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36:視察(2)

 老朽化というのは本当らしく、ギギギギギと軋むような音をたてながら、最後の一棟の扉が開かれた。


「中に入ってみても?」


「もちろんです」


 倉庫に一歩足を踏み入れる。中は、確かにがらんどうであった。広い庫内にあるのは板づくりの屋根を支える太い梁だけ。


「立ち入り禁止になったのは最近なのかい?」


「いえ。使われなくなって、もうずいぶんたつはずですが」


「ふうん」


 クレオは匂いを確かめるように、すんっと小さく鼻を鳴らした。


「だいぶ古くなっておりますので、柱の釘などには十分お気を付けください」


 スタンリーの声を聴き流し、更に庫内を歩き回る。

 長く放置されていたというその割に、あまり埃っぽさを感じない。歩き回っても埃が舞わないところをみると、最近まで人の出入りがあったとみるべきだろう。

 仮にここが偽装の現場だったとして、この責任者は一体どの程度事態を把握しているのだろうか。太い梁の周りを念入りに見ていたその時───。


「んぐっ」


 くんっと襟首を引っ張られ、クレオは慌てて首筋に手を伸ばす。指に伝わるひやりとした鉄の感触。どうやら何かが飛び出た釘に引っかかってしまったらしい。これはまずい。


(ヤバッ! 早く外さなくっちゃ)


 もぞもぞと手を動かしてみるが上手くいかない。 


「あれ? おかしいな、全然取れない……」


「動かないで」


 背後から聞きなれない声がして、ふっと首が楽になる。


「あ、ありがとう」


 振り向くと、そこにはあの目隠れ侍女が立っていた。

 あいかわらず、もっさりとした前髪が顔をほとんど覆い隠してちっとも表情が読めない。


 そういえば、彼女に声をかけられたのは初めてだ。お茶会で何度も給仕をしてもらったし、視察の馬車にも同乗していたはずなのに、声を聞いたこともなかった。女性にしてはだいぶハスキーな声なので、もしかしたらそれを気にしてのことなのかもしれない。


「助かったよ、えーと……」


 名前すら聞いていなかったことを思い出し、右手を挙げたまま固まってしまう。


「王子、そんなところでなにかありましたか」


 ハッとして振り返る。


「あ、ジーク。ちょっと襟が釘にひっかかったみたいで、助けてもらってたんだ」


「助けてもらったって、誰にです?」


「え」


 再び視線を戻すと、そこにはもう侍女の姿はなかった。


「……名前、聞きそびれちゃったな」




***




 今一つ確証を得られないまま、時間はあっという間に過ぎていく。そうこうするうちに帰る時刻を迎えてしまった。


 視察を終えた一行をスタンリーが笑顔で見送る。

「またいつでもいらしてください」という声が「おとといきやがれ」に聞こえて仕方ない。


「結局、これといって怪しいものは見つかりませんでしたね」


 勇んで向かった視察だっただけに落胆も強い。帰りの馬車でがっくりと肩を落とすクレオを眺めながら、キャシーがゆったり足を組む。


「そうでもないよ」


 キャシーは隣に座る目隠れ侍女を、くいと顎で促した。侍女がおもむろに取り出したのは白いハンカチ。差し出された白い生地の上には黒い粒がいくつも転がっている。


「さっきの空き倉庫の床に落ちていたものだ」


 クレオはその一つを摘まむと、自分のてのひらに乗せて指でコロコロと転がした。ミラグは表面が全体的にゴツゴツとしているのが特徴である。だが、今この指先に伝わる感触は――。

 弾かれたように頭をあげると、何かを確信したようなキャシーの瞳と目が合った。


「これは……ジュニパ、ですね」


 色こそ黒いものの、今指先に感じるこれは果皮がつるりとして、形もなんとなく細長い。


「ミラグとジュニパの決定的な違いは、それが果実か種かなんだ。ジュニパはただの草の種。時期になれば勝手に鞘から落ちてくる。かたやミラグは数珠なりになった小さな果実で、熟したそれを潰さないように丁寧にほぐして乾燥させるから時間も手間もかかるんだ」


「なるほど高いわけですね」 


 クレオの言葉にキャシーがうなづく。 


「ジュニパはリベリアには自生しない草だ。これが床に落ちていたということは、誰かがわざわざあそこにジュニパを持ち込んだってとこだろう」


 きっと視察に備えて、事前に荷物をどこかに移し替えたに違いない。


「やっぱり、ただの備蓄庫じゃなかったんだ! すぐにでも問い詰めて……」


 今にも立ち上がりそうなクレオを「まぁお待ちよ」とキャシーがやんわり引き留める。


「この証拠だけで自白させるのはさすがに無理だろう。あの責任者とやらが何も知らない可能性だってないとはいえないしね。とはいえ、相手も視察を乗り切ったことで気が緩んでいるかもしれない。動きを見たいところだが、今日はもう遅い。詳しい話は明日にでもしよう」


「はい!」


 ようやく得られた手掛かりに、俄かに色めき立つクレオ。

 だから、気づかなかったのだ。


 自分を注視する誰かの視線があることに――。


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