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32:馬車の中の密談

 気晴らしのはずの外出だったが、妙に気分が沈んでしまった。


 四年間通い続けた目抜き通りの並木道を眺めながら、クレオはこっそり溜息を吐く。

 二人きりの馬車の中はガタガタと車輪の跳ねる音だけが響いている。


「ずぶんと大人しいじゃないか。久しぶりすぎて感傷的になっちまったようだね」


「そうかもしれません。広場を見てたら、ちょっと紅柘榴亭のことを思い出しちゃって」


「そうかい。なら、ちょいと昔話をしようじゃないか」


「昔話?」


 クレオは窓の外からキャシーのほうへと視線を移す。


「あんたがひっくり返した、ミラグの入った壷の話さ」


「またですか!?」


 からかわれるのかと思ったが、キャシーの顔は思いのほか真面目なものだ。


「ミラグがどんな香辛料かはあんたもよく知ってるだろう」


「一粒が砂金と同じ価値があると言われる、超がつくほど貴重な香辛料ですよね」


「その通り」


 ミラグは黒く丸い粒のような形をしたクディチ特産の香辛料だ。売りはスパイシーなその香り。肉の匂い消しなどに使われ、今や貴族の食卓に欠かすことができない食材だ。湿気に弱いということもあり、壷に厳重に封をした状態で取引されている。

 普通であれば転がしたくらいでは蓋は開かないのだが、その壷はたまたま封が緩んでいたのか、クレオが手を滑らせた拍子に中身が飛び出してしまったのだ。壷が割れなかったのが不幸中の幸いだ。


「バラまいちまった香辛料を拾い集めている時、何か気づいたことはなかったかい?」


「気づいたこと……ですか?」


 クレオは「ううん」と小さくうなって昔の記憶を掘り起こした。


「ああ、そういえばなんだかちょっと形の違う小さな粒が混ざっていたような気が……それがどうかしたんですか?」


「粒の小さいあれね、実はミラグじゃないんだ」


「えっ!?」


「ミラグによく似たジュニパという草の実なんだよ。味も形も良く似ているが、全く別の香辛料さ。値段はミラグの十分の一。クディチではミラグが高くて手に入らない庶民が代替品に使っている」


 ミラグの壷にミラグではないものが入っていた? 

 なんだか、とんでもないことを聞いた気がする。


「色も形も似ているし、爪の先ほどもない小さな粒ですもん、混ざり込んだら見分けがつかないですよね。でも、たまたまじゃないんですか?」


「たまたま?」


 キャシーは「はっ」と小さく笑い、皮肉っぽい笑みを浮かべる。


「クディチから出荷されるミラグは全て、王家が管理する畑で収穫されるんだ。収穫後、念入りに選別されたものだけが商品として出荷される。ミラグが砂金と同じだけの価値があるのは、王家主導の徹底した品質管理があるからなんだ。あんたがひっくり返したあれは、クディチの紋様が入った特級品の壷だった。間違ってもジュニパが混ざるわけがないんだよ」


「でも現に入ってましたよね?」


「あたしも目を疑ったさ。あの後、もう一度壷の中身を調べてみたらジュニパがかなり混ざっていた。しかもその壷だけじゃない、紅柘榴亭に卸した壷のほとんどにジュニパが混ぜ込まれて(・・・・・・)いたんだ」


 話の雲行きがどんどん怪しくなってきた。クレオは恐る恐る聞いてみる。


「……それってまさか、誰かが意図的に壷の中身を偽装したってことですか?」


 キャシーは腕を組み、憤懣やるかたないといった感じでうなづいた。


「それ、クディチの王室に報告は……」


「もちろんしたさ。ミラグはクディチの重要な交易品だ。王家が管理している以上、混ぜ物の入った商品がでまわったとあっちゃ信用問題に関わるからね」


 それに、とキャシーは言葉を区切る。


「婚約を控えた大事な時期だからこそ、事は慎重に運ばなきゃいけない」


 今、リベリア国の貴族達はフィリップの結婚賛成派と反対派で真っ二つに割れている。こんな不祥事が明らかになれば、反対派が勢いづくのは目に見えている。婚約が破棄ともなれば、貿易自由化の算段も白紙に戻ってしまうだろう。


「兄上が直々に監査に入って取り調べた結果、特級品のミラグと一緒に大量のジュニパがリザヴェールに卸されていた事が分かった。責任者の高官は、まさかそんなことに使われているとは思わなかなったなんて言っているが、どうだかねぇ」


 呆れたような口調で、キャシーはひょいと肩をすくめてみせる。

 偽装に直接関わっていないにしても、不審な事柄には目をつぶるように取引相手の商人から金で口止めされていたのかもしれない。


「まぁ、クディチの問題はクディチでなんとかするとして、残るはリザヴェール側の不正だよ。事と次第によっちゃ、こちらとしても何らかの手を打たなきゃならなくなる」


 ミラグをジュニパで水増しし、特急品に偽装して小売店に卸す。それで得た差額を懐に納めるなんて小狡いやり口だ。

 偽装品にクディチ謹製の壺をそのまま使っているというのもタチが悪い。キャシーの言う通り、これではクディチの信用がガタ落ちだ。確かに看過できるものではない。


「そこで、だ」


 馬車の向かいの席で、キャシーがゆったりと足を組む。ぽってりとした唇を指でなぞるその仕草は、キャシーが商談に入る合図でもある。

 一体何を言い出すつもりなのだろう。固唾を飲んでキャシーを見つめる。


「あんたに折り入って頼みたいことがある」


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