02:突然クビになりまして
「……え」
目の前には小麦色の肌の美女。ウェーブのかかった見事な赤髪をかきあげて、申し訳なさそうに俯いている。今朝ほどクレオが感謝を捧げた紅柘榴亭の女主人、キャシーその人である。
「クビ……ですか」
呆然と呟き、クレオはうなだれた――が、すぐに顔をあげ主人の下へ詰め寄った。
「私、何かしましたか!? もしかして香辛料を壷ごとひっくり返したこと怒ってるんですか!? それとも舶来品の花瓶を割ったこと!? あ、わかった、仕入れでゼロ一つ書き間違えたアレですね!?」
「まぁ、確かにどれも手痛い損害ではありましたがね」
恐る恐る、声の方向を見やる。女主人の背後で十露盤を弾く男。眼鏡の奥の細い目がギラリとこちらを見つめていた。使用人頭のカミュである。
「そ、その節は、大変ご迷惑をおかけしまして……」
「ええ、ええ、そりゃあ大変でしたとも。溢した割ったはともかくとして、ゼロ一つ間違えたあの事件、私は忘れておりませんからね。全部売り切るのにどんなに苦労したことか!」
そうだ、あの時はカミュとクレオが街頭に立って客引きをしたのだった。押し寄せた女性客にもみくちゃにされて、確かに酷い目にあった。しかしそれでも売り切れなくて、今度はキャシーが街頭に立った。小麦肌の豊満美女の販促力たるや、それはそれは凄まじく。
「いいじゃないか、結果として全部売れたんだからさ」
しれっとそんな事を言うキャシーに、カミュの細目がキリキリと釣りあがった。
「よくありません! なにゆえキャシー様が売り子をせねばならないのです。ご自覚が足らな過ぎます! 本当にもう、貴女様を見るあの男達の目ときたら……ったく、汚らわしい」
危うく抉り出すところでした、なんて恐ろしげな言葉は聞こえない。聞こえませんたら。
「なに言ってんだい。商人たるもの人心をくすぐってなんぼだろう。それにあんたがいてくれりゃ、何の心配も無い。違うかい?」
「……そりゃまぁ、そうなんですがね」
カミュは、くい、と眼鏡を上げて再び十露盤を弾き出した。
「それはともかくとして、今回のことは完全にこっちの都合さ。実は近々国に帰らなきゃならなくてね」
「国……というと、クディチに、ですか?」
「はい、そこでクレオ! クディチの産業と特産について述べなさい」
弾いていた十露盤をビシッとクレオに突きつける。忙しい人だ。
「え、えーと」
海洋国クディチはその名の通り周囲を海に囲まれた新興国で、王政を敷いてまだ二代しかたっていない。初代国王は船乗りとして名を馳せた英雄で、多くの商船を有しており、現在も交易が非常に盛んである。領土は狭いものの、南国の気候を生かしたスパイスの栽培が盛んで、特にミラグと呼ばれる香辛料は黒い砂金ともいわれ、近隣諸国ではかなりの高値で取引されいる。……で、よかったはずだ。
「よくできました」
うんうん、と満足そうに頷いていてホッとする。この人は時々こうして抜き打ちで仕掛けてくるので油断がならない。
この他にも、十露盤の使い方や、掃除の基本、商人の心得などいろいろと教えてもらった。なかでも「人体の急所をいかにして突くか」というあの教えは、非常に役に立っている。
「連れて行きたいのは山々なんだが、この先どう転ぶかわからなくてね。店も閉めることにした。本当に申し訳ないと思ってる」
「いいえ、そんな。こんな私を雇ってくれて、今までありがとうございました」
「こんな私って……あんたらしいねぇ」
カカカ、と大きな笑い声。
「ま、いろいろあったが、あんたにゃ随分と楽しませてもらったよ。ほら、いいから顔をお上げ」
キャシーはクレオの頬を両の手で挟みこみ、下げた頭を引き上げた。
「なぁに、カミュのしごきに耐えぬいたあんたなら、きっとどこでもやって行けるさ」
「何をおっしゃいます。あんなのまだまだ序の口ですよ」
序の口なのか。なかなかにスパルタだったと思ったのだが。口には出さずカミュを見る。
眼鏡の奥の細い目は存外優しいものだった。
「あなたの成長を見届けることができないのは残念ですが、縁があればまた会うこともあるでしょう」
「そういうこと」
ぽん、と頭を撫でられて。
熱くなった目頭を慌てて手でこするのだった。




