03:誰が男だ
さてこれからどうしよう。
石畳に伸びる自分の影を踏みながらクレオはぼんやり考えた。
ズボンのポケットの中には二か月分の給金が入っている。こんなにたくさん貰えない、クレオはそう言ったのだが。
――こっちの都合で辞めてもらうんだし、遠慮なくもらっておくれよ。
――貰えるものは貰っておきなさい。あっても邪魔にはならないでしょう。
二人の言葉が蘇って、また泣きそうになってしまう。出来ることならこのままずっと、一緒に働いていたかった……なんて、考えていても仕方ない。
瞬き始めた星を見上げ、はぁ、と息を吐き出した。
上を向いていたので、当然前は見ていない。
「あ~あ、はやく次の仕事みつけな……ギャッ!!」
胸にドン、と強い衝撃を受け、クレオは思わず尻もちをついた。
「ったぁ、なんだよもう……」
見れば、ぶつかってきたであろう何かもひっくり返っている。
よっこらしょと体を起こすと、マントを頭からすっぽりかぶった怪しげなその人物にクレオはすっと手を差し伸べた。
「あの、大丈夫、です、か……?」
マントのから覗いた顔に絶句する。
まるっきり、同じ顔だ。
蜂蜜色の長い髪、そばかす一つない白い肌、珍しい紫の瞳の色に至るまで――まるで鏡を覗き込んだような――自分そっくりの誰かが、マントの中からこちらを見つめている。
「え? なに? え?」
思わず身を引き、困惑するクレオの視界が真っ黒な闇に覆われる。それがマントだと気付いた時には、すでにその人の姿は無かった。
「なんだったんだ、一体……」
自分は一体、何を見たのか。あれは幻だったのか。
マントを握りしめ混乱するが、しかし。事態はクレオを放ってはおかない。
「っらぁっ、見つけたぞテメェ!」
「もう逃げられねぇからな」
人相の悪い男が二人、クレオに突っかかってきた。
「え……と、どちら様ですか?」
「さっきテメェからぶつかって来たんだろうが。謝りもしねぇで逃げやがって、ナメてんのか、あぁ!?」
「はぁ……それはすみませんでした?」
なんで自分が謝っているのだろう。謝罪してから首をかしげる。
「たぶんそれ、人違いだと思います」
「人違い!?」
「ええ、人違い」
「だったらそのマントはなんだ! テメェのじゃねぇのか!!」
はっ、と手の内のマントを見つめ、慌てて違うと首を振る。
「違います、これはさっきぶつかってきた人のもので……」
「ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ、うるせぇんだよ」
威嚇する男に気取られていると、もう一人がクレオの背後に回り込む。目敏くも、クレオの小銭で膨れたポケットに目を付けたようだった。
「お、兄貴こいつ金持ってますよ」
小銭袋を抜き取って、その重さにいやらしい笑みを浮かべる。
「あ、ちょっと、なにすんだ!」
大事な当面の生活費。次の仕事を探すまで、これでしのがなければいけないのに。
背後の男から、正面の男へ投げ渡される小銭袋。からかうように高々と持ち上げられたそれを取り返そうと、飛び跳ねるクレオの胸元から、キラリと光るペンダントが零れ出た。
「へぇ、ガキのくせになかなかいいもん持ってんじゃねぇか」
クレオの胸に無骨な男の手が伸びる。チェーンをブツリと引きちぎられて、クレオはいよいよ血相をかえた。
「返せよ!!」
給金どころかペンダントまで!
暴れるクレオを尻目に、男はペンダントについたロケットの中身を無遠慮にも覗き込んだ。内側に填め込まれた見事なカメオに目を眇める。
「なんだこりゃ……トカゲ?」
「兄貴、これの目玉、宝石じゃないっすか!? こりゃ拾いもんだ!」
「やめろ、返せって言ってんだろ!?」
「うっせぇ!!」
伸ばしたその手を掴まれて、痛みに思わず顔を歪める。男はクレオを力任せに引き寄せると、ぐいと顔を近づけた。酒と煙草が混じった匂い。顔を背けたいが、男はそれを許してくれない。クレオの頬をギュッと掴んで、舐めるような視線を向ける。
「へぇ、結構綺麗な顔してんじゃねぇか。迷惑料払えば帰してやろうかと思ったが、気が変わった」
「お……フヘヘ、なんだ、まぁた兄貴の悪い癖ですかい?」
男達の下卑た笑いが何を示すのかわからないほど、クレオはうぶではない。もがくクレオを押さえつけ、男はクククと喉奥で笑った。
「ああ、お前も試してみろよ。たまには男もいいもんだぜ」
――耳の中で。
男の声がこだまして。
ぶっつりと、クレオの中で何かが千切れる音がする。
「……って、誰が男だコラァ――!!」
クレオ・フィオラニ、十八歳。
花も恥らう「乙女」である。