遠くなる。

 気がつけば男に抱えられていた。

 しっかと肩に担がれている。それはもう、荷物のように。


「なにすんだ、離せよ!」


「離しません、離しませんとも!」


 背中を叩いても、足をバタつかせても、男の腕はゆるまない。太い腕はますます脇腹にくい込んでくる。


 ――いいですか。いくらあなたが強くとも、力で男にはかないません。隙を見せてはいけないのです。


 銀縁眼鏡を中指ですくうカミュの幻覚が、不肖の弟子を叱咤する。


「だから、人違いなんだってばぁ――!!」


 繁華街の路地裏にクレオの叫びがこだました。

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