22:それでも私は
(しかし疲れた)
修練場からジェラルドが去ってしまうと、いよいよ体から力が抜ける。
(あれがフィリップ殿下のお兄さん)
厭味ったらしく、尊大で、言葉のすべてが攻撃的な、棘だらけのサボテンのような人だった。
そういった輩の対応に慣れているはずのクレオからみても面倒くさいと思ってしまうくらいだから、身内であれば尚更だろう。兄弟仲がよろしくないとは聞いていたが、こうしてわざわざ会いに来るところを見ると、フィリップから一方的に毛嫌いされていただけかもしれない。
だからといって代わりに仲良くしてあげるほど、クレオはお人好しではない。
面倒事はごめんである。
(もう、これっきりにして欲しいな)
溜息を吐きつつ肩を落とすクレオに「王子」と呼びかける声がした。
「あ、グレアム! なんとか勝ったよ」
気を取り直し振り返るも、声の主に笑顔はない。思った以上に厳しい表情で、クレオをじろりと見下ろしている。
「勝ったよじゃありません。怪我でもしたらどうするつもりだったんです」
「でもほら、大事な園遊会も控えてることだし、兄上も手加減してくれるかなって」
言い訳でもなんでもなく、こういう打算があったからこそ、立ち向かえたのは本当だ。
「それにグレアムも言ってたじゃないか。一対一なら格上でもなんとか倒せるって」
「確かに言いましたが、相手にもよります。ジェラルド殿下は王立騎士団の団長と肩を並べるほどの実力者です。今回王子が勝てたのは、ただ運がよかっただけだ」
ただ、運が良かっただけ――そんなことは手合わせをしたクレオ自身が一番良くわかってる。だが、その実力者から曲がりなりにも一本をとってみせたのだ。少しは褒めてくれてもいいじゃないかと、拗ねる気持ちは否めない。
「……わかってるよそんなこと」
「いいや、わかってない」
尖らせてしまった唇を見咎めて、グレアムが即座に否定した。
「あなたは王族だ。王族なら無謀な戦いはすべきではない。せめて相手の実力を見極めてから、勝負を挑むべきだった。負ければどんなことになるか、考えなかったのですか」
クレオは言葉を詰まらせる。確かにあの時のクレオは、冷静とは言いがたかった。頭に血が上り、グレアムの制止も無視してしまった。
「でも、ただの手合わせじゃないか。怪我だってしなかったんだし、大袈裟だよ」
「大袈裟?」
グレアムは眉をひそめ、鋭く目を細めた。
「一事が万事という言葉を知っていますか? 今回は負けても私が指南役を降りれば済む話でしたが、これが戦であればどうなるか。失うのは富か、名誉か、尊厳か、それとも国そのものか」
ごくり、と唾を飲み込んだクレオを見つめ、グレアムは厳しい表情を崩さぬまま言葉を続ける。
「王族であるあなたのために、命をかける大勢の騎士がいるんです。あなたの敗北は、あなたに従う大勢の騎士達の敗北に繋がることになる。それを忘れないでいただきたい」
強い口調でそう言い切ると、グレアムは深々と頭を下げた。
「……出過ぎたことを言ってしまい、申し訳ありません」
「ううん、いいんだ。頭を上げてよグレアム。私の自覚が足りなかった。教えてくれてありがとう」
クレオは所詮、代役だ。それでも今はフィリップ王子としてここにいる。たかが偽物のために命をかける騎士たちのことを思えば、安易に勝負に乗るべきではない。
「でも、私は」
姿勢を正したグレアムをクレオはまっすぐに見上げる。
「私は、自分のしたことを間違っていたとは思わない。今度また、私が大事に思うものを貶められたら……その時は、必ず勝てる方法を探して、勝負を挑むよ」
ほんの一瞬。グレアムが、ぽかんとした表情を見せた。
だがすぐに顔をしかめて、がっくりと肩を落とす。
「どうかした?」
顔を覗き込んで訊ねれば、グレアムは何事もなかったかのように姿勢を正した。
「いえ、別に」
別に、というような顔ではなかったような気がするのだが。
そのままジーッと見つめてみたが、グレアムのすまし顔は変わらない。
「ま、いいや。とんだ邪魔が入ったけど、鍛錬の続き、お願いしてもいいかな?」
「ええ、もちろん」
「よし! そうと決まれば木剣、木剣!」
部屋の隅っこに飛んで行った木剣を拾いに走るクレオを眺め、グレアムは嘆息する。
「……ったく、こんな危なっかしい主を放ったらかして、一体どこで何をしてるんだあいつは」




