45:ジェラルドの呼び出し
城門が開く時間よりだいぶ早く城内に入れてもらえたのが幸いし、自室にまでは難なく戻ることができた。誰にも見つからず、無事部屋に入り込んだはずだったのだが、
「お早いご帰宅だな」
そう声をかけられ、飛び上がる。
恐る恐る振り向くと、そこには仁王立ちするジークと背筋を伸ばしたルーシーの姿があった。
「た、ただいま……」
そんな声に耳も貸さずに、足音も荒くジークが詰め寄る。
ジークの顔にいつもの余裕の笑みはない。これはまずい、かなりご機嫌斜めのようだ。
「いったいどこに行ってたんだ! というか、その恰好はどうした!?」
「メイド服だよ。似合うでしょ」
「似合うでしょ、じゃないだろう!」
怒鳴られて肩を竦める。
茶化してうやむやにしようと思ったのが間違いだった。
「そんな恰好をして、まさかとは思うがあの倉庫に一人で行ったんじゃないだろうな!?」
図星を突かれて思わず視線を逸らせてしまった。
どうして自分の周りにはこうも勘のいい人ばかりが集まるのだろう。
「やっぱりそうなんだな」
何も言えないでいると、ジークがいつになく苛立ったように息を吐き出した。
「なんで次の日まで待てなかった。どうしてそんな無茶をするんだ。何も言わずにいなくなるなんて――」
クレオの肩を掴み、問い詰めるジークの目の下にはうっすら隈が出来ていた。
「ジーク様」
止めに入るルーシーも、だいぶ疲れているように見える。もしかしたら二人とも、寝ずにクレオを探し回っていたのだろうか。
昨夜ペンダントの捜索に出たのは間違いではなかったと思う。事実、倉庫にはすでにジュニパは運び込まれており、人が入ったあとだった。クレオがペンダントを見つけることができたのは運が良かったとしか言いようがない。
だとしても城を独りで抜け出したのはひとえにクレオの我儘であり、それで二人に心配をかけたことに変わりはない。言いようもない罪悪感がじわじわ胸を締め付ける。
「王子はお疲れです。話はお休みになってから」
「しかしだな」
――トントン。
もめる三人の耳に、部屋をノックする音が届く。
「こんな朝早くに、いったい誰だ」
「実は……倉庫にいるところをジェラルド殿下に見つかっちゃって。もしかしたらその呼び出し、かも」
「なんだって!?」
――トントン。
再び扉がノックされる。
「ど、どうしよう」
「と、とにかくこんな格好を誰かに見られたらマズい。俺が時間を稼ぐから、君は早く着替えるんだ」
慌てふためくクレオをルーシーに任せて、ジークが扉へと向かう。ルーシーに肩を抱かれ、クレオは足早にパーテーションの奥へと向かった。
***
扉をノックしていたのはジェラルドの従者イワンである。準備が出来次第、ジェラルドの執務室に来るようにとの伝令だった。ジェラルドも大捕り物を終え各所の報告に追われているだろうに、随分と忙しないことである。
「まずはそこに座れ」
人払いした執務室。
緊張で顔を強ばらせるクレオにジェラルドが着席を促した。言われるがままに椅子に座ると、侍女がお茶を運んでくる。そういえば帰ってから何も口にしていなかったことに気がついて、お茶を一口喉に流し込む。
「ここに呼ばれた理由はわかっているな」
喉元に熱さを感じながら、クレオは考えを巡らせる。
ここは下手な弁明は避けるべきだ。説明すれば、ペンダントやキャシーについて触れなくてはならなくなる。自分が無茶をしたことは確かだ。ここは黙って叱責を受けたほうがいいだろう。大丈夫、叱られるのには慣れている。
紅茶を置くと、覚悟を決めて姿勢を正す。
「なぜ一人であんな場所に向った。しかも夜中にこっそり忍び込むなど、そんな手段をとったのだ」
「申し訳ございません」
「どうして王族の名を使わなかった。その名を使えばお前に行けぬ場所などないというのに。だからお前は王族としての自覚が足りぬというのだ」
「返す言葉もございません」
謝り続けるクレオを眺め、ジェラルドは面白くなさそうに息を吐き出すと、眉間に皺を寄せた。
「その名を隠してでも向かわなければならない理由があったとすれば、話は別だが」
なんとも含みのある嫌らしい言い草だ。
