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46:仲直りの向こう側

 執務室を辞すと、扉の外でジークが待っていた。

 はたと目が合う。だがすぐに視線は逸らされ、クレオに背を向けてそのまま廊下を歩き出す。てっきりさっきの続きとばかりに扉の中の出来事を問いただされるかと思ったのに、それすら聞かずにジークは黙り込んだまま。


(どうしてなんにも言わないの?)


 声をかけたほうがいいのだろうか。しかし、目の前の広い背中が対話を拒否しているような気がして、思わず視線を床に落とした。

 ただひたすらに気まずい。これなら説教された方がまだましだ。

 視界にあった無骨なブーツがぴたりと歩みを止めて、クレオはハッとしたように顔を上げた。ジークはやっぱり振り返らない。振り返らないまま、ポツリと呟く。


「……俺はそんなに頼りないか?」


 そんなことはない。心から頼りにしている。でも――

 言いたいことや言えないことがあまりに多くて、開きかけた唇をグッと強く噛みしめる。

 二人の間に再び沈黙が舞い降りる。

 それきり、自室に着くまでジークが口を開くことはなかった。




 

「昨夜はさぞお疲れだったでしょう」


 部屋に戻るとルーシーがお風呂の準備をしてくれていた。すでにルーシーの介添えを断れるほどの力も残されておらず、クレオは静かにうなづくと、促されるまま風呂場へと向った。

 ピチョン、と天井から雫がしたたり落ちる。冷たい滴りを肩に感じながら、ゆったりと湯船に浸かる。冷え切った体が温まり、緊張の連続で凝り固まった体がやわやわとほどけていく。ルーシーに髪を洗われながら、心地よさに思わず深く息を吐く。このまま胸のモヤモヤまで全て吐き出せたらいいのに――。


「お怪我はありませんでしたか?」


「あ、うん。それは大丈夫。それより……心配かけてごめんね」


「そう思われるのなら、私よりもジーク様にお声をかけられたほうがよろしいでしょう」


「そ、それはそうなんだけど」


 本当の事を言うべきなのだろうか。期せずしてキャシーの案件が片付いた今なら、少しくらい構わないかもしれない。だが、相棒だなんだと言っておきながら勝手に秘密を作ってしまった自分に、いったいなにが言えるだろう。

 ただ謝るだけで許してもらえるとは思えない。


「是非、お声をかけてあげてください」


 少しだけ、ルーシーの声に力がこもる。


「あんなに狼狽えた彼を見たのは二度目です」


 一度目はいつかなんて、聞かなくともわかる。

 返事をする代わりに、クレオはブクブクと湯船に沈み込んだ。





 待っていたわけでもないのだろうが、風呂から上がってもジークは部屋に留まっていた。

 クレオが風呂から戻って来たことはわかったはずだ。だが話しかけるそぶりもなく、ただ背を向けて立っている。いなければ良かったのに……と思わなくもないが、ルーシーの言葉を聞いたあとではうやむやにもできない。ギュッと拳を握りしめ、意を決して足を踏み出す。 

 近づく気配を感じ取ったのか、ジークがこちらを振り向きかけたが、そうはいかない。


「動かないで!」


 そう叫ぶと、クレオはジークに手を伸ばす。


「なッ!? なんだ急に」


「いいからそのままでいて!」


 腕を広げ、焦ったように身を捩るジークの背中にしがみついた。


「……でないと、言いたいことも言えなくなっちゃいそうだから」


 背中に埋もれた呟きが届いたのだろうか。取り押さえていた体が、回り込もうとする動きを止めた。


「黙っていなくなって、ごめんなさい。ジークが頼りないとか、信じられないとか、そういうんじゃなくて……一緒に探してくれたのに……言えば反対されると思って……でも、どうしても行かなきゃならなかったんだ」


 一言声を出してしまえば、胸に溜まったモヤモヤが、言葉となって口から一気に吐き出されていく。要領を得ない言い訳なのに、問い詰めることもなくジークはそれをただ黙って聞いていた。


