30:無気力王子の真実
「すまないね、からかうつもりはなかったんだ」
観念して席に着くクレオを見て、キャシーがまた、ククッと笑った。
散々昔話をしておいてそんなことを言うものだから、不貞腐れた気持ちになってクレオはぷいっとそっぽを向いた。
「なんだい、拗ねてるのかい?」
「違います。みすみす正体をバラしちゃった間抜けな自分に嫌気がさしてるだけです」
キャシーはカカカと笑っているが、実際笑い事ではない。もしこの相手がキャシーではない他の誰かだったら、今頃クレオはジークとそろって断頭台行きだ。恐ろしさで寒気がする。今後はもっと気を引き締めなければ。
「それにしても、私がクレオだってよくわかりましたね。これまで誰にも見破られたことなんてなかったのに、まるで初めから知っていたみたい」
でなければ出会い頭に「ひさしぶり」なんて言葉が出たりはしないだろう。
キャシーは笑うのを止めクレオを見つめる。ひじ掛けに頬杖をつくと「実は」と、おもむろに切り出した。
「あの日あんたと入れ替わりにお前そっくりな男がやって来て、城にいるあんたの様子を見てきて欲しいと頼まれたんだよ」
「私そっくりな男……」
クレオが王城に連れ去られる原因になった男。あの夜、繁華街でチンピラに追われていたあの男に間違いない。
クレオは思わず椅子から身を乗り出した。
「それってまさか」
言いかけて、はっと口を閉じる。
いつのまにそこにいたのか、クレオの隣に侍女がぼんやり立っていたのだ。手にした銀のトレイにはティーセットが乗せられている。長く垂らした前髪で顔の半分を覆い隠した、いかにも影の薄い侍女である。存在感がなさすぎて、ちっとも気が付かなかった。
サッと血の気が引いていく。もしや今までの会話を全部聞かれていたのだろうか。
「安心おし。この子なら大丈夫だ」
キャシーが庇うところを見ると、王女お付きの侍女なのだろうか。城内では見ない顔だ。侍女の様子を覗うが、うっとうしい前髪のせいで表情を読むことができない。
訝しむクレオの視線に気づいているのかいないのか。侍女はテーブルにティーセットを置くと、一言もしゃべることなく控の間へと去っていく。かなり不気味だ。
侍女の姿が完全に見えなくなったのを見届けてから、声を一段低くしてひそりとキャシーに訊ねた。
「頼んだのは……まさかフィリップ殿下ですか?」
キャシーにそんなことを頼む人物がいるとしたら、それはクレオを巻き込んだ張本人しかいない。
マントの下から現れた顔は、確かにクレオにそっくりだった。まるで鏡を覗き込んだような――。
あれがフィリップだったとしたら、皆が見間違うのも当然だ。
「それで、肝心のフィリップ殿下はいまどこに?」
「さあてね。やることがあるんだと」
「やること? って、それじゃまだ暫くは城に戻らないってことですか!?」
「そうなるね」
そもそも、王城を独り飛び出してまでやらなきゃならないこととはなんなのだ。それが何かは想像もつかないが、彼が事を成し遂げるまでここで王子のまねごとをし続けなければならないということだけはよくわかる。
「あんたはこれまでの出来事がみんな偶然だったと思うかい?」
偶然自分そっくりな男とぶつかって、偶然その男を追っていたチンピラに絡まれて、偶然王子と間違われ城に攫われる。
そう言われると、あまりにもでき過ぎのように思えてくる。
「……まさか仕組まれてたってことですか?」
「仕組まれていたかどうかはともかく、あたしやあんたの身辺を細かく調べていたのは確かだ」
「えぇ……あの王子様が?」
無気力王子と謳われる彼が自らこんなことをするなんて俄かには信じられない。
「あたしもこの城でのあいつの評価は知ってるよ。おそらくそう装っていたんだろうね」
「いったいなんのために」
「そのほうが都合がいいからさ」
意味がわからず首を傾げる。
「フィリップには兄貴がいたね」
「ジェラルド殿下ですね」
「そいつの母親は男爵家の出身で、随分前に亡くなっているんだったね。グリフィス王とは身分を越えた大恋愛だったらしいが、寵愛される母が健在ならともかく、身分の低い男爵家ではジェラルドの後ろ盾にもならないだろう。その点、フィリップの母であるオリヴィエは公爵家の出だ。フィリップがその気になれば王太子の座を得るのはたやすい」
「……でも彼はそれを望んでいない」
「まぁ、たんなるあたしの推測だけどね」
跡継ぎとなる王太子の座は未だ空位だ。いずれはグリフィスが指名することになるのだろうが、その座を得るのはジェラルドであるというのが大方の予想だ。
フィリップは暗愚を演じることで跡継ぎ争いを避けている。
もしもそれが本当だとしたら、無気力なんてとんでもない。彼はかなりの策略家だ。
(このこと、ジークは知っているのかな)
王子の事を口にするたび、ほんの少しだけ寂しそうに歪む相棒の顔を思い出し、ギュッと唇を噛みしめる。心根が見えないフィリップのことを一番気にしていたのは、きっと彼だ。
(もしもジークが本当のことを知ったら……)
フィリップの隠された素顔にショックを受けやしないだろうか。
キャシーはおもむろに立ち上がると、泣きそうなほど顔を歪めたクレオの頭にそっと手をのせ、前髪をくしゃりと乱して微笑んだ。




