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13:強い味方

 王子の服装はいたってシンプルだ。

 袖口と襟首にフリルのたっぷりとついた絹のシャツとタイトなズボン、それに膝下まである長いブーツ、それだけ。

 ゆえにそこまで身支度に時間がかからない……かと思えばそうでもない。


「ねぇこれ、どうしてもつけなくちゃダメ?」


 クレオはルーシーが手にしたぶ厚い革製のコルセットをうんざりと見つめた。胸にはすでに、サラシがぐるぐる巻きになっている。


「ダメです」


「でもさ、こんなにフリルがついてるんだよ? どうせ机に座りっぱなしなんだし、つけなくっても目立たないと思うんだ」


「絶対ダメです。不測の事態に備えておくのも大事かと」


「ぐえっ」


 コルセットでギリギリと胸を締めあげられて、クレオが潰れたヒキガエルのような声をあげた。

 確かにこれを装着すればクレオのささやか胸は見る影もなく真っ平らになる。たくましい胸板もかくやのカチンコチン具合だ。


「不測って……まぁ確かに、これならシャツの上から少しくらい触られても、女とバレる心配はないだろうけど」


「そもそも王子の胸ぐらを掴むような不敬を働く者などこの城にはおりませんが、念には念をとのご命令ですので。窮屈とは存じますが、もうしばらくご辛抱を」


 コルセットの紐を握るルーシーの腕に、再び力が込められる。


「え、嘘でしょまだ締め……のあああぁっ」


「王子、ご辛抱を」


「むぎぃぃぃぃっ」


 毎朝、毎朝、この調子。このコルセットだけは慣れる気がしない。用意された鏡台の椅子にぐったりと座り込む。


「……辛くはございませんか?」


 クレオの長い髪を丁寧に梳きながら、ルーシーが訊ねた。 


「もう、苦しいったらないよ。着けたばかりだけど、こんなものすぐにでも脱ぎ捨てたい気分だよ」


「いえ、コルセットのとこではなく……この生活が、ということです」


 クレオは上目遣いで鏡越しのルーシーを見つめた。

 ルーシーは眉一つ動かさず粛々とクレオの髪を束ねている。

 

「私がいうのもなんですが、王妃様の手先ともいうべき侍女に四六時中見張られて、慣れない場所で軟禁ともいえる生活を強いられるなど、どんな事情があれそう耐えられるものではないはずです。今すぐにでも家に帰りたい、そうお思いになるのが普通でしょう」


「……ルーシーって王妃様の手先だったの?」


「王子に何かあれば、すぐに伝えるよう王妃様から申し使っております」


 お目付け役は一人じゃない――そういえば、王妃がそんなことを言っていたような気がする。


「それは心強いね」


「心強い……?」


 クレオの髪を整えるルーシーの手がピクリと止まる。


「だって、もし心配なことがあれば、何でも聞けるってことでしょう? 無理に演じる必要はないとは言われたけど、やっぱり不安な部分は多いしね。やるからにはしっかり務めあげたいし、アドバイスする人がいてくれるなら、ありがたいくらいさ」


 失敗などしないに越したことはないが、王妃のパイプ役が傍にいれば、クレオが多少思い切ったことをしたとしてもきっと何とかしてくれるに違いない。

 貴族の血を引くとはいえ、平民として生きて来たクレオが王宮で王子のまねごとをするのだから、王妃だってそれくらいは織り込み済みのはずだ。


「突然のことだったから、気になることも、やり残したこともいろいろあるけど、だからといって逃げ出したりはしないよ」


 一度引き受けた以上、なんとしても務めあげると決めたのだ。

 これから待っているすし詰めの座学も、大変ではあるが苦ではない。身につけた知識というのは、決して無駄にはならないからだ。

 ここで学びは、この王宮を出た後も、きっとクレオの役に立ってくれるだろう。

 それに、こんなものカミュのしごきに比べたらまだまだマシというものだ。紅柘榴亭で培ったクレオのド根性を見くびってもらっては困る。


クレオ様(・・・・)


「え?」


 はた、とクレオが前を見る。髪はすでに結い終わり、鏡越しのルーシーがまっすぐクレオを見つめていた。


「あなたの置かれた状況を思えば、私ごときが安易な言葉をかけられないのは、十分承知しております。ただ、信じて欲しいのです。私はあなたの敵ではないと。我が家のように……とは申しませんが、クレオ様が少しでもお寛ぎできるよう、私も努力してまいります。どうぞ、このルーシーになんなりとお申し付けくださいませ」


 無表情ではあるものの、やわらかいその声はクレオを心から気遣ってくれているようだった。

 心の中にじんわりと温かいものが広がっていく。


(……嬉しい)


 思わす椅子から立ち上がり、ルーシーの手を握りしめる。


「ありがとう、ルーシー。頼りにしてるよ」


 それは親愛を込めたクレオの心からの笑顔であったのだが――。


 ルーシーは、目を見開いたままなぜだかビシッと固まって、そのままついと天井を仰いでしまった。


(えっ、なに)


 ふうっと深く息の吐く音がして、ルーシーは優しくクレオの手をほどく。そうして、何事もなかったかのように姿勢を正すと、クレオを見据えてきっぱり言った。


「では、さっそくですが私からクレオ様にアドバイスを一つ」


「うん!」


「そのように人前でみだりに笑顔を振りまいてはなりません。最悪、人死にが出ます」


(人死に……!)


 酷い酷いとは思っていたが、まさかそこまで酷かったとは。


(私の笑顔って……)


 道理で紅柘榴亭の女性客たちがクレオを見て倒れるわけだ。


「さぁ、王子。朝食を召し上がってください。すぐに天文学のマクゲイル教授がいらっしゃいます」


 笑顔の怖い王子様など前代未聞だ。

 今後会うことになるであろう婚約者殿が怖がらないよう、これから本格的に笑顔の特訓をせねばなるまい。

 ショックを受けつつ、決意も新たにクレオは拳を握りしめた。

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