「それでも。……それでも、一緒に来て欲しいって、ちゃんとあなたに言うべきだった。本当にごめんなさい」


「いや」


 ジークは首を横に振り、クレオの腕に手をかけた。ゆっくりとクレオの正面に向き直る。 


「君が何も言えなかったのは、俺の努力が足りなかったせいだ。もっと君に信頼してもらえるようにしなきゃいけなかったのに……俺のほうこそ、すまなかった」


 ジークが頭を下げている。彼はちっとも悪くないのに。ジークのせいじゃない。ジークに秘密を作ってしまった自分のせいなのに。

 湧き上がる苦い気持ちを飲み込んで、クレオはなんとか頷いた。


「仲直りも済んだところでお茶にでもしましょうか」


 そう言いながら、ルーシーがトレイを運んで来た。

 軽い食事を取りながら会話は昨夜の話に戻る。


「――なるほど、宰相閣下の命令ね」


 サンドイッチを頬張りながら、ジークがクレオの話に頷いた。


「あの野郎、すんなり護衛を引き受けたと思ったら、まさかそんな事情があったとはな」

「でも、おかげで事なきを得たよ」

「何が事なきを得ただ。あいつには気をつけろと言っただろう。女であることがバレたらどうするつもりだ」

「ないない、それはない」


 クレオが見る限り、女とバレた様子はなかった。あの格好も、ただの変装と受け取っていたはずだ。笑いながら手を振ると、ジークがフンッと鼻を鳴らした。

 

「しかし、随分と大きな捕り物だったんだな。とりあえずジェラルド殿下が都合よく解釈してくれて助かったよ」

「それはそうなんだけど、これからどうすればいいのかな」


 結婚反対派の行動が明るみに出た以上、彼らが黙っているとは思えない。妨害行為はこれからもっとあからさまになっていくはずだ。


「どうもこうもないさ。そのまま王子様を続ければいい」


 クレオの心配をよそに、手についたバターを舐めとりながらジークは飄々と答える。


「それだけ?」


「勿論さ。君がこれまで通り過ごすだけで、反対派の意見は押さえつけられるんだ。幸いカサンドラ王女との仲も良好のようだし、政治的な駆け引きは宰相閣下に任せて、君はこのまま王子として、日々の生活を全うして欲しい」


 確かに、老獪な貴族相手に政治的な駆け引きなど頼まれても無理だ。クレオに出来るのは、結婚反対派の貴族にも、そして宰相にも、「フィリップ」であることを疑われないようにすることだけ。

 それにしても、本物のフィリップは一体どこに行ってしまったのだろう。このまま彼が帰ってこなかったら、クレオはキャシーと結婚しなければならなくなる。


(それはそれで楽しそうだけど)


 うっかりそんなことを考えて、慌ててぷるぷると首を横に振る。


「カサンドラ王女といえば、先程ここを発ったと連絡がございました」


「えっ、そうなの?」


「カミュ様より『挨拶もできずに申し訳ありません』と言付かっております」


「そっかぁ……見送りくらいしたかったなぁ」


「お忙しい方ですから、仕方ございません。またすぐに園遊会でお会いできますよ」


「そうだね」


 昨夜の出来事も報告しておきたかったが、それも仕方あるまい。あの侍女が何か報告しているかもしれないが、それもどうだかわからない。次に会えるその時まで、ここで頑張るしかなさそうだ。


「さぁ王子、早く食事を召し上がってください。本日も図書館でシーラ女史の講義が入っております。午後からはマクゲイル教授の天文学と、アルビン卿による絵画の授業もございます。気合を入れてまいりましょう」


「ひぇっ」


「ははは、さすが寝不足でも容赦ないな」


「笑い事じゃないよ」


 自業自得だろ、といつものように笑うジークに苦笑いしながら、クレオは食べかけのサンドイッチをパクリと口に放り込んだ。



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