(でも、まだ何かがバレたと決まったわけでもないし)
内心の動揺を悟られないよう黙って床を見つめるクレオに、ジェラルドの視線が突き刺さる。
重苦しい沈黙。さっきお茶を飲んだばかりなのに、もう喉がカラカラだ。乾いた喉にゴクリと唾を送り込む。
「今回捕まえたあの者たちだが、どうやらあの倉庫でクディチ産の香辛料偽装を行っていたらしい。手引していたのは倉庫管理者だ」
スタンリー卿――やはり彼が噛んでいたのか。でなければ、いくら普段から人の出入りがないとはいえ国の管理する倉庫にたかが街のごろつきどもが出入りできるわけがない。
クレオがようやく顔を上げる。
「ルチアーノ一家といったか。あのゴロツキどもを雇っていたのはランカスター商会だ」
「ランカスターというと、現状クディチとの交易をほぼ独占してるあの商会ですね」
「その通りだ」
ランカスター商会はリザヴェール屈指の大商会である。その一方で傘下に入らない小売店に対する圧力が激しいことでも知られており、紅柘榴亭も何度か被害にあっていた。勿論、そんな不当な扱いをカミュが許すはずもなく、そのたびやり返してはいたのだが。
「結婚反対派の筆頭であるウッドウィル卿はお前も知っているな。スタンリー卿は彼の子飼いの貴族だ。そしてランカスター商会はウッドウィル卿と繋がりがあることが調べで分かっている」
「まさか……」
ランカスター商会の横暴な振る舞いが許されてきた理由、それには強力な後ろ盾の存在があったというわけだ。
(宰相は初めからそれを見抜いていたんだ。だからグレアムを……)
しかし、これではっきりした。やはり偽装事件の裏には反対派貴族の思惑があったのだ。
「しかし兄上、どうして私にそんな話を?」
「どうして?」
ジェラルドは皮肉っぽく口を吊り上げ「ふん」と鼻を鳴らした。
「お前が昨夜あそこに乗り込んだのは結婚反対派の一味を追いやる証拠を握るためじゃないのか。だからあの憲兵と一緒にいたのだろう」
クレオはパチパチと目を瞬かせる。
「違うのか?」
「い、いえ! そのとおりです」
慌てて頷いてみるも、実際はただ落としたペンダントを取りに行っただけである。
「今回捕まえた奴らを取り調べれば取引の内情がもっと詳しくわかることだろう。十家紋であるウッドウィル卿を追い落とすことはできないだろうが、お前の結婚を邪魔をするものは少しは減るはずだ」
ジェラルドはそういうが、なんだか嫌な予感がする。ウッドウィル卿とやらがどんな人物かは知らないが、こんなあくどいことに手を染めるような輩が、やられてやられっぱなしでいるとは思えないのだ。敵の姿がはっきりした今、これからはもっと気を引き締めていかねばならないだろう。
「フィリップ」
神妙な面持ちのクレオに、ジェラルドが改まったように話しかける。いよいよ断罪の時間らしい。
「お前の今回の行いは王族として決して褒められたものではない」
「はい」
「だが、問題を自ら解決しようと動くその心意気は認めてやってもいい」
「はい?」
聞き間違いでなければ、「らしい」けれどなんだかとっても「らしくない」言葉が聞こえた気がする。コテンと首を傾げると、ジェラルドはなぜだか照れたようにエヘンと咳払いをした。
「しかし、だ。何度も言うが、お前は王族なのだ。お前の指示で動く者たちがいくらでもいることを忘れるな。その者たちが頼りないというなら、次からは……」
そう言ったきり、言葉が途絶える。
「次からは?」
思わず聞き返せば、ジェラルドが気難しい顔で視線を逸らせた。
「次からは、この俺を頼るがいい」
ぼそり、とそんな声が聞こえる。
(……ああ、そうか)
嫌味たらしく尊大ではあるけれど、この人はこの人なりに、弟を気づかい、愛しているのだ。
これまでの言動は、ただの愛情の裏返し――そう思うと、なにやら目の前の彼が可愛らしく見えてくる。
「何がおかしい」
「いえ、別に」
にやけた頬を引き締めると、真面目くさった顔を作る。
いけない、今は叱られている最中だ。
「お心遣い感謝いたします」
クレオが頭を下げると、ジェラルドはしかめっつらのまま小さくうなづいた。
「俺からは以上だ。下がるがいい」




