43:一難去ってまた一難
髭の男は頭を剣の柄で殴られたらしく、転がったままピクリとも動かない。他にもいたはずの男たちは、いつの間にかすっかり床に伸びている。
「その汚い手を放せ。切り落とされたいか」
静かだが怒気を孕んだ低い声。
グレアムのこんな声、今まで聞いたことがない。
「て、てめぇなにもんだ!?」
クレオの背後で男が叫ぶが、グレアムは当然そんなものには答えない。無言で構える剣の切っ先はまっすぐ男を捕らえている。
「剣を下ろせ! この女がどうなってもいいのか!?」
首に巻きついた腕がクレオの喉を締め上げる。
「んぐっ、ちょ、放せっ……!」
慌てて腕に爪を立ててみるがビクともしない。
クレオが危機に晒されるほど、グレアムの目が据わっていくのに背後の男は気づかない。グレアムの構えがじりじり変り、いよいよ標的に狙いを定める。
まずい、このままでは……!
(こいつがグレアムに殺やられちゃう)
グレアムからすれば王族に仇なす者は万死に値するのだろうが、相手がいくらゴロツキだろうと目の前で人が死ぬのは、できるのであれば見たくない。
(こうなったら……!)
クレオは思い切って、脚を大きく振り上げた。
そのまま力いっぱい踏み下ろすと「うぎぃっ!?」と男の鈍い声。クレオの踵が男の足の甲にめり込んだのだ。
腕の力が緩むと同時に身を屈め、今度は勢いよくジャンプする。
「アぐぅッ!?」
クレオの頭突きを顎に受け、大きくよろめく男の体。クレオは素早く距離を取り、勢いよく体をくるりと回転させた。
スパンッと小気味のいい音がして、しなやかな脚が男の側頭部を蹴り抜ける。
黒のお仕着せがひらりと舞って――巨体はあえなく床に沈んだ。
「……ふう」
大きく息を吐き出して、服の埃をパンッと払う。
ハッとして振り向くと、グレアムが剣を構えたまま驚いたような顔でクレオを見ていた。
「王子、今のは……」
「ああー、これはね?」
呟くようなグレアムの問いに慌てて答える。
「独学で覚えた護身術」
というのは嘘である。実はカミュ直伝の護身術。
「人体の急所をいかにして突くか」という彼の教えは本当に役に立っている。
「だから大丈夫って言っただろ」
クレオがニッコリ笑いかける。
「あなたって人は……」
グレアムが拍子抜けしたように口を歪め、剣を下ろそうとしたその時。
倉庫の扉が勢いよく押し開かれて、いくつもの足音が雪崩れ込んでくる。
「今度はなんなの!?」
振り返り、身構えるクレオとグレアムだったが、先頭に立つ人影に二人はぎょっと目を剥いた。
「動くなっ、そこまでだ!」
赤髪の貴公子が叫ぶ。
数多の灯りを背に受けて立つのは、高慢ちきで面倒くさい、頭の切れる兄王子。
(なんで、この人がこんなところに)
ジェラルドがこちらを見たような気がして、クレオは慌ててグレアムの後ろに身を隠した。
真夜中に王子がこんなところにいるのも問題なのに、ましてや今は侍女姿。バレたら面倒なことになるのは目に見えている。
ある意味、敵の増援以上に厄介だ。
「捕らえろ!」
ジェラルドの号令を受けて、白銀の鎧をまとう騎士達がゴロツキたちを取り押さえていく。
全ての指示を出し終えると、ジェラルドは乱暴な足取りでグレアムのほうへと歩み寄った。敬礼の姿勢を取るグレアムを訝しそうな目で睨めつける。
「憲兵、何故お前がここにいる」
「宰相閣下の命により倉庫内を捜査中であります」
「あいつの命令か。何の調査を……と、聞いたところで答えるつもりはないんだろうな」
腕を組み、ジェラルドは吐き捨てるように言う。
「気に入らないが仕方あるまい」
グレアムの秘密主義は宰相の指示によるもので、たとえ相手が第一王子であっても覆るものではないのだろう。
「それよりお前」
ジェラルドはそれとなく辺りを覗いながら言う。
「……見なかったか」
「見なかったか、とは?」
「ここで誰かと出くわさなかったかと聞いている!」
一体『誰』を探しているのか、珍しく焦れたような口調でそんなことを訊ねてくる。
「なんのことでしょう」
不機嫌全開といった顔で睨みつけられても、グレアムは一向に顔色を変えない。
やがてジェラルドは諦めたように鼻を鳴らすと、連行されていくゴロツキたちをあごで指した。
「まあいい。こいつらはお前がやったのか」
「女性に乱暴を働こうとしていたところを取り押さえました」
「女性……?」
ジェラルドが首を伸ばしたので、クレオは慌てて身を縮めた。ジェラルドは目を細め、じいっとクレオのほうを眺めている。
(ひぃぃ、マズい!)
怯えているふりをしてグレアムの背中に縋りつく。背後の不穏な動きを察知したのか、クレオを背中に隠しつつグレアムが話題を変えた。
「殿下は何故こちらに」
「お前に言う必要はない」
意趣返しとばかりに跳ね返される。
「――と言いたいところだが、どこぞの狸とは違い、私は寛大なのでな。特別に教えてやろう」
たぬきとは、宰相のことだろうか。一体どんな男だったか、以前謁見の壇上で見かけたような気もするが思い出せない。グレアムの影で首をかしげるクレオはさておき、ジェラルドの尊大な物言いは続く。
「匿名の知らせがあったのだ。今夜ここで騒ぎが起きる、とな」
「騒ぎ、ですか」
「本来であればここは私の管轄外なのだが、嫌な胸騒ぎがして来てみればこのざまだ」
ジェラルドは倉庫に詰みあがる麻袋を見上げた後、床に置かれた無数の壷を見下ろし溜息を吐く。聡明な殿下は、ことの事情を瞬時に把握したようだった。
「どうやらここの管理者を問いただす必要がありそうだな。襲われたその女とやらも重要参考人だ。すぐにでも事情を聴取したいところだが」
ジロリ、と再び視線が突き刺さり、クレオはますます丸くなる。
「暴漢に襲われ、気も動転していることだろう。今夜のところはお前が送り届けてやるように。……くれぐれも丁重にな」
「はっ」
グレアムが再び敬礼の姿勢を取り踵を返す。その背中に隠れたままこっそりその場を離れたかったのに、ジェラルドに「待て」と呼び止められてしまった。
「おい」
「……」
待てと言われたから歩を止めたのに、なぜか不機嫌そうな声。
「そこの女、お前だ」
「……」
一体何の用なのだ。顔を押さえたまま、仕方なく振り返る。
「怪我はないか」
「……はい」
むやみに声を出したくないが、返事をしないわけにもいかない。なんとか声色を変えて頷いて見せる。
「ならいい」
素っ気ない口調のわりに、どことなく安堵したような声色であるのは気のせいなのか。
それにしても、第一王子ともあろう人が、どうして一介の侍女の安否など気にするのだろう。指の隙間からちらりと覗くと、全てお見通しといった態のジェラルドとバッチリ目が合ってしまった。
「話は後日改めて聞く。覚悟しておけ」




