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35:視察(1)

「朝……かぁ……」

 

 カーテンの隙間から、うっすらと陽の光が差し込んでくる。

 しょぼついた目を擦りながらベッドのサイドテーブルに据え置かれた時計を見やると、長針は五を指し示していた。


(全っ然、眠れなかった……)


 ごろり、と寝返りを打つ。

 今日はいよいよ疑惑の倉庫街に赴く日。いつもよりだいぶ早く目を覚ましてしまったようだが、なんとなく気が急いて二度寝をする気にもなれない。 

 クレオはベッドに寝転んだまま、時計の隣に置いておいたネックレスに手を伸ばした。


 ごそごぞシーツから這い出すと、いつものようにネックレスをつける。先日の鍛錬で派手に引っかけてしまったが、鎖はなんとか千切れずに済んでいた。案外丈夫にできている。


 うんっと大きく背伸びをすると、ベッドから飛び降りてぐいぐい体を動かし始める。


(馬車で居眠りしないようにしなくっちゃ)


 名目上はあくまでも視察。

 王子の代役として初めての公務ということになる。道中うたた寝するなんて失態だけは避けなければならない。




***



 

 馬車から望む内海は、今日も静かに凪いでいた。


 外海に面している湾岸は全て切り立った崖となっており、着岸できるのはこれから行く湾内にある港ひとつだけ。海を越えた貿易における唯一の玄関口とあって、倉庫街はそれなり大きなものだ。


 今回、キャシーが視察先に指定したのは、開けた倉庫街にあって柵に囲まれた一区画。視察の一行は計六人。クレオとキャシー、カミュとキャシーお付きの目隠れ侍女にあと二人。

 馬車を降りるカサンドラの手を取るクレオの耳に、ジークとグレアムの声が聞こえてくる。


「いやぁ、悪いねグレアム。面倒なこと頼んじゃって」


「悪いとも思ってないくせによく言う。まぁ、今回は宰相閣下から同行の許可も下りたことだし大目に見てやるさ」


「ありがとう、さすが我が親友(とも)!」


「腐れ縁だと言っている」


 ずいぶんと仲がよさそうだ。


(へぇ、グレアムもあんなふうにしゃべったりするんだ。いつもはビシッとしてるのに、なんだか新鮮)


 ジークが馴れ馴れしいのはよくあることとしても、グレアムも声こそ迷惑そうだが、いつもより態度が随分砕けている。

 いい歳の男二人がじゃれあう様子に目を細めていると、柵に構えた門が開いて中から身なりのいい男が出迎えた。


「ようこそお待ちしておりました。この区の管理を任されておりますアルバート・スタンリーと申します。フィリップ様、カサンドラ様、両殿下にお目にかかることができ恐悦至極にございます」


 クレオは慇懃に礼をするスタンリーの前に立ち、よそゆきの笑顔を浮かべた。


「初めましてスタンリー卿。この度は急な申し入れを受け入れてもらい感謝する。早速ではあるが、中を見せてもらおうか」


「もちろんでございます。では、こちらに……」


 つい、と門を見上げる。警備が厳重なのかと思えばそうでもなく、門には錠前がかけられているだけ。柵だってなんの変哲もない鉄格子。鉄条網さえついていない。そう高くもないので、その気になればクレオにだって簡単に乗り越えることができそうだ。そんな事を考えながらスタンリーにたずねる。


「ここに門番はいないのかい?」


「一応、昼間だけ。特区とはいえ、ここ一帯にあるのは非常時に備えた食料を保存する備蓄庫だけですから」


 貴重品の類はないから警備が薄いということか。


「備蓄庫への荷物の搬入頻度はどうなっているんだい」


「月に一度、定期的に穀物の搬入が行われております」


 にこやかに説明するスタンリーにクレオは「なるほど」とうなづいて見せる。

 普段からひとけが少なく、夜間には見張りもいなくなる。そんな場所にクディチ印の荷物が頻繁に運び込まれているのはどう考えても怪しすぎる。


「しかし、なぜこんな備蓄庫などを視察に?」


 ジャラリと重たい音がして、スタンリーが鍵束を取り出した。最初の倉庫に手をかけたまま、視察団のほうを振り返る。


「備蓄庫の運営は国の根幹である民の命に関わる事業だ。平和な時こそ、その備えが十分か厳しく確認する必要がある。我が婚約者にもその現場を見せてやろうと思ってね」


「さすがはフィリップ殿下、すばらしいお考えにございます」


 スタンリーの白々しいおべっかに、クレオは厳かにうなづいてみせる。

 視界の端でカミュもウンウンうなづいているので、おそらくこの答えは及第点だ。今のところ我ながらうまくいっている。


 備蓄庫を一棟一棟、案内してもらったが、スタンリーの言う通り穀物の入った麻袋が詰みあがっているばかりで何も変わったところはない。最後の一棟を見終わって、キャシーがふと辺りを見渡した。


「ここでお終いなのかしら? あそこをまだ見ていないのだけれど」


 倉庫街のすみっこを指し、さすがは王女といった風格でスタンリーに話しかける。


「あそこは老朽化が激しくて、危険なので立ち入りを禁止しているのですよ」


「ということは、中は空だと?」


「ええ、その通りです」


「だったらなおのこと見てみたいわ。クディチではこのようなレンガ式の倉庫はとても珍しいの。空の状態なら中の構造もよくわかるでしょう? どうかしら」


 少しの間をおいて、スタンリーがニコリと笑う。


「……そういうことでしたら」


 ずいぶんとあっさり引き下がるものだ。

 猜疑心を見せないように、クレオも笑顔を張り付ける。


「では頼む」

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