34:思い出話に花が咲き
「へぇ、そんなことがあったのかい」
カカカと豪快なキャシーの笑い声。
「あたしらもずいぶんと怪しまれたもんだねぇ」
キャシーがあんまり面白そうに笑うので、クレオは思い切り顔をしかめた。
お茶会と称した打合せも、もう四回目。今日も今日とて、ジークはカミュの妨害により蚊帳の外である。
「笑い事じゃありませんよ。特にカミュなんてめちゃくちゃ怪しまれてるんですからね」
「まぁ、あいつの面と言動じゃ、怪しむなっていうほうが無理があるね」
今も扉の向こうで押し問答をしているであろう慇懃無礼な狐目の男を思い浮かべて、クレオは思わず苦笑いした。だがすぐに緩んだ顔を引き締めて、再び顔をしかめてみせる。
「そもそも私だって納得してないんですよ?」
「なにがだい?」
侍女の淹れた紅茶を啜って、すまし顔のキャシーである。
「なにって、決まってるじゃないですか! クディチのお姫様がどうして城下町でお店を開いていたかですよ」
キャシーはカチャリと、カップをソーサーにもどす。
脚を組み緩やかに頬杖をつくと、クレオを見つめてからかうように口端を吊り上げた。
「おやおや、クレオは市場調査って言葉も知らないのかい?」
「それくらい知ってます」
「なら、これからこの国と付き合うにあたって、この国にどんな商売敵がいて、どんなものが必要とされてされているのか、詳しく知っておくことがいかに大事なことかくらいわかるだろう?」
それはわかる。
わかるけれども。
おそらくキャシーにとって、この婚姻は商売の延長線上にしかない。それがありありと伝わってきて、なにやら複雑な気持ちになってしまう。
「……そのための紅柘榴亭ってことですか」
王族には「愛」も「恋」も、必要のないものなのだろうか。
せめて、自分の伴侶となる人の国を知っておきたかったという理由なら、まだ納得も出来たのに。
「商人ってのはなにかと物知りだからねぇ。情報を仕入れたいなら懐に入っちまうのが一番さ」
「それはそうですけど……王女自ら間者紛いのことをするなんて、よく王家とカミュが許しましたね」
「許されてないよ」
「へ?」
さりげなくとんでもないことを聞いた気がして、クレオは目をパチパチと瞬いた。
「あたしが勝手に手続きして、勝手に店を開いたんだ。それを知ったカミュが無理やりついてきたってだけさ」
「は、はぁ……」
交易を制限されているリザヴェールにおいて、他国の商人が店を構えるのは難しいとされている。いったいどんな手段を用いて許可を取ったのか。キャシーのことだ、それがだいぶ無茶苦茶であったことだけは想像がつく。
それを知ったカミュの驚きと心労はいかばかりであっただろう。実にお気の毒さまである。
疑問の一つが解決したところで、クレオはもう一つ質問することにした。
「それじゃ、私を店子として受け入れてくれたのは?」
キャシーがフィリップの婚約者であれば、彼の姿絵くらいは見たことがあるはずだ。とすれば、フィリップと瓜二つであるクレオを店子として雇った理由がどうしても気になってしまう。
「たんなる偶然さ」
そう切り捨てるキャシーに「本当に?」と首をかしげる。お返しとばかりに、キャシーが「あたりまえさね」と肩をすくめた。
「どこに店を開こうか見て回っているところで、客と大喧嘩してるあんたを見つけたんだよ」
「あー、あれは……」
キャシーとカミュ。
クレオがこの二人と出会ったのは場末の酒場のことである。
職を転々としていたクレオにとって、ようやく見つけた仕事場だった。にもかかわらず、客と取っ組み合いの喧嘩になってしまい、そこへキャシーが仲裁に入ったのだ。
「給仕にちょっかいだした酔っ払いに噛みついたんだろう? 可愛い顔していい度胸してるじゃないかって、一目惚れさ」
「ひ、ひとめぼれ!?」
キャシーがあんまり凛々しく微笑むので、パッと熱くなった頬を思わず両手で押さえてしまう。
「それからのことは、あんたが一番よく知ってるね」
店子として雇われてからというもの、カミュのもとでしごかれた日々を思い出し、赤く染まっていた頬はすぐにサァッと青ざめた。
商売に関してずぶ素人であったクレオに、カミュはとても厳しかった。
接客の方法から始まり、仕入れの仕方や帳簿の付け方、地理や算術なぜか体術まで叩き込まれて、あまりの辛さに枕を濡らしたこともある。
だが、そのカミュの教えに救われて今の生活があるのだから、あの日の苦労も無駄ではなかったのだとクレオは深く頷いた。
「ここでの商売もなかなか楽しいもんだったが、ミラグの件もあって連絡したら案の定大目玉さ。さすがに本国からの帰国命令には背けなくてね」
「そういうことだったんですね」
突然に思えた紅柘榴亭の閉店も、理由を聞いてみれば実にシンプルなものだった。話を切り替えるように、キャシーがポンと手を叩く。
「さて、納得いったところで明日の打ち合わせでもしようじゃないか」
そう言って机に広げたのは、いったいどこから手に入れたのやら視察予定の倉庫の見取り図である。
驚くことにももう慣れて、クレオはキャシーとの話し合いに没頭してくのであった。




