11:クレオの決意
ジークが出ていくと部屋はしんと静まり返る。
取り残されたクレオは膝に置いた拳を握りしめ、クレオをじっと見つめ続ける王妃の視線に耐えていた。
「あなた、名はなんと?」
「クレオ……クレオ・フィオラニと申します」
「フィオラニ……たしかアリオスト領にそんな名前の貴族がいたわね」
「父の実家をご存じなのですか?」
クレオは驚いて、ほんの少しだけ身を乗り出した。
父の実家は没落した元貴族――クレオがメルバに聞かされていたのは、ただそれだけ。自分の出自について、クレオはほとんど何も知らないのだ。
「昔聞いたことがあるような気がしただけ。わたくしはアリオストの出身なのよ」
厳しい王妃の表情がほんの少しだけ緩む。
「……本当に、何もかも瓜二つ」
いなくなった息子を思い出したのだろうか。
口元にほんのりと寂しげな笑みが浮かんだが、すぐにそれは消えうせる。
「クレオ・フィオラニ。王妃オリヴィエの名において命じます。これよりリザヴェール王国第二王子フィリップを名乗りなさい」
王族の命令は絶対だ。
クレオに許されるのは服従すること、ただそれだけ。
「……もし、仮に」
それでも、クレオはあえて問う。
「私が断れば、どうなりますか?」
「……ふふ」
王妃の唇がふんわりと弧を描く。
「面白いことをいうのね。あなたもジークと同じ立場にたとうというの?」
「仮に、の話です」
呑まれてはいけない。
紫の絶対零度の瞳から目を逸らすまいと、必死に自分を奮い立たせる。
「……そうね。あなたがこのまま王宮を出るというのであれば止めはしません。身代わりの件はきっぱりと諦めましょう」
拍子抜けしてクレオはパチリと目を瞬いた。だがすぐに、王妃は次の言葉を続ける。
「ですが、その場合ジークが逆賊として投獄されることになります。先ほども言いましたが、ジークが行ったことは王に対する叛逆に他なりません。事が公になれば必ずや罪に問われることでしょう。彼の命はないと思いなさい」
ある意味、想定内の答え。
(でも、それでいい)
王子の身代わりとして生きるなら、クレオにだってそれ相応の覚悟が必要だ。それこそ、どんなことがあっても逃げださないという、決死の覚悟が。しかし、これで踏ん切りがついた。
(誰かの命を背負ってると思えば、そう簡単には逃げられないもの)
まっすぐに前を見据え、クレオが告げる。
「その命、謹んでお受けいたします」
王妃の表情が一気に氷解し、代わって艶やかな微笑が満面に広がっていく。
「聡明なあなたであれば、必ずやそう言ってくださるだろうと思っていました。あなたならきっと、やり遂げることでしょう。そのためのサポートはおしみませんことよ」
(……よかった)
クレオは王妃にバレないように、そっと安堵の吐息をこぼす。
とりあえず二人とも命の危機は去ったようだ。それが首の皮一枚で繋がっていることに変わりはなくとも。
「さっそくですが、王妃様」
「母上とお呼びなさい、フィリップ」
どうやら、クレオの影武者生活はすでに始まっているらしい。
「では、母上」
そう言いなおし、クレオは改めて王妃を見つめた。
「私のこれからについて、母上から何かご助言をいただけますか」
出奔した王子の身代わりという大役を引き受けるとして、本当に周囲にバレないものなのだろうか。
オリヴィエという実の親にまで太鼓判をいただいたのだから、心配などすることもないのだろうが、目敏い輩はどこにでもいるものだ。口調やら仕草やら、どんなところで足がつくか分かったものではない。
言外に込めたクレオのそんな心配を王妃は鼻で笑い飛ばした。
「助言など……あの謁見を見た者であれば、王子が日頃の怠惰な行いを悔いて、心を入れ替えたとしか思わないでしょう」
「そんなものでしょうか?」
「そんなものです」
王妃はすっぱりと言い切った。
「抜け殻のような、生ける人形であったあの王子が、あれほど立派に謁見を済ませたのですよ。あの場にいたのは、王子の声などここ何年も聞いたこともないような者たちばかり。王子は人が変わられた、誰もがそう思ったはずです。この噂は社交界にも瞬く間に広まることでしょうね」
「なるほど……?」
納得とは言い難いクレオの表情を見やり、王妃はさらに言葉を続ける。
「大丈夫、何も心配することはありません。あなたはあなたとして、よく学び、振る舞えば、それでよいのです」
王妃の大輪の薔薇のような微笑みに、クレオはただ頷くしかなかった。